第7話 第二部 義陽 第六章 柳瀬勝軍斎

          (一)


 先代主君、義滋よししげが三郡の国権を確立した折、攻められて滅んだその弟、瑞堅ずいけんとともに、瑞堅に加担した寺院や神社も破却され、あるいは迫害を受けて衰退したものが少なくなかった。球磨人吉の東方、八代からは南に位置する葦北の定法院じょうほういんもそのひとつである。

 建物は朽ちるに任されていたため屋根が落ち、床が抜けたままとなっている。建材や煮炊きの燃料として、あらかたの床や壁、塀などの板が勝手にがされ持ち出されたのも、もう遠い昔のこととなった。

 今や敷地すら、人が踏み込むこともできぬほどにあしすすき、笹竹などが生い茂っている。そこは、とても人の住めるようなところではなくなっていた。

 義陽よしひが相良の家を継いだのとちょうど同じころ、この荒れ果てた廃墟に人影が見られるようになった。ときおり見られるその人影は、いつも笠を被り、容貌が伺えない。

「遠慮を知らぬ若者が覗き込んだところ、男は顔を晒で巻いて、目と口ばかりが表に出ておったそうだ」

 そんな、恐ろしげな噂が流れた。辺りに住まう人々は狐狸こりの類が棲みついて人をたぶらかしておるかと怪しんだが、どうやらそれは、紛れもない人のようであった。


 ある日、甜瓜まくわうり売りが行商に行く途中でこの廃寺の前を通りかかったところ、男に呼び止められた。

「その荷の瓜を、一つ恵んではくれぬか」

 人に物乞いをするのに、笠も取らず頭も下げぬ尊大さだった。

「これは売り物じゃ。欲しくば、銭を出せ」

 言い方がけんもほろろになったのは、やむを得なかろう。

 絡んでくるか、あるいは強要してくるかと警戒したが、男はしごくあっさりと諦めた。

「ならばよい。己で育てて食うわ」

 そう言うと、懐からなにやら取り出して道端にいた。どうやら、甜瓜の種のようであった。

 商人が興を覚えて眺めていると、男はどこからか椀を取り出し、中に入っていた水を地面にいた。

 すると、土が盛り上がり、亀裂が生じて、若葉が芽生えた。若葉は見る間に背を伸ばし、くきが地面を這った。そこいらに生えている篠竹にもヒゲを伸ばして巻きつき、花を咲かせたかと思うといくつもの実をつけ、ふくらませた。

「もうよかろう」

 呆気にとられて見ている商人をよそに、男はそう呟くと、なった瓜をもいで、うまそうに食い始めた。瓜にかぶりついていた男の目が、商人と合った。

「お主も食うか」

 つられるように頷いた商人に、男は無造作に瓜をもいで手渡した。商人の手の中にあるのは、どう見ても本物の甜瓜である。

 恐る恐る口をつけると、熟れた果肉の濃厚な甘みが口いっぱいに広がった。

 いつの間にか、人家から離れたこの廃寺の前に近隣の人が集まり、遠くから取り巻いて二人の様子を眺めていた。

 男はその人々も呼び寄せると、己の育てた瓜を気前よく振舞った。最初は恐れ半分、遠慮半分であった人々も、一人、二人と手を出す者が表われ始めると、無くなる前にと争ってむさぼり食い始めた。

 商人も、もう断りもせずに二つめ、三つめを口にする。

 さすがの大量の瓜も取り尽されてしまうと、ようやく人々は落ち着いた心持ちになった。思いがけずありついた馳走に、なんとなく緩んだ顔を向け合う。と、商人の悲鳴を背中に聞いた。

 人々が商人のほうを見ると、背負いかご一杯に入れて運んできたはずの甜瓜が全て消え失せ、篭は空になっていた。視線を向けなおせば、実をもがれて葉っぱばかりになって地面をのたうっていた瓜の茎や葉はどこにも見えず、埃っぽい地面が平らなままそこにあるだけだった。

