逃走

永瀬文人

第1話   逃走

夢見心地の昼下がりだった。

何故って、庭に居た愛しい彼女をこっそり呼び寄せ、車に乗せることに成功したのだから。決して誰にも見られていない。辺りを素早く確かめ、僕はアクセルを踏み込む。

 助手席に座る柔らかな彼女の頬に、日差しがいろいろな形の影を落としては過ぎ去るのを、僕は時折盗み見る。

なんてあどけない笑み。スカートのポケットに突っ込んだ、丸みのある腕までもが魅力的。もう、何もかもが僕のものだ。あいつに渡しやしない。そう、あいつのことなど、すべてを忘れさせてやる。

 彼女の小さな白い手が、スカートのポケットからするりと出た。手の中の物が陽を反射して鋭く光り、僕の目を射た。カッターナイフじゃないか。……いいんだよ。いいんだ。彼女に刺されるのなら、本望だ。彼女は僕の、四歳になる唯一の子どもなのだから。

「使う時は、使いなさいって、いつもママが言うの」

 あいつの仕業か。短く、鋭い痛みが走る。僕の頬、腕、そして腹にも。安全な場所へ、逃げよう。彼女が安心できて、僕も安全などこかへ。急激な息苦しさを味わいながら、僕は夢見るように、ただただアクセルを踏み続ける。


                                    ‹終›

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逃走 永瀬文人 @amiffy

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