第6話
あちこち散々走り回って、でも、若菜の気配は全く感じられず、もう諦めてしまおうと思い始め――。諦めるとしても、ひとまずは休憩しようと立ち寄った二番街の外れの、手入れもされなくなった小さな稲荷神社。
そこに若菜はいた。
賽銭箱の近くで膝を抱えて座っている。
釈迦の掌の孫悟空? いや、せいぜい灯台下暗しって所か。
若菜って、二番街はあんまり行きたがらないので、探そうと思わなかった。
諦めた途端に出てくるとか、まったく、コイツは、もう……。
若菜が俺の気配に気付いているのは雰囲気から分かっていたので、俺は無造作に近付き――。
「夏休み、もうすぐ終わるぞ」
はは、と、若菜は力無く笑って答えた。
「センチメンタルでメランコリックな女の子に向かって言う第一声が、それか」
若菜の隣に、足を投げ出すようにして座る。丁度良い背凭れがなかったので、若菜の左肩に背中を預けて寄り掛かった。賽銭箱の成れの果ての近くで、場所が狭いので丁字型で座る男女。
それはそれでドラマチックなのかもしれなけど、当事者的にはなんとも言い難い。台詞の書かれた台本がどこにもないんだから、ロマンを求められても困るっからだ。
両手を自分の腰の辺りについて、仰け反るようにして神社の瓦の剥げた屋根を見上げる。屋根の隙間から、夏の星が見えた。
若菜の顔は見ない。
別に、涙の跡があるとか、目尻に光るモノがあったとか、そういう理由じゃない。ってか、若菜はそういうタイプじゃない。……と、思う。
少なくとも、泣くほどの事があったなら、涙の前にその原因をぶっ飛ばしてるはずだ。
「自転車?」
「いや、歩き。若菜の居場所に自信がなかったしな。どこへでも行けるように」
実際、俺の中学の裏の山の近くの細い畦道とか、二番街へのショートカットである建材置き場跡なんかの、整地されていない場所も通ったし。っていうか、この廃神社へも階段があるから自転車では登れないだろうに。
……帰りは、二人乗りでもしようとか思ってたのかもな。もし期待していたのなら、おんぶとか、その辺で手を打ってもらおう。
若菜は、少しだけ笑って答えた。
「私は猫かなんかか。年頃の女の子が、藪の中にいるとでも?」
「打ち捨てられた神社も似たようなものだ」
神社の周囲を囲むようにしている林は夏の緑が濃く、人を遮るような高く伸びた雑草が目立つ。境内にも、砂利の間を縫ってタンポポやエノコロ草が伸びている。
若菜の微かな笑い声が、どこか自嘲するような色を帯びた。
「アンタ、私の許婚なんだよ。……なんでしょ? 他にもっと言うこと無いかなぁ」
肩越しに振り返るようにして若菜の方に顔を向ければ、鼻がぶつかる距離に若菜の顔があった。
ほんの少しだけ、顔を傾けるだけでキスが成立する。
うん、そういう雰囲気だった。
だから、魔が差した。
「……愛してる」
真夜中の捜索で疲れていたせいもある。
まあ、それだけってわけでもないが。
一歩進んでそれから同じだけ下がるような毎日に、飽きてきていたのかもしれない。
誰よりも近いのに、俺と若菜の関係には、自分達で決めたわけでもない許婚ってラベルが張られている。好きか嫌いか、じゃなくて、好きで当然みたいなそのラベルが気に食わなくて。……でも、じゃあ、それを剥がしたら、俺達はなんなんだろう?
