ふるいの上の幸福
五日の時間を掛け、数多く設置された隠しカメラの中から一本の道が決定された。
小さな森を通過する近道は主に学生が使い、中でも夜遅い時刻となると部活動に精を出している者が多い。しかし、二人が選んだのは運動部に所属しているような人間ではなかった。
家のリビングでタブレットを起動し、澪は五つの画面を同時に表示させる。一つ一つの枠は小さくなってしまうが、既に特徴も歩き方まで覚えた二人には大小など関係無い。
その人物は常にぼろぼろな青年だった。近くの高校から帰っていると思われる青年は顔を俯かせ、破れた服をそのままにスムーズに暗がりの道を進んでいる。
時には砂に塗れた形跡が見え、時には濡れたままの姿が見え、銀縁の眼鏡を曇らせた青年は細い身体を気弱に動かしていた。
紛れもなく虐めの被害者である。それ以外に表現しようがない程に青年は何かしらの被害を受けていた。
「五日連続で一緒に帰る人間は無し。 かといって道の途中で虐められることも無し」
「完全に学校で虐められたな。 しかも服が新しいものになっていない。 ほら、この部分の穴は昨日と一緒だ」
彩斗が指差した先にあったのは肩口の穴だ。カッターで切られたのか綺麗に隙間が生まれ、その箇所は三日目以降からずっと残されている。
俯かせた気弱な眼鏡青年。虐められる要素としては十分で、だから彼は他の学生が使わない道を使っている可能性がある。
あるいは、他の生徒全員の帰る方向が他とは違う可能性もある。後者の方は確率としては低いものの、二人にとってその予測は無駄でしかない。
必要なのは彼が一人で帰っていることだけ。それが解ってしまえば目撃者として使う分には満点だ。
「この分だと青年の親もまともな人間ではないようだね。 君と一緒だ」
「比較するのはどうかと思うぞ。 ……兎に角、彼には第一発見者になってもらわなければ困る」
実験として怪獣を出し、それを敢えて目撃させる。
本来であれば必要ではないことではあるものの、いい加減二人も焦らされているのだ。準備万端であるとは言えないまでも、装備や鍛錬も殆ど終了している。
怪獣の操作事態が正常に稼働すれば、直ぐにでも二人は始めようとするだろう。
前日譚としての最初の登場だ。なるべく劇的な状況にしたいが、派手過ぎれば余計な人間もやってくる。その点で言えば大人しい人間であるのは正しい選択だ。
死に瀕すれば人は助けを求めるもの。その際に絶叫をあげることもあるが、元々声を大きくない人間であれば叫びも長くは保てない。それに位置も人通りが殆ど無い森の中だ、まず直ぐには人は来ないだろう。
十分に絶望を与えられた後、希望として彩斗が姿を見せる。その後に青年が情報を拡散するかどうかは不明だが、彼が絶対に話しをする状況を作る予定だ。
「いやぁ、可哀想な真似をするねぇ」
「そうでもないさ。 寧ろ逆に、これから彼が重要人物の一人として保護されるかもしれない。 ――間近で能力者を見た、第一号としてさ」
騒ぎとなるのは解っていた。
如何に隠しても、大量に火を使えば遠目からでも異常を察知する人間は居る。長い時間の中で原始的な炎を使う機会は殆ど喪失し、焚火一つでも注目を集めてしまうものだ。
澪は彩斗の言葉に納得を示し、早速予定時刻を合わせていく。当日は彩斗自身の食事量や鍛錬量を減らし、なるべく常と変わらぬ状態を維持させる。
青年が通る時間は午後七時。運動部には見えない彼がどうしてここまで遅い時間に帰っているのか疑問だったが、虐められていたとすれば納得することは出来る。
そして家庭環境も悪いのであれば。現在の彼にとって家とは帰りたい場所ではないのだ。
澪は開始二時間前に森に向かい、カプセルをコンクリートの地面に落とす予定だ。今回は体長二mであるので、そこまでの量を求められない。
道路の一部を貰えば二mの巨躯を生み出すことは簡単だ。そして、コンクリート製のボディであるが故に砕けるのも簡単である。
「台詞は覚えてる?」
「勿論。 それに台詞ったってそう多い訳じゃないからな。 覚えられるさ」
