無人島でキャッキャウフフはありません

 午前九時。

 多くの人間が仕事や学校の始まりを迎える中、彩斗と澪の姿は船の上にあった。

 サイズは小振りで、限界まで乗せられるのは六人まで。その代わりに設備は充実していて、充電機や退屈を紛らわせるボードゲーム等々、輸送機としては十分だ。

 スタッフは四人。その内総舵手と副総舵手は外に出ず、基本的に客に対応するのは残りの二人だけとなる。

 彼等の役割は説明と緊急時の対応だ。万が一船が転覆する事態が起きたとしても、二人が命を賭けて彩斗達を助けることになる。

 事前に二人も説明を受けているのでスタッフが四人であることに疑問は無い。

 スタッフの恰好も漁師のようなラフ過ぎる姿ではなく、旅行客向けに紺色の制服で統一されている。総勢六名を乗せた船は一直線に予め決められていた無人島に向かい、徐々に視界に入り始めた島に彩斗は特に興奮していた。


「おお、流石無人島。 見る限り何もないな!」


「いや、逆に何かあったら問題でしょ」


 二人で客室の窓から入る島を眺める。

 季節は初夏。そろそろ暑くなることを考慮し、彼等の恰好は薄着だ。彩斗は半袖の白Tシャツの上に黒のYシャツを着込み、ベージュの七分丈ズボンを穿いている。

 澪も髪を灰色から茶色にし、瞳の色も茶に変化させていた。黒いズボンに白いシフォンを纏った姿はファッション性に乏しいものの、そんなものは彼女自身の美貌によって感じさせない。

 実際、スタッフ達は総じて彼女の美貌に見惚れていた。旅行客を日常的に運んでいる彼等であれば極上の美人を見掛ける機会もあるのだが、澪の姿はその中の誰よりも抜きん出ている。

 クールな美人。そのような女性と仲良く隣に居る男は一体何者なのか。

 スタッフは疑問を感じはしても、結局深く入り込む前に到着のアナウンスが船内全体に広がった。あわよくばを考えてしまったのは人間であれば致し方ないだろう。

 

 彩斗達は大き目のボストンバッグに荷物を纏め、その間に船は浅瀬付近で停止。

 ボートが降ろされ、スタッフ二名に彩斗と澪と荷物を乗せて砂浜へと上陸する。海に足を浸しながら全員で荷物を大地に降ろし、二人は説明を受けて愛想良く感謝を送った。

 幾らサービスを提供する側とされる側とはいえ、関係性の悪化は避けるべきである。もしもスタッフ達が怒りのあまり彼等の帰る日程を無視すれば、その瞬間に本格的なサバイバルの開始だ。

 一応の食料はあるものの、一週間も放置されれば流石に不足する。今回の予定では二泊三日であるので、彼等が現在持ち込んでいる食料や水は予備も含めて四日分。

 周囲には魚も居るので最悪澪が飛び込めば食料を確保出来るかもしれないが、それをするのは最終手段だ。そもそも、そうならないのが当然である。

 二人の明るく、朗らかな言葉にスタッフも気分良く二日後にと返して船に戻った。

 

 船はゆっくりと動き出し、元居た場所へと戻り始める。

 船の後ろ姿を見つめ、彩斗と澪は顔を合わせて無言で頷きあった。

 

「俺はテントの設営を行う。 澪は性能実験の準備を頼む」


「任せてくれ。 なるべく離れない位置で都合の良い場所を選定するよ」


 

 今回の無人島来訪の目的はバカンスではない。

 綺麗な海に日当たりの良い砂浜、緑豊かな森林地帯とキャンプにはもってこいではある。そして人影も無く、周囲に島を監視する施設も船もありはしない。

 澪にとって都合の良い場所だ。これで何に縛られることも無く彼女は用意を行い、全てを試せる。

 無人島ツアーに支払った金額は約二十万。この中にはテントなどの野外設備費も含まれている。スタッフ側が備品の貸出も行ってはいたが、もしも実験過程で破壊すれば余計な揉め事が起こってしまう。

 面倒事が金で回避出来るならばそれが一番。よって彼等が持ち込んだあらゆる備品は、全て壊してしまっても問題は無い。

 テントを組み立てるのは彩斗にとって初めての経験である。なるべく砂浜から距離を取り、平面を選んで骨組みを立てていく。

 説明書を見ながらの作業だったので時間が掛かったものの、完成したテントは四人は入れる大きなものだ。

 立派に立ち上がっている深緑色のテントを満足気に眺め、逆に澪は実験に使える場所を選定していく。

 

 広場、高い崖、視界が遮られやすい岩場の多い砂浜。実験が成功した場合、残された痕跡は非常に大きくなるので多少なりとも隠したいのである。

 とはいえ、限界値まで炎を引き出すことに成功すれば周辺が融解するのは避けられない。結局後処理は必要になるので、澪が今一番に警戒しているのは実験中の予期せぬ接近者だ。

 

「監視船は無い。 空に飛行機が飛んでいる様子も無い。 話の通りなら島には人が居ない」


 澪が見た限りにおいて人間が生活している痕跡は存在しなかった。

 獣道は古く、電気も水道も通っていない。家も確認した範囲では存在せず、人が生活するに足る条件が不足している。

 澪であればこの環境でも生きていけなくはないが、彼女のような存在は未だ居ない。その事実を澪本人も自覚しているので少なくとも旅行会社側の言っている内容は嘘ではないだろう。

 一通りの確認を済ませ、彩斗の元へと澪は戻る。その頃にはバーベキューの準備も終わり、澪の帰りを待つだけとなっていた。

 

