お前の名前は今日から
「こんなものかな?」
低いが女性だと解る声が室内を満たす。
女性の前には三面鏡が一つ。自身に生える灰色の髪を切り、好みに揃えている。最終的に出来上がったのは腰まで届くロングな髪型であるが、彼女自身はそれで良しと鋏を仕舞った。
白いTシャツに紺のジーンズを着込んだ様は無防備と言えば無防備であるが、本人はこの姿のまま外に出るつもりはない。
あくまでも家の中でだけだ。それに彼女自身が家から出る機会は今のところ訪れない。
切った分の髪は床に敷いていた新聞紙が受け止めている。紙を畳んでゴミ袋に捨て、さてとばかりに一階に降りた。
一階では彩斗が昼食を用意している。何時もは一人前の料理も、今では二人前にまで増えた。
彼の苦労は増えたが、本人は極めて穏やかな顔だ。焦りは鳴りを潜め、今という人生を謳歌しているのは確かである。――そして姿を現した女性に彩斗は顔を向け、その美しさに暫し目を奪われた。
白いTシャツにジーンズと女性らしさは少ないものの、怜悧な美貌のお蔭で馬鹿にされることはない。
外国の美形モデルを想起させる佇まいと合わさり、正に住む次元が違う人物にしか見えなかった。眉も髪も瞳も、その全てが灰色に統一された顔は現実では有り得ない色彩だ。
さながら二次元の人間が三次元に現れたが如く。線の細いスレンダーな身体も合わさり、惚れるなと言われても惚れかねない美を周囲に叩き付けていた。
その美人が彩斗に笑みを見せる。穏やかで優し気な眼差しには、確かな親愛が宿っていた。
「どうかな。 設計図通りだと思うんだけど……」
「あ、ああ。 ばっちりだよ。 ……凄いな」
驚きと称賛の合わさった声に女性――ナニカは腰に手を当てて胸を張る。
髪の毛や眉毛に使われているのは特殊な繊維だ。元は動物の毛であるのだが、茶色の毛を透明な液体に浸すことによって灰色に染め上げている。
この毛は基本的に洗っても灰色のままであるが、刺激を受けると元の茶色になるのだ。この場合の刺激は電気であり、体内にある電気を消費すると最長でも五時間は茶色になる。
浸していたのは彩斗だ。どれだけの量を使うかも解らなかったので力自慢の彩斗が風呂場で行い、二日間程室内干しした後に植毛作業をナニカが行った。
揺れる髪に違和感は無い。色を除けば本物そっくりであり、ナニカは試しにと電気を流して髪色を茶色に変える。
怜悧な印象は消え、少々優しさを感じる姿となった彼女に彩斗は妙な照れを覚えてしまった。
中身は知っているのに、姿を獲得するだけでこれほどにも印象が変わるのか。最初は何もかもが変わらないと彩斗は語っていたが、今はどう話せば良いのかを脳内で模索することになってしまった。
「やっぱり照れる?」
「やっぱりってどういうことだ」
「いや、この姿は彩斗が求めた女性の理想像だからね。 照れるのも当然さ」
「なッ、お前そんなこと考えてたのか!?」
再度の驚きの声に、まぁまぁとナニカは窘める。
「これから一緒に暮らすんだから、好意的になり易い姿の方がいいでしょ?」
「そりゃ……まぁ、な」
ナニカの言い分は尤もだ。一生一緒に暮らすのであれば、無難な姿よりも最高の姿を求めるべきである。
ナニカ自身に雌雄の理想像は無い。長年彩斗と一緒に眺めていたものの、終ぞ彼以外に好意的になることはなかった。
だから姿を決める際、基準としたのは彩斗が脳内で考える理想像だったのである。灰色の髪に、線の細い身体に、怜悧な顔をした女性こそを彩斗は至上と思っていた。
その言葉を彩斗は否定出来ない。可愛い系は苦手であるし、豊かな身体に食指が動くこともなく、唯一特に関係無いのは色くらいなもの。そもそも、彩斗自身が女性の好みを考える時間は僅かなものだった。
