第2話「二人の距離と日常と」


 蛇ににらまれた蛙。今の私と彼女の状態を指すならこれに近いだろう。ただ違うのは互いが蛇であり蛙でもあるというカオスな状態だという事だ。こんな感じで先ほどから数分はお互い沈黙を保ったままだ。そこで私は彼女を観察して会話の糸口を探ることにした。


 彼女はグレーのジャージに白のTシャツと言うラフなスタイルだ。最後に会った時よりも着ているシャツのロゴを押し上げてやたら盛り上がっている部分が呼吸に合わせ揺れていた。つまり彼女のある一部分がデカイのだ。


 ちなみに私は女性に対して免疫はゼロなので彼女の胸をガッツリ見てしまっているが、男なら仕方ないだろうと言っておく。そして視線を彼女へ戻すと若干顔が赤くなっていた。運動をしていたのでそのせいだろう。


(もうっ!! 露骨に見過ぎでしょ!)


「え? 今、何か言いましたか?」


「別に!! 何でもっ!!」


 なぜか怒らせてしまったようだ。彼女の胸に釘付けになって集中力を欠いていたようだ。あれは魔性の膨らみなので、気を付けねばならない。しかし今ので互いの沈黙状態は破れたのでこのまま会話を継続出来そうだ。


「朝から練習熱心ですね。ボール……どうぞ」


 何とか震えないように言う事が出来た事にホッとしながらボールを彼女に軽く投げる。それを受け取ると彼女もハッとしたのかこちらに焦点を戻して口を開いた。


「ま、まあね部活だけじゃ全然足りないから、あとボールサンキュ……」


 逆に相手の声は若干震えていた、こっちを向いた後に左手をグッと握って右下に視線を少しズラした。それの意味はよく知っている彼女が困った時の助けて欲しいのサイン。彼女の両親以外だと知っているのは私くらいだろう。つまり今の状況から助けて欲しいと言う意味だ。よほど私と話すのが苦痛なのだろう。なら私のすることは一つだ。


「ええ。ではこれで失礼します」


「あっ……その、ちょっと待ってよ!!」


 なぜか引き留められてしまった。おかしい……やはり六年も経つと彼女の行動パターンも変わるものなのだろうか?あれから六年?いや中学の頃少し会っている筈と考えるが急に頭にノイズが走るようにズキンと痛む。頭が上手く回らないが一応要件は聞かなくてはいけない。


「なんですか? 他にも何か有りますか?」


「えっと……その……」


「せっかくの練習時間を邪魔してしまうのも悪いのでこれで失礼します」


「そんなに……そんなにっ……私と話したくないのっ!?」


 さっさと退散しようとする私になおも食い下がる彼女、理解出来ない。どうして?ドウシテ?ズキンとまた頭痛がひどくなる。何で今更そんな事を言うんだ?さっきから顔はポーカーフェイスを装っているが強い頭痛はするし、心臓はバクバク鳴っている。だからこそ声を絞り出す。


「それは……君の方では?」


「っ!? そんなこと……あるわけないっ!!」


 その言葉を聞くと今度は困惑するばかりだ。お互いあんな別れ方をしたのだから……あんな別れ方?いや彼女とは疎遠になって……頭痛のせいか考えがまとまらず頭が混乱する。やはり彼女と会うと色々と調子が狂ってしまう。その間も彼女は何か言っていたようだが頭痛でそれどころじゃない。


「それと……その話し方……前の時も酷かったけど……今はもっとシンらしくないよ!!」


 彼女は昔のように少し強めの口調で私らしくないと言った。当たり前だ今の私は昔のように弱くない、いや強くなろうとしている最中なのだから、あの頃の情けない私ではない。だからイラっとしてついつい黒い感情が出そうになる。まるで自分の意志とは無関係に誰かに言わされているようなどす黒い感情があふれる。


「ふぅ……人は変わるものですよ……竹之内さん? それと原因は分かってますよね?」


「っ……それは……それは」


 そして心とは裏腹に彼女に拒絶の言葉を吐き出そうとする。こんなはずじゃない、ただこの場を無難にこなせば良いのに、どうしてここまで自分でも思ってもいない言葉が口から出るんだ?まさか……私が弱いからなのか?止められないこの黒い感情はどうしたら止められる?