 皆に瓜を振舞った男も、いつの間にかいなくなっている。

 気の毒そうな顔をしながら一人、二人とその場を去っていった人々の後には、茫然とたたずむ商人の姿だけがあった。


 そんなことがあって、商人は廃寺の前は通らぬように用心し、道を遠回りするようになった。しばらく何事もなかった後、商人は小さな子供に呼び止められた。

「何だ」

「瓜が欲しい」

「売り物だ。くれてやるわけにはいかぬ」

 そう断れば諦めるかと思ったが、子供は銭を持った手を差し出してきた。

 いくぶん怪しみながらも、商人は銭を受け取って子供に甜瓜を渡した。

 喜んで瓜を食いながら去っていく子供をしばらく見送り、商人は背負い篭を負いなおして歩き始めた。

 すると、さほど歩かぬうちにまた瓜を求める子供が声をかけてくる。二、三度それを繰り返すうちに、商人は瓜を買うため銭を差し出す子供に取り囲まれていた。

 最後の一人から銭を受け取って瓜を渡しながら、ようやく人心地のついた商人が、自分のそばで瓜にかぶりついている子供の一人に訊いた。

「この辺りで、子供に銭を配るような祝い事でもあったのか」

 訊いた相手は瓜に夢中で答えを返してはこなかったが、もう食い終わった別な一人が代わりに応じた。

「そうじゃねえ。皆で廃寺の辺りで遊んでおると、そこに住む男に呼ばれて並ばされ、瓜を買えと、みんなに銭をくれた」

 商人が慌てて懐に仕舞った巾着を取り出すと、商売繁盛だったはずなのにカサカサと音がするばかりで妙に軽い。巾着から出てきたのは、もともと入れていたわずかな銭のほかは、細いやなぎの葉っぱばかりで、金は家を出たときから一文も増えてはいなかった。

 こうしてその日も、商人は売り物だけをなくして稼ぎを得ずに家路についた。以来、葦北の辺りでその商人の姿が見られることはなくなった。


 廃れた寺の跡地に住み着いた男は、境内の草を刈り、残った柱や木材を使って何かを建て直そうとしているようであった。

 誰にも手伝いを頼まず、独りで黙々と普請ふしんを続けた。人々も、ただ遠くからそれを眺めるばかりで、男と親しく交わろうとする者はいなかった。


          (二)


 相良の当主、義陽が定法院の跡地に人を差し向け、男を召し出したのは、噂が耳に入って、まだそうときが経たないうちのことである。そのような気になったのは、単なる興味が半分、領内に胡乱うろんな者が入り込んで騒擾そうじょうをなすことへの警戒がもう半分であった。ただ、配下に任せず己の目の前まで呼んだのは、退屈しのぎの気持ちが強かったことが伺える。

 男は、役人が現われても逃げ隠れせず、領主の呼び出しに素直に応じた。男の要望をれて、面謁は庭に控えさせて行うのではなく、男も屋敷内に入れてのこととなった。

 妖術の類を遣う男のこととて、下座に座らされた男の周りを屈強な兵が厳重に取り囲んだ。法力が高いと評判の高僧も、数名が控えている。それでも男は、平然とした態度で義陽が現われるのを待っていた。

 義陽がその部屋に足を運んだとき、平伏した男は頭巾姿のままであった。荢屑頭巾おくそずきんといい、目元以外は全てを覆う形の被り物である。

「無礼であろう」

 義陽とともに入室したひがし左京進さきょうのしんが鋭く咎めた。左京進は老職東長兄ながえの嫡男で、義陽の近侍を勤めている。

「ご免」

 男は平伏から直ると頭巾の紐を解き、わずかに顔を義陽へ晒した。義陽の目に映った男の顎から頬にかけての肌は、醜くただれたままかたまっていた。

「お側の方に申し上げる。幼き頃火事に遭い、顔から背中にかけ一面この通りにござる。頭巾を取り払ってもようござるが、却ってご不快かと思い、このようなご無礼をなした次第」

 男の声は割れてくぐもり、年齢を容易に判じられぬものであった。ただその体つきからは、働き盛りの壮年であろうと察せられた。

「頭巾は被ったままでよい」

 義陽が言った。目にしたものに不快な様子もみせず、男をひたと見つめている。

 男はわずかに頭を下げ、頭巾を直した。左京進が続ける。

「まずは名乗られよ」

笑齳坊しょうぐんぼうと称する修験者にござる」

 気を利かせた左京進が脇から差し出してきた紙に、義陽はちらりと目を落とした。そこには、今目の前にいる頭巾の男の、あらかじめ調べられていた名乗りが示されていた。

<齳>の字は、まだ生えそろわぬか抜け落ちたか、いずれにせよ歯のない状態を表す。つまりは幼稚や耄碌ろうもうを笑う坊主ということだから、己のことを笑うとの意ならば自戒を込めた名乗りと取れても、人に対してだとすると、これほど不遜ふそんな名乗りもない。