恋愛に発展するような出来事は皆無。その全てを仕事のみに費やした彩斗は、どうしても好みの女性となると現実の人間を当て嵌めることが出来ないでいる。
妹の存在もあるだろう。極端に綺麗な顔をした妹が傍に居る所為で現実の女性に対して無意識下で冷めている。
「はい、この話は止め止め。 御飯を食べて次を作るよ。 二人になったから役割分担もこれで出来るでしょ?」
「……そうだな。 その通りだ」
妹のことを頭から追い出し、彩斗が完成した料理を机に並べる。
当たり前であるが、ナニカにとって食事を頂く行為は初めてだ。味を知ってはいるものの、やはり行為も伴わねば食事をしている自覚が無い。
白米に焼き魚が並んだ御飯を前に手を合わせ、早速ナニカは一口放り込む。
ボディは人工の物であるが、食糧を腹に収めることは可能だ。電気が動力源であるものの、食事をすることで一時的な動力源にすることも出来る。
飲料も一緒だ。摂取した飲み物はそのまま冷却材代わりになる。人間らしさを盛り込んで出来上がった身体は、それ故に如何なる所作も自然だ。
「うん、何時も通りで旨いね。 やっぱり実際に手を動かしていた方が食べている気がするよ」
「そりゃ良かった。 んじゃ、俺も食べちまうか」
二人で食事を進め、途中途中で次に作る物を決めて最後には皿洗いを済ます。
普段と変わらぬ日常であるが、美人が一人そこに居るだけで周囲の雰囲気が彩斗には何処か華やいで見えた。ナニカが理想像と言ったように、そこに居るだけでも彼の意欲を高めてくれる。
夢が叶っただけではないだろう。そこにはある種、好いた女が共に居てくれる喜びも含まれている。
恋愛関係で結ばれている訳ではないものの、彩斗には信頼関係の方が余程強い結びつきが出来ると確信していた。恋愛関係はふとした瞬間に崩れ易いもので、現代であれば付き合いながら浮気をしているカップルも居る。
何処で裏切るかも解らぬ恋愛をするより、強い信頼で結ばれていた方が彩斗にとって安心出来るのだ。だからこそ、彼自身がナニカとの間に恋愛関係が出来ることはない。
ただ平穏なこの一時。穏やかな気持ちで過ごせる日常も、彼にとって得難い幸福だった。
――さりとて、その日常も過ぎれば退屈となるもの。穏やかな日常にも変化は欲しいもので、特にナニカが我慢出来ない。
「御飯は食べたし朝の鍛錬は済ませた。 という訳で帳尻合わせの為に急ぐよ!」
「具体的には?」
「先ずは戦闘服。 本当は色々と衣服を見ながらゆっくり決めたかったんだけど、それだと予定日に実行出来ない。 今日中にデザインを決めてさっさとプリンターで作るよ」
本来、ナニカがボディを完成させるのは更に先の出来事だった。
それを他を後回しにして最優先で作ったのだから、その分の歪みは発生している。修正するには幾つかの工程を短縮するしかなく、その一つ目としてデザイン決めを行った。
一階に置いてあるパソコンまで向かい、複数のモニターを使ってデザイン画を一斉に表に出す。
その中には西洋騎士をモチーフにしたものや軍服をモチーフにしたものなど多岐に渡り、全てを見るだけでも彼の興奮を誘うのに十分だ。
数時間を掛けて意見を交わし合い、候補を絞りに絞る。見た目は今後の活動において重大だ。
格好悪い姿で戦っても人々は想像と違うと残念がる。その所為で余計なバッシングを受けるのは彩斗達の本意ではない。
かといって皆が求める姿だけを追求しては彩斗達自身のモチベーションが下がる。本人と周囲が良いと思えるような恰好をしてこそ、ロールプレイングも捗るというものだ。
「そういえば、今後は決めた名前で言うように」
「
「慣れてくれよ。 じゃないと折角名前決めで荒れたのが無駄になるでしょ?」
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