家と外の世界線

 目を閉じた女性の身体は正に人間そのものだ。

 透き通るような白い肌。頭髪も眉毛も無い顔は不気味にも感じるものだが、目の前の姿は一種の芸術作品が如し。

 触れることすら躊躇するような身体を眺め、しかしこのままでは他の作業は出来ないと丁寧に横抱きで運んだ。隣室にはアパートで使っていた折り畳み式のベッドが置かれ、青いカーテンで窓が閉め切られている。

 他の家具は一切存在せず、室内に備え付けられているクローゼットの中に新品の服が幾つか放り込まれていた。

 早朝から神秘的な姿を見たことで完全に意識が覚醒した彩斗は、半ば夢見心地で一階に降りて朝食の準備を進める。ナニカは未だ寝ているのか、先程から声を掛けてくる様子は無い。

 ハムエッグにスクランブルエッグ、作り置きしていた味噌汁。後はセットしていた御飯を机に並べ、テレビから流れるニュースを見ながら食事を進める。

 テレビ画面には美人なアナウンサーが真剣な顔で事故や事件、芸能人の結婚等について報じているが、彼には特別アナウンサーが美人には見えない。


 昨日であればそう見えていたかもしれない。

 彼は女性の顔についてよっぽど酷くなければ同じに見えているのだが、あの人形を見た瞬間に美の頂点と呼ぶべきものを完全に理解してしまった。

 あの人形を前にすれば、如何なる美人も太刀打ちできない。仮に美醜の勝負をしたとしても、人形が負けるとは思えなかった。

 朝食を食べきり、皿を洗っていると脳内に乱雑な文面が流れ込む。

 支離滅裂とした思考は起き出したばかりのナニカのもので、幼い頃から起き出しは変わらない。三十分もすればその思考も落ち着いていき、朝の挨拶が送られた。


「出来ていたぞ。 予想より少し早く完成したみたいだ」


『それは良かった。 何処か変な部分は無かった?』


「見た限りでは大丈夫そうだったぞ。 ……あんまりにも美人過ぎる所為で運ぶのに苦労した」


『設計図で見たことあるだろうに。 まぁ、設計図と実物じゃ印象は変わるらしいしね』


 それじゃあ、と続けてナニカは今日の予定を彩斗に送る。

 一応はボディが完成したので、次はチョーカー部分だ。別の樹脂をセットし、パーツ毎に樹脂を交換しながら組み立てていく。

 ナニカが作る製品の中に既製品はあまりにも少ない。基盤からケースに至るまで、そのほぼ全てがナニカのオリジナルだ。

 ナニカ曰く、オリジナルでないと納得出来る物が出来上がらないとのこと。

 だからといって半導体や抵抗に相当する製品をオリジナルで作るなど正気の沙汰ではないし、出来上がった製品はどれも既存のあらゆる性能を凌駕している。

 戦いに使うのだからそれも当然だが、ここまで普通ではない代物が並ぶと彩斗の中の基準も著しく狂うだろう。

 全てを始めるにはプリンターが必要だった。そのプリンターが完成し、設計図が引けたのであれば、ナニカが望むようにあらゆる物が作り出される。


 樹脂をセットしてケースとチョーカー部分の製作を始め、その間に彩斗は外へと鍛錬に出向いた。

 彼が鍛錬に向かう先は近場の公園だ。先ずは準備体操を行い、その後に身体を温める目的で公園を五周する。紺色のジャージに身を包んだ姿は数年前であれば似合わなかったものだが、今では随分と様になった。

 だらけていた事で膨らみ始めていた腹は引っ込み、見事なシックスパックを形成。身体全体から丸さの原因である贅肉が消え、細くしなやかな筋肉が出来上がっている。

 最初は公園を一周すれば息切れしていたものだが、今では五周しても浅く息が切れるだけ。

 準備体操程度でも大きな差が出来ている。その成長に最初は感動していたものの、今では足りないと彩斗は思っている。

 もっと突き詰められるのではないか。そう思いながらの鍛錬は確かな実を結び、公園を訪れる子供連れの奥様方に度々話題にされることもあった。

 

