第2話

 俺と若菜は、勝手にだけどアレを鬼と呼んでる。他に、上手い呼称が思い浮かばなかったし。

 幽霊……とは、また少し違うもののような気がする。人のような気配があるんだけど、もっと別の原始的な野生の動物のような気配の方が強い。

 多分、俺達とは全く別の次元の存在なんだと思う。ファンタジー過ぎる設定なのかもしれないけど。ただ、向こうからなにかされたことは無かったし、こちらからの攻撃も通じない。近付こうとしても近付けず、打矢を投げてもすり抜ける。そして、攻撃した場合でも、鬼は俺達に見向きもしなかった。

 俺と若菜には、見えてしまうというだけ。

「攻撃してこなくても、やっぱり怖いよ」

「そう?」

「うん。特に匠は、ふらふら付いて行っちゃいそうな雰囲気もあるし」

「なんだそれ」

 軽く笑いながら若菜を見るけど、若菜の顔は真剣だった。……いや、怯えて強張っているだけかも。


 初めてアレを見るようになったのは、小三の春休みだったっけ。

 二人してパニックになったのも、今では良い思い出だ。慌てて家に帰って家族を引っ張り出しても、両親にはアレが見えなかった。祖父母は……ちょっとよく分からない。さっき若菜に指摘されたので誤用かも知れないけど、な態度を取られることが多かった。そして、お盆に酒が入った時に爺ちゃんが喋っていた内容は、眉唾って言うか……どこまでが民間伝承で、どこからが真実なのか判断出来なかった。


「あんなのに付いて行って、どうするのさ」

 少し呆れた調子で言う俺だったけど、若菜からは怒ったような声が返って来た。

「分かんないけど……。分かんないんだもん」

「なにが?」

 若菜は、上目遣いに俺を見た後――頬を膨らませ、トン、と俺の胸に額をぶつけて顔を隠してしまう。

「匠のそういう所が」

 こっちとしては、そういう所がどういう所なのか、全然分からないんだけどな。若菜の発言は、基本的に難解だ。……いや、先人の言に頼るなら、オトメゴコロとはそういう物という見方もあるのかもしれないけどさ。

 ん――、とか、鼻を鳴らしながら夜の森を眺めていると、若菜にドンと胸を押された。仰向けに倒れるって程じゃないけど、状態は後ろに若干傾いでしまう。

 いきなりなんだ、と、非難の目を向けるけど、若菜は怯えた目で俺の発言を遮って捲くし立ててきた。

「今日はもうテントに入ろう。ほら、寝るの! テントに入って! 入るんだよ? ったく、たまには、素直に、来いっての!」

 鬼が森のどの辺に消えるのかを見届けたかったのに、今日もまた若菜は邪魔をする気のようだ。兄に甘える妹のような感じは最初だけで、最後は結局キレて俺を引き摺ってテントに入ろうとしているし。

 もしかしなくても、俺の狙いが分かっていて邪魔しているのかもな、なんて思いながら――。

「寝るんだよな?」

 枕元の、見た目だけは古風な電気式のランプの出力を最大まで上げた若菜に、ジト目で訊いてみる。

「明かりは消さないの! アレを見ちゃったんだから……ナンマンダブナンマンダブ」

 昨日までよりも大袈裟な反応をしているのは、今日は大きさこそ小さいものの数が大きかったからかもしれない。二日前のはキリンのような鬼で、その前は、巨大なクモみたいな見た目だったけど、どっちも一匹だけだったし。

 小さい虫が、ワラワラしているのを見てしまったような感覚なのかも。

「俺は真っ暗にした方が、寝付きが良いんだけど」

 愚痴だけは溢して、エアマットに寝転んでタオルケットに包まると、耳聡くそれを拾った若菜に倍返しされてしまった。

「バカ! 不意の夜襲に対応出来るように、豆球は点けとくんだからね! いつでも!」

 言うだけ言った後、反論も待たずに、しれっとした顔で横になる若菜が、ちょっと面白くない。

 明る過ぎて眠気が降りてこないのも面白くない。


 ……悪戯心が芽生えるまでの時間は短かった。

「なあ」

 寝てないのは息遣いから分かっていたので、呼びかけてみる。若菜が即座に喧嘩腰で返してきた。

「なによ」

「こんな夏の夜の事なんだけどさ」

「うん?」

 まだ俺の狙いが分かっていない若菜は、怪訝な顔を俺に向けつつも、話の邪魔をする気がないのか声を潜め、細い目で真っ直ぐに俺を見詰めてきた。

 ……ああ、怖いから、なにか話していられる方が安心するって心理なのかも。

 そういう信頼を裏切ることが出来ると思うと……、若干にやけてしまう。

 性根が悪いな、俺も。

「部活の後片付けに手間取って帰りが遅くなった生徒が、俺の学校に居たんだ。深夜ってわけじゃないけど日は完全に落ちていたし、家に帰って怒られるのも嫌だったから、その生徒は、普段使わない近道を通って帰ろうとしたらしいんだ」

「…………」

「遅刻しそうな朝はたまに使っている道だったらしいんだけど、不意に違和感を覚えて携帯のライトで辺りを照らすと、見覚えの無い木の塀で囲まれたような細い路地で『あれ? こんな道じゃなかったよな?』って首を傾げたんだって。それで――ッグ⁉」

 唐突に若菜に脇腹を抓られた。しかも、話の切りが非情に悪い場面で。

 目を細めて睨みつけると、若菜は目を見開いて怒ってきた。

「誰が! 怪談を話せっつった!」

 若菜に抓られた部分を撫でてから――爪は立てられていないけど、恐怖もあってか万力みたいな力で抓られてた――、溜息を吐いて口を噤む。文句を言っても、言い返されるだけだ。今は。

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