耳の瞼
安全ピンをガスコンロで炙って消毒。ここまでは私の仕事。
まだ熱を帯びているであろう安全ピンをレイに手渡す。
「皮膚科行ったほうがいいと思うけどなあ」
レイの軽口は無視する。少しの金も惜しいし、私のようなガキが出向けば門前払いを食らうだけだと容易に想像がつく。
「でもかわいいところあるね。自分で穴開けるのが怖いって」
「ミスったら洒落になんねーだろ。テメーの商品価値は落としたくねーの」
言ってる内に、手先が震え始めた。常温で炭酸もほとんど抜けたストロングチューハイの缶を呷り、強引に落ち着きを取り戻させる。
私は身体を売って金を稼ぐガキ。レイは占い師だかなんだか知らないけど、この街でよくわからない商売をしている。何度か私を抱いた男を淫行で訴えると脅して金を巻き上げた時に協力してくれたので、結局どうせ淫売だ。
「そういえば、こんな話を知ってる?」
私がなんだと聞こうとした途端に、レイは左の耳たぶを安全ピンで貫いた。
「いってェ!」
「はいはい。痛みは一瞬だからね。次は右いくよ」
確かに、安全ピンの針を引き抜かれた時には痛みを感じなかった。単に衝撃で感覚が飛んでいただけなのかもしれないが。
「で、なんの話だよ」
鼻歌交じりで私の耳たぶに狙いをつけているレイが不気味で、私は思わず訊ねていた。
「んー? 何が?」
「テメーが言ったんだろうが。こんな話を知ってるか――ってェ!」
また激痛。レイは話している最中の私の右耳に安全ピンを突き刺した。
レイは安全ピンから手を放して、私の万年床に腰を下ろした。安全ピンの針は未だ私の耳たぶに突き刺さったまま。
「ある女性が自分でピアス穴を開けた。すると開けたピアス穴から、白い糸が出てくる。なんだろうと思ってその糸を引っ張っていくと、ぷちんと切れた。同時に、彼女は何も見えなくなった。白い糸だと思っていたのは、彼女の視神経だった――っていう話」
「なんでそんな話――」
レイは上体をぐっと近づけてくると、耳たぶにぶら下がった安全ピンを引き抜いた。今度はさっきより全然痛い。
「なんでだろうねえ」
レイは私を後ろから抱く形で座り直すと、私の顔を床に置かれた卓上ミラーに映るように移動させる。
ぷっくりと血の玉が浮かぶできたばかりのピアス穴。レイは背後から両手でそれぞれ傷口に指を合わせると、ゆっくりと何かを摘まんで引っ張った。
鏡の中の私の耳たぶからは、細い白い糸が伸びている。当然、掴んで引っ張っているのはレイだ。
「嘘、だ」
「どうだろうねえ。もっと引っ張ってみようか」
「やめろ!」
怒鳴るが、顔を少しも動かせない。少しでも動けば、レイの摘まんだ糸はぷっつりと切れてしまう。
「いいねえ。君はとても純粋だねえ。聞いたばかりのロアに冒され、きちんと基底と接続できている」
「何言って――」
「君さあ、私の検体にほしいんだよね。この街には怪忌が溢れている。前に君が脅そうとした相手もその手合いで、仕方ないからこっそり後ろで無力化と自我瓦解まで持っていってあげといたんだよ。君はどうにもつながりやすいみたいだから、いろいろ面白いことができそうなんだよねえ」
「わけのわからねえこと言ってんじゃねえぞ」
「うん。たとえば君の体質と現状から言って、私がこの糸を千切れば君の視神経も切れちゃうんだよね。それでもいい? 私は別に君の目が見えなくても困らないけど」
思わず縮こまる。私の全権は今やレイに握られている。
「そうそう。忘れないこと。『君のピアス穴は私が開けた』。『君のピアス穴からは視神経の糸を引っ張り出せる』。『糸が切れれば君の視力はなくなる』。理解できたかな? のろまは要らないよ」
私が頷くと、レイは笑顔で白い糸を手放した。掃除機のコードみたいに、一気に私の耳の中に舞い戻ってくる。
「さて。じゃあこんな部屋は早々に引き払って、私の部屋に来てもらおうかな。君は私の助手ということにして、表の仕事も手伝ってもらうよ。もちろん」
レイの指が耳たぶに触れる。開いた穴からは主人に這い寄るように白い糸が顔を出す。
「いつでも君の視神経はぶち切れるから、変な気は起こさないでね」
それからずっと、私はレイに糸で支配されていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます