時代回廊

 今日窓の外に見えたのは、景気よく燃える町並みだった。

 カナは焚き火でも眺めるように燃える町を見ていた。熱気は全く感じず、窓のはめガラスは音一つ立てない。

 ここから見えるのは確かに外の光景であるが、このどこまでも続く回廊とは完全に切り離されている。隣接するが、決して触れることのない、本来の時空から隔絶された場所。

「なにを見ているんです」

 間延びした声で、ハルが回廊をとぼとぼと歩いてくる。カナは慌てた。ハルは自分の町が跡形もなく燃やされている。

 ハルは慌てたカナの顔を見て力なく笑い、同じ窓を眺めて「ああ」と嘆息した。

「カナさんはもう少し観察することを覚えたほうがいいですよ。この町並み、どう見ても昭和じゃないです。おそらく江戸時代。無数にあった大火のうちのどれかでしょう」

 そうだとわかっても安堵することなどできない。炎の記憶はきっと、ハルの根底を燃やし続けている。

「大丈夫ですよ。あの空襲から十九年も経っています。当時の私なんて、本当に小さな子供でしたから。正直、あんまり覚えていないくらいです」

 カナは眠っているハルが何度も悪夢にうなされているのを知っている。熱い、熱い、と何度も譫言を繰り返し、身体中が汗と涙でぐっしょりと濡れてしまうのだ。

「ああ、でも、ここで『何年経った』なんていう話は意味がないですね。ねえ、また聞かせてください。2020年の話を」

 ハルはまだやめようとしないのだな――あまりのも不毛な、互いの時代についての語らいを。

 ここはあらゆる時代と繋がり、決して交わることのない異界。カナとハルは、単に「回廊」と呼んでいる。どこにも部屋はなく、だが屋内であり、あちこちに伸びているのに、出口はどこにもない。

 カナは2020年からこの回廊に迷い込んだ。そうした人間は、数は少ないが存在する。昭和三十九年――1964年から迷い込んだハルもその一人だ。

 この回廊に時間はない。前に歩けば過去に行き着き、横に飛べば未来を写す。カナとハルは、永遠に時の移ろいを眺める、時の外に弾き出されている。

 外に出る方法は、ここにきた時に頭に入っていた。そのために、カナとハルは同じ回廊に囚われたのだともすぐに理解できた。

 どちらか一方を殺せば、殺した相手の時代へと解放される。もともとここは時間旅行のために作られたアミューズメント施設だったのかもしれない。いつの間にか回廊は一人歩きを始め、時から外れて生きたい者を吸い寄せる魔窟と化した。

 だから、カナはハルに輝かしい未来の話をする。彼女が2020年に行きたいと願うように。本当は――少なくともカナにとっては――地獄のような世界だったとしても、ハルが目を輝かせてくれるのなら、偽りの憧憬をいくらでも植え付けてやりたかった。

 ハルもまた、カナに自分の時代の話をした。戦争が終わり、今や目覚ましい復興のまっただ中である1964年の話を。確かにカナにとっては、みなが活力に満ちた魅力的な時代のように聞こえた。カナの時代の老いた大人たちはみな、その時代の素晴らしさを喧伝している。だからカナもさらに嘘を重ねる。2020年だってすごいんだよ――。

「ねえ、カナさん」

 建物を燃やし尽くしたあともまだ煙が立ちこめる町並みを眺めながら、ハルが小さく呟いた。

「どうして嘘を吐くんですか」

 カナはハルと並んで燃え落ちた町を見たまま、息を詰まらせた。

「どうして、そう思ったの」

「この回廊のルールは、私も知っています。もしカナさんが助かりたいのなら、2020年がいかに悲惨な時代かを私に語って聞かせるはずです」

「私は、ハルに助かってほしかったから」

「カナさん、私も同じです。私たちは、そっくり同じなんですよ」

 回廊に迷い込む者は誰しも自分の世界に絶望している。そして口を揃えてこう言うのだ。「時代が悪い」――

 この回廊に入った時点で、生命は終わっているのと同じ。相手を殺すということは、相手を永遠にこの回廊へとつなぎ止めてやるということである。

 だけど異なる時代への憧憬は、人を衝き動かす。互いが自らの時代を嫌悪しながらも、上辺だけの輝かしい時代への憧憬を相手へと植え付ける。そして待つ。相手が自分を殺すことを。

 相手は羨んだ相手の時代へと解放される。その時知るのだ。相手の語ったことが、嘘ばかりだったと。

 カナはハルに絶望してほしかった。復興を遂げたはずの国が、内部からも外部からもガタガタに崩れていく、カナが絶望したその時代を目の当たりにしてほしかった。騙されたと気付いた時にはもう遅い。ハルは2020年に置き去りにされ、カナは永遠に回廊の中に漂い続ける。

 驚くべきことに、ハルはカナの考えとそっくり同じ自分の考えを、はにかみながら伝えてきた。

 ああ、畜生。

 手の内がバレていただけじゃない。相手も全く同じことを考えていた。そして、そんなことを知ってしまっては、もう互いに手出しはできないではないか。

「だから、カナさん。もう嘘は吐かないでください」

 カナの謀略を見抜き、自分も同じ謀略を巡らせていたハルが、不気味なほど優しく口を開く。

「私、カナさんと一緒なら、いくらでもここにいられます。私たちが回廊に囚われたのは、きっとどんな時代からも排斥されたからなんです。ねえ、だから、話してください」

 ああ、話してやるとも。私の時代の汚穢を、私が時代へと抱いた憎悪を。

「高らかに呪いましょう。お互いの時代を。そしていつか、全ての時代を」

 回廊にいつまでも残る二人は、睦言のようにこの世を呪い続ける。回廊は、次のフェーズへと移行した。

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