第4話

 小学生だった頃、若菜の殺してやる発言を聞いたお互いの両親は、合意の上で――俺への二十四時間体勢での攻撃を若菜に許可している。

 もし本当に死んだら? ハン。墓前で鍛え方が足りないせいだと説教している家族の姿が目に浮かぶな。

 まあ、多分に若菜が手加減するって――重症で止めておくとか、止めだけは刺さないとか、その程度だろうけど――判断もしているんだとは思う。……いや、前の事もあるし、案外、死んだらその時はその時、ぐらいの感覚なのかも。

 俺は、若菜みたいに強く自己主張するタイプじゃないからな。家の連中にとっては、若菜のおまけと言うか、予備というか、そんな感じなんだろう。


 いくら若菜でも自分の椀ぐらいは洗えるので、俺は自分の食器や調理道具を川の水で洗い、除菌のウェットティッシュで拭って天日で乾かす。俺も若菜も、家の教育方針のおかげで腹は丈夫なほうだけど、過信は良くない。食中毒って、案外身近にあるものだし。

 事実、俺達がキャンプ初心者だった頃、若菜は2Lのペットボトルのスポーツドリンクを持ち込み、口をつけているにも関わらず、三~四日かけて飲み干したので、黄色ブドウ球菌にヤられかけている。

 まあ、俺は俺で初期には毒草食いかけたことがあったし……。お互い様か。


 昼食の後片付けも終え、持ち込んだエアマットを木陰で膨らませて横になる。一時間半は休憩、それからまず走りこみ。整地されて無い道のダッシュ――岩場や木の根なんかの障害を手も使いながら高速で移動する訓練。河原で組み手。その後、得物――とはいえ、木刀や木製の投擲具だけど――を使い、少し森に入っての実戦訓練。その後で食料調達。睡眠の流れだな。

 ふ――、と、今日の予定を頭の中で確認して、長く息を吐く。

 若菜も自分の食器を洗い終えたのか、ふらふらと近寄ってきて……。マットの端に腰を下ろし、一拍だけ考えるような間を空けた後、俺の腹の上に頭を乗せた。

 寝床兼用のエアマットは、ひとつしかないわけじゃない。

 若菜が、位置がしっくり来ないのかもぞもぞしだしたので、右側に寄ってやる。這い寄ってくる若菜と一瞬だけ目が合う。若菜の頭は、俺の胸の位置に来ていた。

 薄く目を閉じた若菜は、ひと呼吸の後、身体の向きを変えて、俺の腹の上で仰向けに寝転がった。

 木陰なので、日差しは眩しくない。

 夏の青い空と、山の端に入道雲が掛かっているのが見える。

「襲ってはいるかもだけど――」

 若菜の声がする。

 夏の体温は熱いくらいだけど、預けられている体重は、なんていうか、猫とか抱きしめている時みたいなそんな質感で……、その……嫌じゃなかった。だから、そのままの姿勢でいる。

「――攻撃はしていないよ」

 左の腰に差していた扇を右手で抜き取り、軽く若菜を仰ぐ。風にそよぐ前髪、額のうっすらとした汗。耳では聞こえないけど、若菜の鼓動の振動がかすかに伝わってきている。


 若菜の事、好きなのかもしれない。許婚というラベルが嫌いでもあるけど。

 空いていた左手には、いつの間にか、若菜の左手が添えられていた。

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