「今日も一日頑張りますか」


『解っていると思うけど、今日は早めに切り上げてくれ。 そちらが大事なのは百も承知だが、優先順位を間違えると深夜の作業になってしまうからね』


「解ってるって。 俺がお前の言葉を聞かない日があったと――――えぇ……」


 呟きながらの会話は途中で彩斗が目にしたものによって遮られた。

 ナニカも彩斗の視界を通して公園内に居る人物達を眺め、同じく困惑の言葉を漏らす。

 公園横の道路には複数の大型車が並び、撮影機材と思わしきカメラや小道具が公園に運ばれている。公園内には撮影現場らしき状態が構築され、中には十数人の人間が忙しなく歩き回っていた。

 どう見たとしても公園はドラマか何等かのビデオの撮影に使われているのだろう。まったく知らなかっただけにいきなり予定が潰されてしまったと彩斗達は困惑したが、役者と思わしき華やかな装いの人物達を見た瞬間にフードを目深に被った。

 役者の中には彩斗の妹である最上・百合が居た。

 彼女は男性役者と親し気に話し、撮影の時が来るまで待機しているのだ。

 よくよく見れば、彼女の目の下には薄っすらと隈がある。寝ていないのは瞭然で、もしかすれば化粧の下には更に濃い隈があるのではないだろうか。


『まいったね。 撮影が何時まで続くかは解らないけど、今日はこのまま家に戻った方が良いと思うよ』


「同感だ。 百合ならこっちに気付いても無視してくれるかもしれないが、万が一がある」


 現状、百合を含めた家族達には彩斗は仕事をしていることになっている。

 実際は一年前に退職届を出して辞め、今は貯まり続けている資金で生活している状態だ。此処で出会ってしまえば、百合が余計な疑念を抱いてしまうかもしれない。

 それは駄目だ。余計な穴を作るべきではない。

 故に今日の予定は家の中で基礎トレをしながらチョーカーの完成を目指すのみ。公園をなるべく怪しまれない程度に通り過ぎると、役者達の話している声が聞こえる。

 殆どがニュース程度しか見ない彩斗でも知っている者ばかりで、特に一番若い男は人気アイドルグループのリーダーを張っている者だ。

 甘いマスクで多数の女性ファンを獲得した男は、今はそのマスクを百合へと向けている。


「そういえばですけど、この撮影が終わったら御飯を食べにいきませんか?」


「私とですか?」


 男は百合に対して明確な好意を露にしていた。これまでの彼女の人生を鑑みれば、このような誘いは常と変わらない。

 無難に受け流すか、今後の付き合いを継続する為に食べに行くのか。

 盗み聞きしていた彩斗にはどうでもよく、ナニカに至ってはそのまま間違いでも犯してしまえと呪詛を送る。アイドル同士が恋愛関係になるなど日常的だが、どうしてもファンは受け入れない場合が多い。

 ましてや百合は高校生。彼女本人にもバッシングは来るであろうが、付き合っている男性側の常識を疑うと更に大きな批判に晒されるだろう。

 その過程で家族にも批判がやってくれば、さてどうなるか。

 彩斗もナニカもまったく同じ結論に達し、二人は異なる感情を抱いた。片方は嫌悪に、片方は愉悦に。

 妹に関しての対処について、二人は異なる意見を持っている。それが交わることはどちらかが妥協しない限りは有り得ない。

 役者達はジャージ姿の男に意識を向けず、現場をただ眺めていた。百合も直ぐ傍に彼が居ることなど知らず、努めて笑顔を維持したまま言葉を紡ぐ。


「その、多分撮影が終わったら夜になると思いますので……」


「そっか。 ……そうだよね、ごめん」


 彼女の内にある感情を知る者は居ない。現場に居る者達も、両親も――――そして彩斗自身も。

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