決心の瞬間に挑戦は始まる

 日々を謳歌するには欲求をある程度満たす必要がある。

 例えば食欲。例えば睡眠欲。例えば性欲。人が持つべき三大欲求は満たさねばならず、しかしこれらが解決しても次の欲望が湧き上がって止まらない。

 今、早乙女・蓮司にとって最大の欲は強さだった。

 強くなることを決めた日から朝の走り込みを始め、基礎トレも始めた身体は悲鳴を上げている。急激な鍛錬に各筋肉が痛みを発し、これまで無縁だった激痛に身悶えすることも多い。

 酷ければ寝るのも難しい状態だ。あまりにも自分を追い込み過ぎではあるが、本人は至って足りないと思っている。

 練習で木を殴れば、当然倒れることはない。抉れることも無く、ただ固めた拳が痛くなるだけ。血を垂れ流す程殴り続けても明確な成果など出てくる筈も無い。

 

 悲しいかな、短期間に集中的に苛め抜いても身体は僅かに頑強になっただけだ。

 それが現実。それが常識。早乙女自身もそれは自覚していたことであるが、もしもを考えずにはいられなかった。

 この世界は創作の世界ではない。創作を作る者達に溢れた、様々な創作物が生まれる世界と言える。故にこの世界には創作物めいた特異な現象は何一つ存在せず、そのような錯覚を覚えるだけの日々を人々は過ごしていた。

 もしも、それが世界の一側面でしかなかったらどうだろうか。

 眉唾物ばかりとはいえ、歴史の中には無数の超常現象が記録されている。謎の領域に、宇宙からの来訪者、人体に宿る超能力等々。

 

 それら嘘だと断じられていた情報が正解であったとするならば、数日前の一件についても納得が出来てしまう。

 屈強な怪物とそれを簡単に燃やし尽くした炎を操る人間。如何にオカルトとは無縁の生活をしても、男の方が超能力者だと推測するのは容易だった。

 世の中には不思議が確りと存在している。同時に、オカルトを隠す者も確かに存在しているのだ。

 でなければ男は何も言いはしなかったであろうし、怪物の存在がもっと世に出てもおかしくはなかった。だが探せど探せど出てくるのは詐欺紛いの情報や証拠の無い体験談ばかり。

 怪物の力は実際に事件として今も報道され続けている。謎の放火事件とされ、現状のままではやはり解決は望めないだろう。

 

「いつつ……」


 教室の昼休み。

 皆が各々食事やゲームをしている最中、早乙女は自身の口元に絆創膏を貼っていた。

 怪我の原因は鍛錬によるものではない。今も彼の居る教室で女王気取りで食事を楽しむ真木率いるカースト上位陣の暴力だ。

 数日前の出来事があったとはいえ、虐めそのものが無くなった訳ではない。

 寧ろ一度とはいえ彼等は敗北したのだ。その屈辱は忘れ難いもので、今度は顔すら狙って甚振られた。真木からは証拠を獲得することは出来ず、現状は何時もの日々を過ごしているだけ。

 否、正確に言えば一つだけ違うことがある。

 それは真木達のグループに所属する男性陣の顔に確かな怪我があることだろう。虐められるだけであれば男性陣が傷付くことはないが、一度決心した早乙女の行動力は尋常ではなかった。

 

 彼は鍛錬をする際、試すべき人間を探さねばならぬ問題を抱えていた。

 幾ら鍛えたとしても実戦の経験こそが重要であり、生と死を別けるものでもある。所詮は漫画の受け売りであるが、彼はそれを全面的に肯定していた。

 何事も慣れは必要だ。現に彼は生きるか死ぬかを一度体験し、確かに変わった。それは生死の一瞬を過ごしたからであり、だからこそ今の真木達を怖くは感じない。

 虐めが終わることはないだろうと彼は確信していた。苛烈になることも想像して、どうせ虐められるのであれば模擬戦代わりに使おうと決めたのである。


「動きは見えるようになってる。 前はビビッて目を瞑ってたけど、今なら大丈夫だ」


 独り言を呟きながら机に広がるノートに意見を纏める。

 男性陣の拳は以前までであれば恐ろしいものであった。何とか被害を最小で済ませる為に肩を丸めて怯えていたが、今では間近に迫っても心は冷静そのものだ。

 彼等の拳はダメージを刻むものではある。されど、その一撃で命まで奪うことはない。

 奪われないのであれば幾らでも挑戦は可能だ。激痛など筋肉痛と長い間の虐めによって慣れたもの。真木達の暴虐は迅速に止めねばならないとはいえ、直ぐに解決を目指すのは勿体無いと言わざるを得ない。

