河童懲罰ライタ(゛)ー

 未来のことでありました。

 ある娘が風化コンクリートの足場をひょいひょいと渡りながら、水没したビル群の中から金目のものを探しているさなか、もろいコンクリートを踏んであっと声を上げる間もなく海の中へと落ちてしまいました。

 海面上昇でビルを呑み込んだ海の中では溶け落ちた建造物と波が生み出す不思議な海流が生じており、運の悪いことに娘は海中の建造物跡へと吸い込まれる流れに呑まれ、息もできぬまま海中の迷宮じみたコンクリートの残骸の中へと流されていったのでした。

 娘が目を覚ますと、ぴちゃぴちゃと水の跳ねる音がします。どうやら海中でお陀仏となったわけではないようだと胸を撫で下ろします。

 見渡すとビルの中のようでした。もとはテナント待ちのオフィスフロアか何かだったのか、だだっ広いだけで特にめぼしいものは見当たりません。傾いたフロアの半分は水没し、窓ガラスは当然全部割れてはいましたが、隣の建造物がもたれかかってきているせいで脱出するには難儀しそうです。

「ご無事ですか」

 急に声をかけられ娘はぎょっとします。

 声をかけてきたのは河童でした。

 全身を覆う甲羅のような装甲。水かきのついた鋭い手。顔を覆うのはシャープではあるが甲冑を思わせるフルフェイスのマスクに巨大なライトと視界確保を兼ねた複眼。嘴のように口元を防護するクラッシャー。

 なにより腰に取り付けられたドライバーの中で回転する皿。

 まさしく河童そのものです。

 娘は河童を見るのは初めてでした。話に聞くことはあっても、昔話やおとぎ話の類いと思って取り合ったことはありません。

「あなた、河童」

「はい。私は河童です」

 河童の声は、娘と同じ年頃の女のものでした。河童にも雌雄があるのだと娘は初めて知りました。

「あなたが私を助けてくださったの」

「はい。目の前で溺れて死にそうでしたので」

 ああやはり、河童は水の中に棲むのだわと娘は驚きました。

「あなたはいい河童なのね」

「いい河童などおりません」

 河童は娘に向かって頭を垂れました。

「懲罰された河童だけがいい河童です」

「懲罰――」

「腕をお切りください」

 河童がドライバーをタップすると、皮膚装甲が隆起し、無骨な鉈が排出されました。

「でも、どうして? あなたはなにも悪いことをしていないでしょう」

「河童は懲罰されるものなのです。我々は〈大断絶〉以前のミームを啜ることで生きながらえる術を手に入れた浅ましい種族なのです。我々は河童としてあるべき姿と行動を取らなければならないのです。この概念形成体の構築を持続させるためには河童のミーム拡散、自己承認を繰り返さなければなりません。どうか、それで私の腕をお切りください」

 娘は怖々、河童が作った鉈を持って、えいやっと河童の右腕に振り下ろしました。

 河童は恭しく、自分の落ちた右腕を娘に差し出します。娘が腕を受け取ると、河童は歌うように口を開きます。

「慈悲深い娘さん。もう二度と悪さはしないと誓います。ですのでどうか私の腕を返してはくれませんでしょうか」

 娘はこくりと頷き、河童の腕を返してやります。河童は腕をもとあった場所に押し込むと、もう元通りに動くようでした。

「このご恩は決して忘れません。では外にご案内いたします」

 そこで娘は、自分がこの河童のためにこの場に閉じ込められていたのだと気付きます。

 河童は概念形成体の兵装でビルの壁を破壊すると、その隙間から娘を抱えて外へと飛び出します。

 河童は深々と礼をして、海の中へと姿を消しました。

 さて翌朝、娘が家代わりにしているビルの残骸の中で目を覚ますと、入り口付近から生臭い臭いがしてきます。

 何事かと様子を見に向かうと、上手に締められた魚が数匹、転がっています。

 これはきっと昨日の河童のお礼に違いないと、娘は貴重な食料をありがたくいただきました。

 そんなことが数日続いたので、娘は近くの居住者に魚を奪われないよう、鉄でできたポストを入り口に置いておくことにしました。

 その翌日、娘が目を覚ますと、目の前に背の高い女が無言で立っていました。

 年頃は娘と変わりませんが、この残骸の街に暮らしているとは思えぬほど、身なりの整った女でした。

「鉄は困ります」

 女は娘が自分を見上げてぎょっとしたのを見て取ると、短くそう言って手に持った魚を地べたに置きました。

「あなたは、あの時の河童なのね?」

「はい。河童です。非定向編集体河童のミームライダー適合者。河童は鉄を嫌います。伝承に則り、今は河童であることを停止しています」

「驚いた。こんなに綺麗な人だったなんて」

「ですが懲罰と解放、その返礼、そして忌避すべき品物による撤退。これらを経たために私のミームライターとしての機能は当面の間十全な安定が予測されます」

「ねえ、あなたお名前は? 私は――」

 娘が名を告げようとする前に、女は河童へと姿を変え、娘の喉笛を握りつぶします。

「あとは水死体を一つ作っておけば河童のミームライター作業は完了です」

 河童の言った通り、このあと娘の土左衛門が上がり、きっと河童に殺されたに違いないという噂は広まります。

 河童が生きながらえるために、河童が河童であるために。

 その残滓を啜る醜い怪物は、今もまだ生きています。

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