第9話「朝に誓う決意」

 ◇


 あの後は結局ドクターに起こされるまで寝てしまい、起こされるとすぐに家に帰った。帰宅して就寝前に日課として必ず明日の予習と今日の復習を終わらせると明日も早いのですぐに電気を消したのだが、眠れなかった。治療とはいえ割とキッチリ寝てしまったので目が冴えて全然眠れなかったのだ。


「眠れない。そう言えばあの頃は次の日が来るのが怖くて辛くて眠れなかったな」


 あの頃とはもちろんイジメを受けていたあの頃だ。惨めで情けなかった上に純然たる恐怖もあった。なぜか?それは味方が誰も居なくて孤独であったこと、さらに狭霧に見捨てられたという現実。誰にも相談出来ない怖さは、闇の中で彷徨さまよう苦行、いや悪夢と言っても過言では無かった。それを救ってくれたのは担任の工藤彰人先生だった。


「あの人は……強かったな」


 確かに工藤先生は私のイジメに気付かず三ヶ月の間、問題を長期化させた教師だったがイジメを確認すると烈火の如く怒りクラス全員を説教した。その第一声は今でも強烈だったと記憶している。


『君たちは人として最低の行いをしている!! 人間として失格だ!! そして本当に俺は俺自身が情けなく思う!! この状態に気付けなかった俺は教師失格だ!』


 当時でもこの発言でクラスの親、さらに教育委員会やら色々な方面の人間と大揉めになってしまったらしい。だが先生は諦めず最後まで戦い抜いて私を救ってくれた強い人だった。あの時に差し出された手は大きく優しかった。


『悪かった春日井。本当にすまなかった。また俺は気付かずに後悔するところだった。本当に……本当にすまなかった』


 そんな強くて熱い工藤先生も私の卒業前に退職してしまった。正確には退職に追い込まれてしまったのだ。クラスの誰にも告げずにひっそりとだ。三学期に急遽担任が教頭に変わったのは今思い出してもショックが大きかったと記憶している。だが実は先生が辞める直前に私だけに別れの言葉を言ってくれていた。


『春日井……春日井信矢くん。今は辛いかも知れない。そして苦しいかも知れない。だがどうか強く生きて欲しい。君を助けられなかった先生だけど、それだけは願ってるからな?』


 そう言って肩をガシっと掴まれポンポンと叩かれた。その二日後に先生は学園を去っていたらしい。悲しかったけど同時に先生のように強くなりたいと願い、全てを敵に回しても戦う本当の強さが欲しいと思った。

 そしてこの時から優しさじゃ誰も守れないと知ったから……だから私は強くなりたいと思ったんだ。


「強くなりたい……本当の意味で強く……」


 不思議とその出来事を思い出すと安心したのか急に眠気が来て翌日の朝までぐっすり眠れた。ぐっすり眠り過ぎて日課のジョギングを寝過ごすほどで久しぶりに母に叩き起こされるハメになった。そこで私は明日の朝こそはジョギングをすると誓った。その日は穏やかに一日が過ぎて行った。



 そして何事も無かった翌日の目覚めは実に爽快で、やはり昨日の寝坊は自我変更エゴチェンジの影響が大きかったと思われる。今日はさっそくジャージに着替えていつもの時間に家を出る。今朝は偶然にも新聞を取る父と鉢合わせたのでジョギングに行く事を言って家を出た。


「はっ……はっ……ふぅ……」


 少しだけ早めに走りながらいつものコースに合流する。そして公園内に入って少しした後に違和感を覚える。


「ふぅ……はっ……はっ……ん?」


 後ろから足音が近づいてくる。自分以外も割とこの早朝ジョギングをやっている人間は居るので最初は不思議に思わなかったのだが、その足音は突然現れた。公園に入る前には一切の気配を感じなかったのにだ。


 つまり公園内に入った後に、いきなり私の背後に現れたことになる。ここ最近の現象に似ている気がするが、いきなり振り向いて不躾ぶしつけに見るのは失礼にあたるだろう。どうしようかと考えていたら後ろの気配がさらに近づいてくる。そして一瞬並走したかと思うと私を追い抜いて行った。朝日に照らされた金の美しい軌跡を残して……。


「なっ!? はっ……」


 呼吸が乱れ一瞬にして心臓がバクバク鳴り出す。追い抜いた金の軌跡は少し前まで走り切るとこちらに振り向いて気まずそうにしながらも曖昧に笑ってこちらを見る。


「よっ!! 奇遇……だね? シン?」


「ええ、奇遇……ですね……竹之内さん」


 そのままその場で足踏みしながら待っている彼女、自然とそちらに向かって追いつくと並走して私たちは走り出した。


「はっ……はっ……いつも、この時間なの?」


「ふっ……ふっ……ええ。日課です」


(そっ……昨日は来なかったのに日課なんだ……)


「え? 何か今言いましたか?」


 彼女が小声で何か言った気がしたが緊張してそれどころでは無かった。当たり前のように一緒に走ってドキドキする。昨日の決意とは何だったのか?強くなりたいなら意思はしっかりと持つべきなのに、どうしようもなく今この瞬間が永遠に続けばいいと思ってしまう。


