第4話
「キャ」
「キャー、か?」
悲鳴にしては短いし伸びもない声に首を傾げてみせると、若菜は勢い良く立ち上がって、拳を握って宣言した。
「キャンプファイヤーする。朝まで、煌々と!」
「寝ろ」
若菜の肩を掴んで――、まあ、成り行きとして、さっきと同じ位置に若菜を寝せる。寝るには近過ぎる距離だけど。
「寝れるか! バーカ、バーカ! あっ! 懐中電灯は? 手元に置いといてよ!」
荷物を漁ったり、打矢を枕元まで持ってきたりと、テントの中を忙しなく動き回る若菜。
しくじったな、ちょっと脅かすだけのつもりだったのに、非常にめんどくさいことになってしまった。
それから十五分後。
一頻り騒いだ後、俺の右腕をしっかりと掴んだ若菜は、ようやくタオルケットの中で大人しくなった。
が、やっと寝れるか、と、目を瞑ろうとしたところで、耳元で若菜に囁かれてしまう。
「っていうかさ。匠は、誰からそんな話を聞いたの? 男子がするような話とは思えないんだけど?」
怪談を聞いていた時とはまったく別の、冷え切った視線を俺に向ける若菜。
しかし――。
「そうなのか? 普通にクラスの口数の多い男が、自習かなんかの時に大声で喋ってたんだけど」
期待を裏切る? と、いうと語弊がある気がするが、若菜の予想に反し、俺にそんな怪談を聞かせる異性の友人はいない。
っていうか、必要以上にクラスメイトと仲良くする気もないんだよな。体育会系の男は、格闘技をやっているって知ると、ふざけ半分で殴りかかってきたり、勝負だとか騒いだりするので大嫌いだったし、女子は女子で俺を怖いと思っているのか、必要以上の会話をしたことも無い。
若菜と違って、俺はそんなに社交的じゃない。若菜以上に俺を知っている人間は居ない。
「真っ暗じゃないから……近付けば、嘘吐いてる顔なのか、分かるんだからね」
不貞たような声の後、若菜の顔が、十センチぐらいの距離まで迫ってきた。息が、少し掛かる。ランプの色が橙のせいか、若菜の顔色までははっきりと分からないけど、どこか作り物のような不機嫌が若菜の顔に浮かんでいる。
若菜は、長い時間俺を見つめていたけど、俺が嘘を吐いているかどうか、口にしなかった。
嘘じゃないと理解してくれたのかどうかは、分からない。
でも、別に、どっちと受け取られても良いか……。
「若菜は、さ」
「ん?」
まさか反撃されると思っていないのか、無防備な表情が目の前に迫る。
「男子がなにを話すか、分かるんだ?」
皮肉っぽい笑みを口の端に乗せ、冷めた目を向ける。
男子がしそうに無い話と推理したってことは、こういう話をしない男子が若菜の身近にいるんだろう。
そんなのは、別に、俺がとやかく口出しするようなことでもないけどさ。若菜が誰と仲良くするか、なんて。
「……悪いの?」
「別に。若菜の自由だよ」
俺達は、従姉妹で――ただの許婚だ。昔からずっと一緒にいる幼馴染だけど……恋人なんかじゃない。
「なんか、ムカつく。その言い方」
咎めるような目で俺を睨み、本気で怒っている時の声を出す若菜。
「そう?」
正面から受けてたっても、無駄な労力が掛かるだけなので、俺は適当にはぐらかした。
若菜は、軽くあしらわれたことには気付いているみたいだったけど、寝る前だったし言い争う気分でもなかったのか、案外あっさりと引き下がっていった。
「そうなの! だから、もう言わないでよ。私に、……関心がないみたいなことは」
ふん、と、鼻で答えて、若菜に背中を向けようと寝返りをうとうとしたが、若菜に肩を強く捕まえられた。ほっそりとした若菜の指が、骨に食い込みそうなほど強く俺の肩を握っている。
「私は、ね。ただの許婚だけど、匠が、他の女の子と仲良くしてたら嫌なんだ。自分がされて嫌なことを、私が匠にするわけ無いじゃない」
若菜の額が、俺の額とぶつかる。顔と顔の距離は十センチ未満だ。もっとも、『私が』にアクセントを置いておく辺り、若干悪意があるようにも感じてしまうけど。
「……悪かったよ」
意地を張ることでもなかったし、俺は折れた。
うん、と、頷いた若菜は握っていた俺の右手を一度離し、次の瞬間、指を絡めて恋人繋ぎに握りなおしてきた。素直に、指を絡めて握り返す。
「ソクラテスも言ってたじゃない。悪法も法なり、って。勝手に破ったら、ダメなんだから、ね」
ちょっと眠くなってきているのか、若菜の声が少しぐずっているような調子になっている。いや、繋いでいる手もかなり暖かいし、この話も明日には覚えていないんだろう。
起きてようとする時ほど、ちょっとした睡魔に引き摺られる。まったく、アレだけ騒いだくせに、結局先に寝付くとは、ずるいヤツだ。
息を潜め……若菜が眠りに落ちていくのを静かに見守る。薄く開けられていた目が閉じ、タオルケットのふくらみが規則正しく上下し、握られている手に掛かる力が抜けやや重みが増す。
若菜が完全に寝入ったと確信したから、更に呼吸三つ分の間を空け、俺は小さく囁いた。
「若菜、本当は、ソクラテスはそんなことを言わなかったって知ってた? 悪法も法なりは、教師が生徒に命令するための方便さ。日本以外の国じゃ通じない。ソクラテスは、ただ生きるのではなく、善く生きると言って、自分の哲学に従ったのさ。……だから、俺は――」
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