「覆水盆に返らず……。過去は過去。別に今更蒸し返す気は有りません。学園ではお互い今まで通りが良いでしょう。それでは失礼」


「あっ……」


 それだけ言うとその場を離れる。心臓の鼓動も頭痛もすっかり引いていた。

そして心も完全に冷え切っていた。


 私立『涼月総合学院』その高等部が私が通う学び舎だ。県内随一のマンモス校で生徒の人数は同じ敷地内の中等部と合わせると二〇〇〇人近いと言われており昨今の少子高齢化社会に真っ向から勝負しているなどと言われている学院だ。本来なら地元に近いこの学院は選びたくなったのだがとある事情から通う事になってしまった。


「失礼します」


 時間は放課後ノックをするが返事を聞かずそのまま入室すると室内には男女二人がいた。二人の制服のネクタイとリボンがそれぞれ三年生を示す色の赤のラインが入ってる。ちなみに私の色は二年生で青となっていて一年生は緑だ。


「来たか信矢!! 今日はすぐにこちらに来たのか? だがそれはおかしいね? おかしいだろ? 日課の彼女へのストーキングはどうしたんだい? ん? いつもなら後一〇分はここに来ないはずだが? 確かここ一ヵ月はずっとそうだったよな? そうだよな? 七海?」


「はい仁人まさひと様。春日井くんの行動パターンは二年生進級時から二〇分ほど教室で読書、その後体育館を経由し北側の二つ目の扉を約五センチほど開いて竹之内さんの練習ウェア姿を舐めるように鑑賞した後にこちらにやって来ています。これは何かイレギュラーがあったのかと愚考します」


 相変わらずこの人たちは言いたい放題だ……それとストーキングでは無く体育館の扉のチェックや施設点検を自発的にやっていただけだと言いたい。やはりそう言う機微の分からないところは『涼学の変才児へんさいじ』と呼ばれるているだけはある。趣味は研究で専門分野は存在しないと言う荒唐無稽な天才だ。国内外で出す論文は病理学や心理学、機械工学に幾何学、更には神学などの各学会で次々と研究成果を出し続けているらしい。


 それが変態的な天才の夢意途 仁人むいとまさひとと彼の全ての面でのパートナーを自称する日本有数の企業体『千堂グループ』令嬢の千堂 七海せんどうななみの校内で有名なカップルだ。


「私にも色々事情が有るんですよ。早かったのなら時間を潰して来ましょうか? それとも本来の生徒会の方の業務に邁進しましょうか?」


 実はこの部屋は学園の生徒自治の一部を任されている生徒会の会議室。つまり生徒会室だ。ただし教職員の間では『第二生徒会室』ヤベー実験室と呼ばれている。逆にほとんどの生徒には『第六多目的室』空き教室とカモフラージュされている彼らの実験室なのだ。


「むっ!? それは困るな! 悪かった! 悪かったよ!! 君と言う被験体モルモットにソッポを向かれるのは俺も困るのだよ。機嫌を直してくれないか? いや待て、あえてこの状態のデータを取るのも面白いかも知れないね!!」


「まあまあ春日井くん仁人様も悪気があったのではなく本当のことを言ってしまっただけです。どうかお許し下さいね?」


 実に酷い言われようであるが今はグッと堪えよう。そして断じてストーキングでは無い。あくまで施設点検をしていただけだ。と、声を大にして言い返したいがこの二人には色々とお世話になっている上に弱みまでも握られているので難しい。


「分かりました。それよりドクター? それに七海先輩。会長や他の二人は大丈夫なんですか? 本当の生徒会室第一生徒会室は今頃大変なのでは? 自分やドクターはともかく先輩が抜けたら色々問題が有るのでは?」


「問題有りません。生徒会長の田中に書記の秋野は我がグループの末端企業の社長の子息で日頃から家業の手伝いをしていたそうです。それに半ば修行と顔繫ぎのために私の下に寄こされているのですから、私の抜けた穴を埋められないようではお話になりませんね。ただ吉川さんは一般生徒、あの二人に付き合わされて少し酷かも知れません。明日にでも様子を見てあげて下さいね? 副会長?」


「了解です。会計閣下?」


 今の会話で分かるように会計である七海先輩が一番権力を持っているのがこの歪な生徒会の真の姿で、これは主にドクターつまり仁人さんの研究環境を第一に考えられている。好きな人のために実家の権力をフル活用しているのだ。

 そもそもこの学園の創立者が彼女の祖父なので学園の教職員で彼女に逆らう者はまず居ない。もちろん生徒会副会長の私もその例外に漏れない。


「さて、では今日一日の行動から話して貰おうかな? 今日の君の行動を話してくれるか? もちろん後で七海からの報告で裏付けもするから嘘はついても無駄だぞ?」


「ふぅ……やはりあの朝の視線や気配は七海先輩の部下の人でしたか。それにしては随分とお粗末でしたが」


「え? 私は土日祝日以外は監視カメラとドローンのみの監視としか指示は出してませんけど? 申し訳ありません……少し確認して来ます」


 そう言うと七海先輩は素早くスマホを操作して連絡を取り出した。そして『失礼』とだけ言ってそのまま部屋を出て行った。残されたのは私と少し困ったように頭をかいている仁人先輩だ。


「ふむ。本当に心当たりは無いのか? 君が気配を察知出来ない対象など限られているはずだろ?」


「いえ。私なんてあの人や師に比べたらまだまだですからね。それに世界は広いですし本当の天才に私のような偽物秀才は通じませんよ」


 五分ほど二人で話していると七海先輩が少しニヤニヤした顔で戻って来た。実に意地の悪い笑みだ。この人がこういう顔している時は高確率で何かしょ~もないことが分かった時だ。

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