第3話

「あ、アマガエル。……食う?」

 森の下生えのヒョロっとした細長い暗い緑の草の上に乗っている蛙を指差すと、若菜に殴られた。

「バカバカ、バカバカバカ!」

 目を細めて睨む。が、若菜の気迫の方が強かった。

「アンタね。分かってるの?」

「なにが?」

 分かっていないので素直に聞き返してみると、予想と斜め上の返事が返って来た。

「アンタは、うちの一族で爺さん以外にただひとりの二重なんだよ⁉」

「どんな理由⁉」

 変な突っかかられ方にツッコミを返すと、若菜に恨みがましい視線を向けられてしまう。

「私も二重になりたかった!」

 噛み付くように短く叫んだ若菜。身長差のせいか、下顎の犬歯がチラリと覗き見える。

 若菜の顔は、彫りは深くない。柔らかそうな頬の輪郭があって、すっとした鼻の上に、若干アンバランスな鋭い瞳がある。いっつも怒ってばっかりなので細くなったんじゃないか、なんて、言った瞬間に目玉を抉られそうな冗談がふと頭に浮かんで、少しだけ笑ってしまった。

 ……しかし、二重って、そんなにいいものなんだろうか? 俺はこれまで生きていて、二重で得したな、なんて思う瞬間はなかったんだけど。

 それに、個人的な好みを言うなら、むしろ――。

「……俺は、つり目が良い」

 大きな目って、なんだか子供っぽいような気がする。鍛えている人間としては、鋭すぎるぐらいが丁度良いと思う。男なら特に。

 ……いや、それだけじゃなくて、俺を見詰めてくる視線が、ちょっと鋭くて切れ長の気の強い眼差しだったから、もうそれに慣れてしまっているせいだろう。うん。若菜は、今のままがいいと思う。

 あっそ、とでも言いたそうに顔を背け、薪拾いに戻った若菜。

 そういえば、蛙でバカバカ言われた理由を訊きそびれたな。多分、仮にも許婚がゲテモノを食うとか、鍋に蛙を放り込まれて自分も食う羽目になるのがいやだったとか、そんな理由だろうけど。

 何事も経験だし、毒じゃなきゃなんでもいいとおもうんだけどな、なんて考えていたら、目の前の若菜に危うくぶつかりかけた。

 仁王立ちで、俺の前に立ちふさがった若菜。

 ここでもう一戦か? と、身構えそうになった三秒後。

「つり目が良いって、どういう意味?」

 必死で怒った顔をしていて、でも、真っ赤な頬までは隠せない若菜に、思いっきり噴出してしまった。

「だから、そういう意味なんじゃない? ……思わせぶりな態度が、若菜だけの特権だと思うなよ」

 笑いながらそう告げると、若菜は余計に照れ怒りの顔になって――。

「匠のは、思わせぶりとかじゃなくて、ただの天然の不意打ちなのに」

 なんて捨て台詞を残して、背中を向けてしまった。


 やれやれ、と、口元に笑みを残したまま中腰になって薪拾いの作業に戻ると、若菜の声だけが今度は聞こえて来た。

「匠、さっきなに言ったか分かってるの~?」

 若菜が近付いてこないので、俺も顔を向けずに返事する。

「分かってるよ」

「分かってないよ!」

「だから、なにが」

「そういう態度を取るんだから、匠は無自覚だって言ってるの! だから、匠はダメなんだよ」

 まいった……。

 なんでここまで怒っているのか分からないが、そもそも、俺はさっきなにか失言したか? 多分、しれっとした顔で、言い返されたのが気に食わないだけなんだと思うが。

 どうしたものかな、と、腰を上げて嘆息すると、同じように立ち上がった若菜に叫ばれた。

「思わせぶり、の意味を、帰ったら辞書で引け!」

 はいはい、そうします、と、両手を挙げて降参してから、薪を充分に集められたので川に向かって歩き始めた。


 思わせぶりの意味、ね。

 多分、気になってるのかな、とか誤解しやすい態度でからかうって意味だと思うけど……。それがなにか問題なんだろうか? もっと別の意味があるとかか?

 若菜の背中を盗み見るけど、肩を怒らせて歩く様からは、素直に教えてくれそうもなかった。

 仕方ない、帰ってから自力で調べるか。

 もっとも、それまで覚えていたらだけどな。


 お互いの気持ちも確認しないまま、許婚って名前だけつけられた関係性では、どこまでなら許されているのか、俺には理解出来ない問題なのかもしれない。

 もっとも――。

 若菜だって、気分次第で距離を変えているんだから、俺だけを怒るのはフェアじゃないと思うんだけどな。

 女って、ほんとにめんどくさい生き物だ。

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