「まーね。 怪獣は鳴き声を発するだけだから台詞も無いし、鳴き声のパターンを揃えるだけで良いから簡単だ。 今のところはだけど」
「今は序盤だけ見よう。 それが上手くいった時に中盤以降の話をすればいい」
「そうだね。 それじゃ、今日はここまで!」
時刻は夜の十時。
二人はリビングで別れを告げて各々の自室に戻る。一人用の個室にしては少々大き過ぎる彼の室内には新しいベッドが置かれ、後は服が入ったクローゼットや無機質な机しかない。
極めて個性を感じさせない部屋ではあるものの、今はそのクローゼットにAMSが入っている。
それこそが彼を示すもので、故に彼は他に欲しい物など無かった。最新のパソコンが欲しい訳でも、贅沢な食事をしたい訳でも、誰よりも高い地位が欲しい訳でも、その一切が無いのである。
ベッドに転がり、己の鍛え上げた手を天井に向ける。橙の蛍光灯の室内を仄かに照らすものの、大部分は暗いままだ。
間近には己が数年を掛けて鍛え上げた腕。柔らかな細腕でしかなった彼の腕も時間を掛けることで頼もしさを感じさせる剛腕に変わり、AMSを着れば更にその腕は力を増す。
今の彼であれば勝てない人間は居ない。AMSの出力調整は完璧とは言えないものの、最低限の手加減は出来るようになった。柔肌を撫でるような感覚で振るえばAMSを着ている状態でも普段と変わらぬ速度で動かすことが可能であり、同時に炎も似たような要領で調整を可能になっている。
最大出力は一度無人島で試したが、やはり普通の範疇では収まっていない。
海水に足だけを浸した状態で炎を半分まで解放した際には周辺の海水は全て干上がった。少々力加減を間違えるだけで、その炎は彩斗自身が考える以上の力になってしまう。
一瞬の判断ミスによって殺人を犯した時、己はどうなるのか。
少々考えてみるものの、やはり実際に体感したことがない状態では結論は出ない。出来れば誰も死なない形で終わりを向けてほしいと思いながら、その意識を闇の中に沈めていった。
明くる日、彩斗は澪の起きていない早朝の時刻に走り込みを行う。ルーチンワークと化した普段の道を走っていると、やはり公園は今日も撮影の為に使用不可となっていた。
この公園は子供が遊ぶ以外に使う者はいない。祭りの会場にされることも、個人の催しを開く会場にもならない。
極めて普通の公園であり、だからこそ長期の占有が許されている。今は子供が遊ぶ遊具も少なくなり、公園内に撮影用の小道具が入ったケースがそのままだ。
人は外に置かれた車の中に二人だけ。どちらも眠りこけ、まるで起きる気配がない。
今日はなるべく時間を掛けた鍛錬を行わないようにしている。激しく動くことも、長距離を走ることも推奨されてはいない。
占有されているとはいえ、人が居ない公園内であれば短い間だけ鍛錬をすることも出来るだろう。
思い、公園内へと足を踏み込む。
立ち入り禁止の立て看板は無い。端の方に移動してから、ウォーミングアップをしてそのまま家に帰る予定だ。
「三十分。 まだ五時だから来ないとは思うけど……」
柔軟体操から始まり、最初は正拳突き。その次に回し蹴りを行い、更に蹴り終わったと同時に身体を跳ねさせて追加の回転蹴りを中空に放つ。
創作めいた動きを現実に落とし込む。中々難しいことではあるものの、彼は毎日その試行錯誤を繰り返していた。
その動きはさながら演舞。効率化を図る為に作られた繋がりのある動作を三十分限界まで繰り返し、今日も乱れはないことに安堵の息を零す。
とあるアニメ作品の中では体力消耗を極限にまで落として持久戦を行う呼吸法があるが、流石にそれはあの世界独自でのもの。現実で実現することは不可能であるが、一連の動作を繋げることが出来ればコンボ技として見栄えが良い。
故に現実的な演舞と創作的な演舞の両方を見て、彼はそれを真似した。
普段であればそれに加えて基礎トレや新技の開発などが加わるものの、今日はこれで終了だ。ベンチに置いてあった飲み物を口にして帰るかと視線を出入口に向けると――そこには酷く驚いた表情を浮かべる妹の姿があった。
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