好意を伝えれば――、応えてくれるような気が昔からしていた。
でも……。
「本当に?」
訊き返してきた若菜の顔には、余裕がある。
本気だと思われていないってわけじゃなく、でも、切実じゃないっていうか、愛してるって言葉でも、俺達は何も変われないって、それを分かっているような……。
「わかんねぇよ。何年一緒にいると思ってるんだ」
ぶっきらぼうに言えば、若菜は詰めていた息を吐き、どこか安心したような笑顔で答えてきた。
「物心ついたときから、ずっとでしょ?」
あーぁ、と、若菜が夜空に向かって大声をあげ、立ち上がった。
背中の支えがなくなって、体温が離れたことにもはっきりと気付く。
少しだけ姿勢を正して、でも、俺は立ち上がらずに若菜の顔を覗きこんだ。
「私達ってさ。周囲に振り回され過ぎ。もっと、放っておいてくれたらさ……温かく見守るとか。そういうのだったら、もっとすんなり収まるところに収まったと思うのに」
許婚についてというか、多分、男女の仲的な意味でだよな? 話しの流れ的に他の余地は無いんだけど、さっき俺ははっきりと愛しているといっている手前、こう、直接的な言及がないと、なんだかはぐらかされた感が出てしまう。
「恋愛の話だからね」
俺の微妙な顔には気付いていたのか、若菜が腰を曲げて、俺の目の前に人差し指をつきだした。
寄り目になって指先を見詰め、俺は頷く。
「多分、好きあってるでしょ?」
それは――、その、さっき言った通りなんだけど……。
そして、その好きの質って言うか、混ぜ物っていうと変だけど、周囲にそうなるように誘導された部分確かに存在していて、その本人達以外の要因が、俺も若菜も最後の一歩で迷っている理由も同じ。
なんだけど。
「……匠、女だったら誰でもいいの?」
返事に間があったせいで、若菜から真冬の視線を送られてしまった。
「そういうことではないが」
こういうのは、やっぱり、ノリとか雰囲気とか、そういう起爆剤が必要だと思う。そして、俺の中のそういうエネルギーは、最初の『愛してる』でもう尽きている。
その……何度も確認しないで欲しい。
「優柔不断!」
焦れたのか、短く叫んだ若菜に押し倒された。両肩を若菜の細い指で強く締め付けられ、体重を掛けて地面へと押し付けられている。
完全にマウントポジションを取った若菜が、こん、と、額と額を重ね合わせて、ニヤリと悪女風に笑った。
「ここでいたすのと、いたさないのでは、どっちが一族連中は困るかな?」
返事に困っていると、カプッと鼻を噛まれた。いや、歯を立てられていないので、噛まれたというよりは唇で挟まれたが正解かもしれないけど。
てか、鼻って……。
「そんなとこ、噛むな」
「マズイ」
ペッと唾を吐いた若菜に、眉を顰めて言い返す。
「美味いわけあるか」
「食えない男?」
「そういう意味の言い回しじゃないからな」
今度は、舌を少し出して……ああ、いや、あっかんべーをしたのか。ちょっと、いや、んんう、その流れ的にアレだったので、身構えてしまったんだけど……。
くそう、男子を舐めるな。物理的な意味でも。
戦ってる時なら密着されても意識しないんだけど、戦闘のスイッチが入っていない状況で押し倒されている――普通は、男と女の位置が逆なんだろうが――から、俺も今は普通の男子なら考えてしまうようなことを……⁉
若菜は――残念ながら、幼馴染パワーを充分に使いこなせているようで、俺の葛藤を正確に読み取ったらしく、かなりはっきりと弱みを握ってやったぜ、という顔をしあがった。
「じゃあ、別の意味で食ってやろう」
ほ、本気でこっちの期待に応える気かよ。
俺の自制心が負けたらどうする気だ⁉
てか、いいのか⁉
ほんとに、その……。
混乱しているだけの俺は、抵抗するのかしないのか、抵抗していいものなのか、全く判断がつかずに硬直し――。
若菜に唇を軽く舐められ、そのまま口を軽く開けると、舌を入れられた。若菜の舌が、俺の舌に絡まる。
他に例えようが無い、不思議な感覚だった。
もう、いっそ、このまま――。
全部がどうでもよくなって、流されてしまおうとか思い始めた瞬間だった。
「あはははは」
上体を上げた若菜が、不意に高笑いをあげた。
目を瞬かせている間に、若菜は少しセンチな顔になって、ちょっとだけ申し訳無さそうに俯いた後、ごめん、と聞こえるか聞こえないかの声で告げ、少しだけ雰囲気を変えてから続けた。
「意気地なしは、一族の遺伝なのかもね」
色々と……納得がいかないけど、もう、そんな雰囲気でもなかったので、若菜が俺の上からどいてすぐに立ち上がり、再び正面から向き合った。
「匠、ハグしてよ。ギュッと。今日は、それで帰ってあげる」
舌まで入れたくせに、最後はハグとか随分とアンバランスじゃないか?
でも、まあ、それでも良いかな、とか思いながら若菜を強く抱きしめた。
普段隠している若菜の本心に、昨日よりも近づけた気がしていた。
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