第3話

 額に浮かぶ汗を手の甲で拭う。

 アスファルトの照り返しが眩しい。

 山と違って、この辺りはまだまだ夏だ。


 昼食を済ませた後、本当に言葉通り若菜は俺を外へと連れ出した。盆を過ぎたとはいえ、一日で一番熱い真昼間の十三時半に、だ。

 まあ、お互いに鍛えているんだし、そう簡単に熱中症にはならないはずだけどさ。

 ちなみに、風呂上りに外出着まで若菜に指定されていた。

 梅雨頃に買わされた若菜指定のタイ付きのポロシャツに、デニムのズボンを合わせ、財布だけポケットに突っ込んでいる。

 若菜は――女子の服の名称なんて、全然わかんないんだよな、俺。タンクトップみたいなのを中に着て、ひらひらした裾の長い半袖をその上に着てる。熱くないんだろうか? もっとも、下は膝のちょっと下までが隠れる……ええと、軽い感じのズボン? なので、そっちは俺より涼しそうだけどさ。

 ああ、あと、たいして物が入らなそうなかなり小さいバッグも持ってるか。打矢も隠せなさそうな、ちんまいバック。いったい、何を入れてるんだろうか?


「なんかさ」

 駅へと続く商店街で、不意に若菜が口を開いた。隣の若菜へと顔を向ける。若菜は、小さい塾の中――ガラス張りになっていて、通りからは死力を振り絞る夏期講習の生徒の勇姿が、まるで動物園の檻の中を覗くような感じで見通せる――を見詰め、ちょっと得意そうに鼻で笑って続けた。

「優越感あるよね。人が勉強しているのを尻目に、夏を満喫できるとさ」

 若菜は、やっぱり性根が悪いと思う。真面目に夏期講習を受けている学生を見るなり、そんな台詞が口から出てくるんだから。

 俺も、あんまり必死に勉強するのもちょっとどうかと思うが――死ぬ気で勉強してレベルが高すぎる高校に受かっても、授業についていけなかったり、学年で下から数えた方が早いような成績になったらやさぐれそうだし――、本人が好きでやっているなら、外野の自分がとやかく言うつもりは無い。

「それで足元掬われたりしてな」

 言った後で、またムカつかれそうな言い草だったかな、と、不安になった。けど、若菜は両手を腰に当てて、どこか呆れた様子で俺を見上げてきた。

「落ちるわけないじゃん。模試の判定、分かってるの?」

 あれ? さっきみたいな切り返しは良いんだ?

 ……テストの回答より、若菜の扱いに関する正解不正解の方が何倍も難しいな。

 ふん、と、鼻息も荒く俺を見据える若菜に、そうだな、とだけ返して俺は再び視線を前に向ける。

「……その、匠は、さ」

 が、若菜に強制的に向かい合わされた。

「もう少し上の高校を狙ってたりするの?」

 こちらの小さな動揺まで見逃さないようにとでもいうのか、若菜は瞬きもせずに真っ直ぐに俺を見ている。

 高校に関しては、特に思う所もないので、俺は気負わずに答えた。

「難しい」

「ん?」

 分かっていなさそうな若菜の顔。

 いや、俺の言った意味とは違う方向に受け取ったのか。若干だけど、軽くバカにするような感じの笑みも浮かんでいるし。

「ああ、いや、学力的なのじゃなくて。一~二ランク上の高校なら合格圏内だし、ちょっと頑張れば行けるだろうけど……遠いしな。駅の側で通学しやすい所となると、俺等がとこか、県で一番の進学校だろ? 流石にそっちを目指すほど俺は自信家じゃない」

 田舎って、不便だと思う瞬間だ。

 近くに丁度良い高校があるなら、そっちにしたいという気持ちはある。でも、通学に一時間半とか掛けたくも無かったし、どうにも帯に短し襷に長しって感じのが多い。

 それなら、波風を立てずに、高校までは素直に親の言うことを聞いてやってもいいかな、って思ってる。中学よりは上の学校と言ったって、大学と比べれば全然不自由なんだろうし。


「……まあ、県内一の進学校は、今時珍しい男子校だしね」

 若菜の返事には、含みがあるって言うか、言葉ある棘が全然隠れ切れていなかった。

「なにが言いたいんだ?」

「べっつにぃ。許婚の私は、物分りがいいんだしぃ」

 若菜の天然な切り返しで終わったと思っていた話だったが、どうもしっかりと根に持っていたらしいな。『ただの』にアクセントを置いている辺り、悪意が満載だ。

 腕組みしてちょっと顎を引く。

 ……ええ~? 俺がなにかフォロー考えなきゃいけないのか? ったく、悪いことなんてなにもしていないってのにな。

 歳をとってくると、こんな逆男女差別もあるから、イマイチ女子って苦手なんだよな。めんどくさいことこの上ない。

 溜息は、見咎められる。

 だから、皮肉を満載した能面風の満面の笑みで、俺は持てる語彙を総動員して若菜を褒めた。

「若菜は可愛いから、俺じゃ相手にならないと思っただけなんだ。ほら、俺には服のセンスが無いとか、いっつも言ってるだろ? 綺麗でスタイルの良い若菜には、イケメンが似合うんじゃないかなって」

「匠って、口ばっかり達者になっていくよね」

 嘆息し、冷めたような声で言い返してくる若菜。

 誤魔化せると思って口にした台詞なんじゃないし、気付かれるのも織り込み済みだ。っていうか、わざと気付かれる態度で言っているんだし。

「誰のせいだよ」

 いつもの口調に戻して俺は肩を竦めてみせる。

 が、ものの一秒で若菜に突っかかられた。

「私のせいだって言うの?」

 当たり前だろう! と、口に出せない分、心の中で大きく叫ぶ。

 超古典的だが、小学校へ入るか否かって時期に手袋を逆から読んでと言われて、ろくぶてと言ったら六回殴って来たのは若菜だった。中学になったらなったで、法隆寺を造った人は? と訊かれ、聖徳太子と答えれば、大工だと言い返されて今に至る。

 こっちだって、色々と考えるだろ。言い負かされてばっかりってわけにも行かないんだから。

「あったまきた⁉ 今日は、とことん付き合ってもらうからね!」

 俺が言い返そうが言い返せまいが、どうせすることは変わらなかっただろうに、あくまでこっちの責任としたいのか、若菜が胸を張って宣告してきた。

 はいはい、と、応じれば、はいは一回、と、腰を叩かれ――。そのまま駅へと向かう足取りを急かされる。


 こうした言い合いって言うか、遣り取りが、お互いの関係になにも影響を与えないって分かってる。それだけの時間を二人で過ごして来た。

 どう足掻いたところで、許婚は許婚だし。

 従姉妹は従姉妹だし。

 同じ道場の門下生なのも一緒。

 辞められないし、変えられない。

 今はまだ、自分達の意志よりも強い部分でルールに縛られている。

 諦めによる部分も、無いとは言い切れない。

 でも、長い時間を二人で過ごしているうちに、自然と色々な気持ちが共有出来るようになってきていた。

 ……本音が透けて見えるから、いつからか、本気の喧嘩もしなくなっていた。

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