「どうだった?」


「周りに人影無し。 勿論痕跡も発見されずだ。 此処は余程人気が無いスポットなんだろうね」


「……いや、多分経済的に厳しくなって誰も来なくなっただけさ」


 澪の断定を込めた言葉に、彩斗は否定を口にした。

 今でこそ彩斗達の懐は潤ってはいるが、投機に手を出さなければ依然として潤沢な生活は出来ていない。そして、余裕の無い生活は今や日本であれば日常的だ。

 遊びに金を費やせない程に追い詰められた人間も多く、世を嘆いて自殺する者も多い。単純な自殺数でいえば日本は上位で、そこに経済が大きく関わっているのは間違いない。

 金が無ければ遊ばない。ゲームをプレイすることも、本を読むことも、何処かに遊びに行くことも。

 無人島でキャンプ。それは確かに楽しいことなのかもしれないが、生活に必ず必要である訳ではない。


「経済は右肩下がりさ。 ブラック企業ばかりが立ち上り、税金は最近また増えた。 皆の腹の中じゃ、まだまだ苦しい生活を余儀なくされるだろうさ」


「世知辛いねぇ……」


「ま、世知辛いのが世の中さ。 なんでもかんでも上手くいってほしいけど、そうならないから我慢して人は生きる。 理不尽を耐えなきゃ金が貰えないからな」


 今の日本を憂いた言葉を呟き、ふと何を言っているのかと彩斗は首を振った。

 今日此処に来たのは性能実験を行う為だ。愚痴を零して澪を困らせることが目的ではない。どれだけ不満を口にしたところで社会は変わる訳ではないのだから、己は己のしたいことだけを考えるべきである。

 今や彩斗は勝ち組だ。不満を言う側ではなく、不満を言われる側に彼は立った。その稼いだ金を社会に還元するつもりがないのであれば、そもそも文句を口にすべきではない。

 普通の人間から見れば彩斗も富裕層の人間と変わらないのだから。

 努めて笑顔を浮かべて話題を切り替える。その意思に澪も合わせ、彼女が持って来ていた黒のボストンバッグを開けた。

 中にあったのはパーカーとカーゴパンツに各種小物類。――二人の間だけで通じるAMSの試作品が完成した状態で収められていた。

 

「着方は普通の服と一緒だよ。 先にインナースーツから着てね」


「おう。 ちょっと待っててくれ」


 一式を受け取り、テントの中で彩斗は着替える。

 普通の服と一緒とは言ったものの、厳密に言えば下着の上にインナースーツを最初に付けねばならない。身体に貼り付くような感覚には中々慣れないもので、その状態のままカーゴパンツを穿く。

 四つのポケットの内、空なのは両太腿に付いてあるものだけだ。腰部のポケットには二つ分の黒板が入り、更に外に飛び出すことを防ぐ為に布と板は不可思議な方法で接着されている。

 試しに力を込めて板を外そうとしてみるも、服の生地が伸びるだけで本体が外れる気配は無い。諦めてパーカーを羽織り、黒の手袋とブーツを装着した。

 マスクは金属のような光沢を放ちつつも手で簡単に歪む。軟質特有の曲がり方に不安を覚えながら口に付けると――まるでとあるSF映画が如くマスクが自動的に貼り付いた。

 

「ちょ、お、え? なんだこれ!?」


 貼り付いたものの、呼吸は可能だ。そのまま暫くの間マスクは蠢き、最終的に一部の隙間も無い形にフィットした。

 最初は口元だけを覆う形だったものが今では顔全体を覆い、しかし装着している感覚は無い。顔全体を覆うマスクであれば自分の鼻すら見えないものだが、彩斗には自身の鼻が見えている。

 マスクの機能については説明を受けてはいた。しかし、このような機能が搭載されていることは知らされていない。

 一体どういうことかとテントを乱暴に開けると、直ぐ目の前の折り畳み椅子に座っていた澪は目を見開きながら手を叩いた。


「わお、凄い様になってる。 君用に作ったつもりだけど、ここまでフィットするとは思わなかったよ」


「そいつは結構。 だが一つ説明してくれ、マスクに知らない機能が入っているぞ」


「知らない機能? ……あ、そういえば思い付いたものをそのまま入れてたから何も言ってなかった」


「……はぁ」


 溜息を零しながら澪に説明を求めれば、やはり彩斗の予想を超える機能がマスクには宿っていた。

 彩斗が知っている限りであれば自動フィット機能、酸素、耐毒、情報表示の四つ。しかし澪はそこに視界確保のシステムを混ぜた。難しい言語で説明されては彩斗が困ってしまうので澪は暫く思考し、人差し指を一本立てる。


「マジックミラーのようなものと思ってもらって良いよ。 此方だと黒いマスクしか見えないけど、君にはそのマスク部分が見えない。 全部透けていた方が視界も良いだろう?」


「そりゃ良いけど、こういうのは最初に言ってくれよ?」


「あはは、ごめんね」


 手を合わせながら謝る澪はあざとさを感じさせるが、彼女がすると破壊力が違う。

 柄にもない照れを覚えながら彩斗は視線を逸らし、フードを深々と被った。チョーカーとフードを接続させ、偶発的に脱げることも回避する。

 ついに現実に出現したAMSの姿を見て、澪が喜びに目を細める。

 完全に彩斗の全てを覆い隠した姿は正に物語の登場人物。現実ではコスプレマニアとしか思われないような姿でそこに立ち、異常とも言える精度で着こなしていた。

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