 幸いと言うべきか、虐めの対象は早乙女のみ。

 自身が被害を全て受ければ、彼等は間違いなく早乙女だけを狙う。その間に陥れる材料を探して、限界まで彼等の暴虐を長引かせてから退場してもらう。

 それが早乙女の目指す先だ。鞄から潰れたカレーパンを取り出し、口に頬張りながらペン先を走らせる。

 

 一番証拠を掴みやすいとすれば、真木達を誘導することだろう。

 如何に彼女の親が社長であるとはいえ、民意の前では全てが無駄だ。世間に悪事が露見すれば、その瞬間に学校側は慎重な対応を求められる。

 下手に早乙女本人のみを追い出す選択をすれば、一気に学校に悪評が流れ込むだろう。

 そして何処かの物好きが学校を調べ始め、有名な悪女である真木に当たるのは自明の理。令嬢の赤裸々な姿が世に伝われば、親である社長の見方すらも変わってしまうのだ。

 残念なことに社会は優秀な人間程排除に動く。社長という地位を求める人間は多く居て、今回の件は脅迫の種として十分。親が娘に対して毅然とした対応をしようとしなかろうと、社会的地位が下がるのは絶対だ。


 何が正しいか、何が正しくないか。

 そんなことは現実には関係無い。必要なのは引き摺り降ろせる材料があるか否か。

 真木達の暴力映像自体は早乙女の胸ポケットに差しているカメラ付きボールペンで撮れている。顔面を殴られたことで学校での彼女の評価も更に酷いものとなり、それを親の権力で強引に抑え込んでいる形だ。

 何時爆発しても不思議ではない環境にあるが、当事者である早乙女本人が怒りを爆発させていないので大騒ぎにまでは発展していない。

 一度でも完全な爆発を起こせば、最早彼女等に居場所などある筈もないのだ。

 この教室も、この学校も、薄氷の上でバランスを保っている。そして彼女達のグループ以外はバランスが崩壊することを心から待ち望んでいた。


「どいつもこいつもってことね……」


 現実的な理不尽さと、創作の怪物が混在する世界。

 理不尽だけを煮詰めたような世界だ。希望的なものを何一つとして感じない現状に嫌気も差す。恋愛のような甘い展開も、友人と何かを成し遂げようとする友情展開も、此処には一切存在しない。

 淡々とした授業風景に、殺伐とした人間関係。唯一家族との仲が良いだけで、それ以外は皆無も皆無。大人の知り合いも居る訳も無く、自身の現状を鑑みればみる程に生き難い。

 どうして己はこのような日常に何も感じなかったのだろうか。

 怪物のような摩訶不思議な存在が居ると思っていなかったからか。妹にまで被害が及ぶと思わなかったからか。

 今ではこんなにも嫌悪が湧いている。他人にも、自分にも。早乙女は馬鹿だと内心で嘲笑った。

 

「よぉ、早乙女。 今日も放課後に来いよ」


 真木達のグループの一人が遠くから声を掛けてくる。

 隠すつもりもない声量に周囲は一瞬だけ静まるも、直ぐに取り繕うように一層五月蠅くなった。そんな周囲の反応に早乙女は一切心動かされることはない。

 何時ものこと。寧ろ退屈な反応だ。

 ああ、と短く応える。相手はその淡泊な反応に顔を顰めるも、また殴れると解っているので手を出すことはしなかった。

 変えられないなら自分の好きにするしかない。己の我を通さねば人生を潰されてしまうのだから。

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