白鬼
第1話
夜の山は、昼と違った空気になる。
街灯が無い暗さに対する恐怖だけじゃない。日が落ちた瞬間から急速に下がる気温のせいだけでも。大気の中に、ぬるっとした、まとわりつくような重さがある。……いや、そうしたおぼろげな感覚だけでもないな。
俺と若菜は、もう随分前からアレが見えているんだから。
「大人しく、寝て?」
不安そうな若菜の声がする。そんな中にある、微妙に作った可愛げが……、あざとい。まあ、嫌いじゃないけど、そういうあざとさは。
ただ、俺は、特には気にせずに、テントに背中を向けて地面に座り、空を見上げた。安易に懐柔されたと思われたくなかったのも、理由の一つだけど――。
日が落ちた紫の空に一番星を見つけられれば、後は早い。すぐに数えられないぐらいの星が浮かんで、辺りはいつの間にか自分の手のひらの皺を確認するのも難しいぐらいの闇に囲まれている。
「普段は俺より遅寝なんだろ?」
若菜は、テントの入り口から顔を出し、両手で俺の左肩をつかんだ。
外に出てくる勇気が無いんだろうと思う。テントの入り口を開けていたら、虫除けの効果も半減するのに。
「ねえ、寝ようよ。世間では、女子学生とはお金を払って添い寝したい人が沢山いるんだよ?」
俺は、そんな大人にはなりたくないので無視する。たまに、携帯にそういうサイトのメールも来るけど、わざわざ金払ってまで添い寝ってのもね。っていうか、良く知りもしない相手と密着して怖くないんだろうか? ちょっと伸ばした爪とかでも頚動脈は切れるのに。
返事をしないのは聞き逃したせいだと思ったのか、若菜にしつこく肩を揺さぶられているけど……。
「来たな」
微かな輪郭を目に留めて呟くと、若菜は弾かれたようにギュッと目と口を閉じた。けど、好奇心に負けたのか、一分ぐらい掛けて右目を開き、それからゆっくりと左目も開いた。
若菜の視線を追う。
今日は一匹じゃない。四~五匹の群れだ。
川をゆっくりと遡って山の頂の方へと向かって歩いている。
一メートル五十センチぐらいかな。そのぐらいの長さのやけに細い腕……というか、前足。そして、同じだけの長さの後ろ足。胴体と首は、普通の人間と同じぐらいのサイズに見える。鹿、に見えなくも無いが、まるで別種のなにかだとは分かる。
こんな真っ暗闇の中なのに、その輪郭がはっきりと認識できていた。発光しているわけじゃない。上手い表現方法が無いんだけど、幽霊の色っていうか、これまで見たどんな物の色とも違った、光沢の無い闇のような白だった。
それに――。
透けているわけでもないのに、目を凝らしても、細部の輪郭までははっきりと認識できない。
ちなみに、見かける存在が、須らく今回のような形をしているわけじゃない。手足が細長くて蜘蛛みたいに動く人影のようなモノだったり、マッチ棒みたいな、生物で似たものが思いつかないナニカだったり。人間っぽいシルエットでも、よくよく見れば、大きさが普通の人の倍だったことも。
「っつ~! ……ん――ッ!」
若菜が、限界を超えたのか、テントから抜け出して俺の膝の上に座った。そっと背中を支える。縮こまっている時の若菜は……少しだけ可愛い。
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