2 アドニス・ギラン医学博士
強い光に目が眩む。何が私を照らしているのか。太陽だろうか。そんなもの、ここにはありはしないのに。
地下の研究病棟にあるのは、人工の光だけだ。
一面が白い部屋だ。天井も、床も、ベッドも枕も布団も白い。患者も、白衣を着ている私自身の肌も、ずいぶん白くなっただろう。もう三年も、一歩も地上へ出ていない。私がときどき太陽を幻視してしまうのは、本能が光を欲しているせいかもしれない。
ベッドの上で眠っている私の患者兼被験体は、今年二十歳になる少女だ。そろそろ少女と呼ぶには失礼な年齢なのかもしれないが、私の目にはいまでも少女と映っている。
彼女は宇宙都市リブラ・アークからの逃亡者だった。追っ手を振り切って地球にたどり着くことはできたものの、着陸前にシャトルが墜落して乗員乗客は彼女以外の全員が死亡。奇跡的に生き残った彼女も、植物状態のまま目覚めず三年が経過している。
哀れな少女に対する私の同情の念は、年を経るごとに親愛の度合いを深めていった。どうにか彼女を目覚めさせてあげたい。その一心で治療と研究を続けてきたが、成果と呼べるほどのものはまだ何もない。気づけば私も、彼女を担当するようになってからずっとこの研究病棟を出ていなかった。
一般病棟勤務の同僚たちが、私のことを陰で「吸血鬼」と渾名しているのは知っている。だとすれば、私はよほど献身的な吸血鬼だろう。彼女に夜明けが訪れるならば、私は太陽に焼かれたって構わないと思っているのだから。
もっとも、年々白髪が増えていく頭と、数と深さとを増していく顔面の皺を見てもらえれば、私が日の目を避けて処女の生き血を啜っているわけではないと分かってもらえると思う。そのうえ、最近ではすっかり老眼が進行している。とうに四十を過ぎているのだから当たり前だ。
彼女は一見するとただ眠っているようにしか見えないだろう。仰々しい生命維持装置はもはや過去の産物だ。彼女の命をこの世に繋ぎ止めているのは、人工呼吸器のチューブや無数のコードではない。彼女の体内に注入された数百のナノ・マシンは治療だけでなく、診察も検査も脳波測定も、データ解析も全部やってくれる。
私の仕事は、実のところないに等しい。
「せんせー、検査結果出ましたけどー」
看護用ヒューマノイドのミラが言った。ミラの美々しい顔貌と締まりのない言葉遣いは、元は男性への性的奉仕を目的として作られていたせいだ。研究予算が厳しくて新品のアンドロイドが買えず、ジャンク品を安く買い取って看護用に改修したのがミラだ。改修費用を最小限に抑えるため、容貌や喋り方のように看護に大して支障のない要素はそのままにしてある――ああ、誤解のないように言っておくが、ミラを元々の用途で使役したことは一度もない。
ナノ・マシンによる検査データはいったんミラの内蔵サーバに送信され、瞬時にRRF形式に変換されて私の眼鏡に投影される。眼鏡がちらちらと光っているうちに、私は検査結果を理解している。専門外のことなので詳しくはわからないが、無意識のうちに網膜からデータを読み取っているらしいのだ。機械の力で速読させてもらっているとでも言えばいいだろうか。科学技術の進歩でいちいち文字を読まなくてよくなったのは、老眼の中年医師にはありがたい。
経過は概ね良好。ただ少し、脳波グラフがこれまでと違う波形を示している。この形が意味するところは、
「せんせー、患者さんついに起きちゃうかもですねー」
つまり、そういうことだ。
「一番新しい患者さんの
「研究室に戻る。モニターに出力してくれ」
「あーい」ミラがにっこりと笑う。「アドニスせんせー、よかったですね。三年間の努力が報われそうで」
ミラは私をよく褒めてくれる。アドニスせんせー、いつもがんばってますねー。アドニスせんせー、今日も眼鏡がお似合いですよー。アドニスせんせー、……。
そういうときに限って、ミラは私を名前で呼ぶ。男の自尊心を満足させるために備えられた機能なのだ。その能天気な言葉は、いくら手を尽くしても一向に目覚めようとしない患者と向き合い続ける生活の中で、いくらかの慰めにはなっていた。
けれども、どうやらミラはいまの私の葛藤を理解してくれていないようだ。
「……まだ、目覚めると決まったわけじゃない」
「んー、ま、そですねー」
ミラは笑顔のままだ。患者の快復を第一目的として改修されているミラには、理解できなくても仕方ない。
私は静かに寝息を立てる患者を見下ろした。
ナノ・マシンによる再生治療で火傷の痕はきれいに消えた。頬の血色も悪くない。少女の美しさは少しも損なわれていない。それでも、失われた命までは取り戻せない。彼女と一緒にシャトルに乗っていた家族は、もうこの宇宙のどこにもいないのだ。
少女は、眠ったままのほうが幸せなのだろうか?
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