「別に~!! それよりちょっと休憩しようよ。この間のベンチ!」


「ふぅ……分かりました。では行きましょう」


「うんっ!!」


 そのまま逃がさないと言わんばかりに、さらに距離を詰めて並走してくる辺りこちらが逃げるかも知れないと警戒している。それは半分正解だ。隙あらば話を切り上げようと考えてはいたからだ。さすがは私の幼馴染。


「ふぅ……じゃあ少し待ってて下さい」


「ちょっと!! どこ行くのっ!?」


 まるで捨てられた子犬のような目をしてこっちを見てジャージを掴んでくる狭霧に危うく戻ってしまいそうになるが、ここは自制心を保って冷静に……そう、クールに行こう。それにしても相変わらずの可愛さだ。小さい頃から変わらないし、むしろより美しさと可愛さに磨きがかかっている気がする。だが、そんな事は表情には出さない……出して無いはずだ。


「これを買うだけですよ」


 そう言ってすぐそばの自販機を指さしてペットボトルを二本買うと彼女の隣に腰を下ろし、片方のスポーツドリンクを狭霧に手渡す。昔と同じなら彼女はこのメーカーのものが好きなはずだ。ちなみにカロリーゼロは嫌いで昔、甘ったるくて無理と言っていた記憶がある。


「あっ……ありがと」


「いえいえ。さて、お話が有るんですよね? 聞きますよ?」


 どうやら選択は間違いじゃないようで、それに安心すると私も自分用に買った某海洋深層水を使用した飲料水を一口飲んで狭霧の言葉を待った。そして彼女も一口飲んで少しの沈黙の後にポツリと一言呟くように話し出した。


「一昨日は、その……ありがとう」


「気にしないで下さい。あそこで集会の進行を止めるわけにはいかなかったので」


「でも!! 信矢は真っ先に来てくれた……私……ぜんぜん変わってなくて相変わらず肝心な時に頭が真っ白になっちゃって……」


「人には向き不向きがありますから仕方ありませんよ。それに少し私が介入したら持ち直せたじゃないですか」


 あの後なんとか調子を戻した狭霧は無難に報告を終え、舞台袖に戻ると隣の部長に何度も頭を下げていたり、こっちを見て目が合うとしきりに視線を逸らしたりかと思えば、いきなりニコニコしたりと大変そうだった。しかし昔なら泣くか私に隠れるかしか無かった彼女に比べれば遥かに成長していた。


「でも……それは信矢のアレがあったから……って!! そうよ!! 口調なんでまた戻ってるの!? 昔みたいに喋れるのにそんなキャラ作って!! 私すっごい心配したんだから!!」


「ふふっ……これは性分ですね。自分を覆う外装、大事な鎧。そう言う事にしておいて下さい」


 ここで『私はアナタが原因で多重人格になってしまいました。』などとは口が裂けても言えないので勘弁して欲しい。今までやって来た事が全て台無しだ。また彼女を泣かせてしまう。それだけは許されないし何より私自身が許さない。


「やっぱり……私のせい……だよね。あの時中学時代のこと怒ってて当然だよね。それに他にも、いつもシンに迷惑かけてさ……」


 やはり彼女はまだ気にしていたようだ。イジメを見て見ぬふりして過ごすなど本来は意地っ張りだが優しい彼女には苦痛だったに違いない。そして何より彼女に、またこんな顔をさせてしまった自分の弱さがどうしようもなく情けない。


「全ては過去です。それにこうして立ち直りました。口調を変えたのも……そう言うことです。だからあの出来事小学時代のイジメはもう気にしてませんよ」


「ほんと? 本当に?」


「ええ。だから気にしないで下さい」


 毅然とした態度でハッキリと言えば狭霧も安心してくれるだろうと思ったがどこか不思議そうな顔をしている彼女。陽の光のせいか少し顔が赤みを帯びている気がしないでもないが気のせいだろう。


「信矢は強くなったんだね……。ほんと私とは大違い」


「いいえ。私は決して強くない……。強くないから今も虚勢を張っているんです」


「そうは見えないよ……それとシン、目悪くなったの? 中学の時にメガネなんてして無かったよね?」


「これ……ですか。まぁ、そんなところです」


 今も強力なこの外装第三まとって君と話している。メガネも大事な外装の一つだ。そしてこの外装が本当に壊れなくなるために強くなる。この外装が壊れなくなった時に、あの弱いもう一人が出て来なくても良いくらいに自分を強くする。今度こそ狭霧を守れるようになるために、私は強くなりたいと今も思っている。


「さて、帰りましょう。そろそろ登校時間が迫って来てますからね」


「あっ……そうだね。うん。その……途中まで一緒に帰ってくれないかな?」


「ええ。では行きましょう」


 だが今は、今だけは仮初でも一緒に途中まで歩いても罰は当たらないだろうと自分を甘やかしてしまう。少し先を歩いている彼女が振り返ると彼女の美しいアッシュブロンドの髪は陽光を浴びて輝いていた。

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