第4話
夕飯には早い時間だけど、両親の帰宅後の夕飯が十九時~二十時頃になるので、成長期で、しかも運動の強度の強い俺等としては、十六時は軽く――とはいえ、牛丼の大盛り程度がデフォだけど――なにか腹に入れたい時間ではある。
そこは否定しない。
でも……。
「高い」
ウェイトレスの背中が見えなくなってから、俺は若菜にはっきりと言ってやった。
「いきなり文句言ってんじゃないわよ」
若菜は、素知らぬ顔でメニューを開いている。
まあ、もう店に入ってしまっているので、今更出るわけにもいかず、俺も逆さまのメニューを眺めながら……。でも、やっぱり愚痴までは止められなかった。
「っていうか、俺も若菜も量を食うんだから、二番街の定食屋通りの方が良いと思うんだけどな」
この町には、そこそこ栄えている駅前商店街と、そこから俺達の中学を挟んで正反対の位置にある……正式名称はなんだか、長ったらしい名前だった気がするが、もう誰もそれを覚えていない、どこかうらぶれたような商店街――通称、二番街――のふたつの商店街がある。
イメージ通りといわれればそうなんだが、俺は、小洒落てはいるものの、どこか無理に背伸びした感じのする駅前商店街は苦手だった。一応、全国展開する百貨店のビルとかスーパー、口コミサイトに乗っているレストランなんかはあるんだけど……。
どうも、外側だけ飾り立て、中身はスカスカで、なのに高いっていう――この店の料理もそうだが――のが性に合わない。
「あっちは、なんかちょうっと怪しい。……ってか、匠! 女の子連れて、煤けた定食屋へ行こうとするってどうなの⁉」
まあ、怪しいという部分は否定できない。二番街は、中央の通り以外は自転車がギリギリ擦れ違える程度の細い路地が多く、長年住んでいる人間でも時には迷う。
うん、そこは同意できるんだが……。
なんか、いまいち基準が分からないな。
現に今日だって、服を買うとか言ってた割には、長時間いろいろと試着しただけ。積極的に売り込んでくる店員を袖にしつつ――まあ、俺が乗り気じゃなく、店の人が『彼女さんに良く似合っていますよね?』とか、訊かれても『ああ、そう』としか返せなかった。ので、そういう点では若菜もやりやすかったようだけど――、結局最後には秋のセールを狙うわ、なんて俺に耳打ちしてきていたし。
適当にふらふらして、なにか食うだけなら、俺は二番街に行きたかった。
若菜が、工事現場の作業員か! と、つっこんでくる俺の普段着のズボンなんか――税抜き千四百九十円――を扱う程度の服屋ならあるんだし。
「ザンギ定食好きなくせに。ご飯とキャベツ、大盛り変更が無料だから」
口の端に皮肉っぽい笑みを乗せて、どこか無理してお洒落な女の子をしようとしている若菜にからかいの眼差しを向けると、昭和の親父のテーブル返し的なジェスチャーで、短く叫んだ。
「話がちっがーう!」
店には、家族連れっていうか、小さい子供とその母親らしき連中の集団もいたので、多少大きな声を出しても全然目立ちはしない。若菜もそれを分かっていてハイテンションで言い返してきたんだろうけど……流石に俺はそのテンションに合わせられるタイプの人間じゃなかった。
「どのように?」
「男女の関係的に!」
いつもの口調で訊き返せば、テーブルに身を乗り出した若菜に力強く断言された。
男女の関係って……。
目が合って……なんとなく、男女の関係からお互いにいろいろと考えてしまって……三秒後、同時に顔が茹で上がってしまった。
ドスンと、椅子の背凭れに深く身を預けた若菜。
「なに食べよう?」
どちらかと言えば、顔の赤さをフォローするつもりで訊いたんだけど、若菜は俺の配慮を逆に解釈したみたいで、ジト目で俺を見つめてきた。
いや、これも照れ隠しの一環か?
「てか、アンタさぁ。ほんとに、もう。女の子と食事に行ってだよ? 定食屋を勧めるってどうなの?」
拙いな、再びのお説教モードだ。照れ隠しの色は薄い。
こうなったらなったで、いつものムカつかれ方とは別のめんどくささがあるんだよな。
俺は急いで話題を変えようと、開いてあるメニューの、俺の方から一番目に付きやすい場所にあったパスタを勧めてみた。
「あ、ほら、若菜……パスタ。ほら、ナポリタン。きっとお洒落だ」
洋食だから……とは、付け加えそうになったが飲み込む。そういう発想がダメとか言われそうだったし。実際、前に言われたことがあったし。
しかし、若菜は余計にヒートアップしてしまった。
「着飾った女の子に! ソースが飛びそうなものを勧めるなぁ!」
……これは。……ちょっと、無理かもしれない。
話を邪魔する意思は挫かれたけど、あんまり意味のある話じゃないし、今までもよく言われていることなので、適当に聞き逃す。
若菜を真似たわけじゃないけど、俺も椅子の背凭れによりかかって、我慢しきれなかった溜息を静かに吐いた。
「……なんて顔してんのよ」
しばらく喋り続けていた若菜だったけど、俺が聞いていないことに気付いたのか、思いっきり不満そうな顔を向けてきた。
「前から言ってるんだけど、毎回こんな感じになるなら、無理に連れ出さなくていいのに」
「匠が、ちょっと考えれば良いだけだもん」
怒鳴る感じの怒り方ではなくなったが、機嫌はまったく直っていない。
「はいはい」
俺が言えるのはここまで。
ここで、若菜が思っている通りの行動をどうして俺がしなくちゃいけない? って返すと、余計に話が長くなる。
「バカ。ムカつく。全然分かってない癖に」
そんな全然分かっていない相手といつまでもこうしている若菜は――、随分と物好きだと思う。
若菜は負けず嫌いだし、分からせてやるって、意地になってる部分もあるのかもな。
ふふん、と、鼻で笑う。
一拍の間も無く、それを見咎めた若菜にお絞りで撃退されてしまったが。
結局俺は一番安いセットメニューを頼み、若菜はペペロンチーノ、チキンフリット――ほぼ、唐揚げだろ、これ――、クレープを単品で注文した。
そして、会計を終えて、店を出る頃には、また普通の空気に戻っていた。
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