 義陽は眉をひそめながら問いを重ねた。

「その方、いずれより参った。直答じきとう許すゆえ、そのまま答えよ」

 またわずかに頭を下げただけで、笑齳坊しょうぐんぼうと名乗った男は答えた。

「我は簗瀬やなせの一族に連なる者。一族とともに、この地に流れ着いてござる」

 簗瀬の一族は、日向国ひゅうがのくに倉岡くらおか本貫地ほんがんちとする国衆で、伊東氏に臣従していたが、家中の政争に敗れた一派が球磨へ亡命してきていた。やはり義陽の家督継承のころ流れ着き、そのまま相良家に仕えている者が多い。

 義陽がその場に控える下僚に目をやると、下僚は笑齳坊の言葉を肯定する意を示して深く頭を下げた。

 国主に面謁させる前に、ひと通りの身元調べは終わっている。無論、簗瀬家からの聴取も済んでいた。

「その簗瀬に連なる者が、一族と離れて定法院跡地に居付いたわけは」

「我は武家を捨て、修験道を志したる者なれば、かの地に愛宕社あたごしゃ勧請かんじょうせんと思い立った次第」

「愛宕社を勧請せんとの有意の者が、市中の商人を誑かすか」

 誤魔化しはゆるさぬとの厳しさを込めて、義陽は問うた。

 顔を隠した笑齳坊の泰然自若たいぜんじじゃくとした様子は、それでも変わらない。

「市中の商人が、大切な商いの品をだまし取られて苦情も申さずに去りましょうか。たとえ我を怖れたにせよ、瓜を口にした大人からも子供からも、銭を取り立てようとする素振り一つなく、そのまま去りましてござりまするぞ」

可哀想かわいそうに、それだけきもを潰したということではないか」

「物を売り歩く商人とて、あの男をこれまでもよく見かけ申した。また、こたびのことで評判となり、その姿かたちを思い出す者も多ござる。

 しかし、いかに噂が流れても、あの商人の在所がいずこかとの話は、一向に聞こえては参りませぬ。瓜などというものを、そう遠くから売りに来るはずもござりませぬのに、噂を聞いた近郷の者が、あれはどこぞの誰々よと言い出さぬとは、いかにも不思議なことにござりまするな」

「……どういうことじゃ」

「瓜を売るがあの者の本来の仕事ではないということ。損を少しも取り戻そうとしなかったのが、商人ではないあかしにござる。いや、あそこで銭にこだわり、いさかいが生じて、『吝嗇けちな商人よ』とさらに人の口の端に上る機会が増えることだけは、避けたかったのやもしれませぬ。もともと瓜も、利ざやなどあまり気にせずに、どこぞで買い求めて参った物でありましたろう」

 君主の後ろに控える左京進が口を出した。

「商人を装い、衆目を集めることを嫌う――何のために」

「他人のことを探らんとする者は、後ろめたさがあるゆえ目立つことをおそれ、こそこそと隠れるのが習い性となり申す」

「間者と言うか。しかし、どこの」

「はて、どこでござりましょうかな。しかしながら、葦北という郡がどのような立地にあるかを思い浮べれば、当て推量もそう難しくはござるまい」

薩摩さつま……」

 笑齳坊しょうぐんぼうは背筋を伸ばし、視線を義陽に向け直した。

大隅おおすみに手を突っ込まれて菱刈ひしかりで裏切り者を出し、薩摩では大口おおぐちを切り取られ、島津しまづの殿様はよい心持ちはしておらぬと存じ上げる。されば、『今は反撃するだけの余力はなくとも、いずれは必ず』と思うのが、人の心の持ちようではありませぬか」

「そのときに備えての、島津が放ってきた間者か」

 笑齳坊の無言が、肯定を意味していた。

「お主は、その島津の間者を、我らに代わり追い払ってくれたと申すか」

「なに、瓜売りが駄目なら油売り、干魚ひざかな売り、塩売り。商人が駄目なら修験者や、雲水、放下師ほうげし(軽業や曲芸などの見世物を行う大道芸人)。いくらでも、いかようにも入り込んできましょうぞ。一人や二人、追い出したところできりはない。

 我はただ、術比べをしてみたいと存じ、挑んだだけにござる。負けたほうが、尻尾を巻いて逃げていったということにござれば」

 笑齳坊は、平然と言い放った。その頭巾の奥で光る目を、義陽は改めて興味深く見た。

「なるほど、話は聞いた。さて、笑齳坊とやら。お主は幻術をよくすると耳にした。薩摩の間者を破った法力を、この場で見せてはもらえぬか」

 男は静かに断りを述べた。

「やれと言われて出来ぬものではあり申さぬが、所詮はただの目眩まし。高貴なお方には、お目のけがれにしかなり申さぬゆえ、ご辞退致しとう存ずる」

 脇で何か言い出そうとする近侍を、義陽は手振りで止めた。

「そうか、なれば無理にとは言わぬ」

 相良の当主はあっさりと要望を取り下げた。笑齳坊が、その言を聞いて義陽を見返した。何か言いたいことがあるようにも見える。

「何じゃ」

 義陽は、それだけ問うた。笑齳坊は、視線をそらさずに答えた。

「いえ、ただ噂に違わぬ賢君けんくんと拝察申し上げただけ」

「……大儀であった」

 義陽は顔をそむけると、そのまま背を向けて席を立った。

 皆が平伏して主君の出座を送る。席を立つとき、その日初めて、義陽の顔にわずかに不快の思いが表れていた。


          (三)


 領主が退席した後、面謁の場に同席した高僧たちは別室に誘われて、登城の労をねぎらわれた。噂に聞く京の都の流行を取り入れて、義陽がこのたび新たに造らせた茶室である。僧たちは、そこで宗匠に茶を振舞われた。

さかしらなもの言いをしておったが、神通力を見せよと請われて断ったな」

「我らの目の前で尻尾を出すわけにはいかぬゆえ、詭弁きべんろうして逃げおったが、あれはあれで分別というものであろうよ」

 くつろいだ坊主たちは、先ほどの修験者の拝謁を口に乗せた。

 術を披露するかと緊張していたものが、相手が断ったために余計な気を張らずに済んだ。その弛緩しかんが、高僧たちの舌をなめらかなものにしていた。

「ご免。お寛ぎのところへ、ご無礼仕る」

 茶室へ不意に姿を現したのは、自分らが話題にしていた笑齳坊だった。ひょっこりと顔を出した修験者は、皆の前で手をつき、うやうやしく頭を下げた。

「皆様のお蔭にて、殿様に大いに面目を施せ申した。つきましては、礼を致しとう存ずる。お許し願えまいか」

 そう言うや、相手の返事も待たずに、どこから持ち出したか鉄のなべを出してきて、茶に用いる湯を沸かすための鉄瓶をのけて代わりに火に乗せた。

 高僧の面々は、呆気に取られて見ているばかりである。笑齳坊のへりくだった態度ともの言いが高僧らをいい気分にさせたと同時に、「ここで厳しく拒絶しては狭量きょうりょうと見られてしまう」という考えが頭をよぎったことも、修験者に好きにさせた理由だった。

 熱せられた鉄鍋からは、最初から内側に塗られていたのであろう、やがて味噌の焦げる香ばしい匂いが立ち始めた。

 義陽の茶室では、部屋の中央にを切ってある。そこに乗せた鉄鍋に、笑齳坊は下ろした鉄瓶の湯を注ぎ入れた。

「何をするつもりじゃ」

 高僧の一人が訊いた。

「なに、貧乏な行者ゆえたいしたはできませぬが、なば(きのこ)汁でもご賞味いただこうかと存じましてな」

 僧たちは困惑した。鍋の中は、ただ焼き味噌を溶いた湯が煮え立っているだけである。

「なば汁というても、湯ばかりではないか」

 一人が呟いたのへ、修験者が応じた。

「なばは、これより入れ申す。それ、皆様。そこに生えておるのをどんどん入れてくだされ」

 そう言うと、炉のふちの木枠からにょっきりと生えているきのこを、無造作にみ取って鍋へ放り込んだ。見れば、木枠は肌目が見えぬほどびっしりと、様々な種類のきのこで覆われている。

「何をしていなさる。我一人では手が回りませぬゆえ、どうぞ手伝うてくだされ」

 そう言いながら、修験者は目の前の縁から次々にきのこをむしっては、鍋に放り込み始めた。つられた僧の一人が、おずおずときのこに触れた。まさしく、食用の楢茸ならたけである。怖いものを放り出すように、鍋へと投げた。皆が目の前のきのこを摘み取り、ある者はしげしげと見つめ、ある者は言われるがままに鍋へと投じた。

「さて、そろそろよろしゅうござりましょう」

 ころあいを見ながら鍋をかき回していた笑齳坊はそう言うと、これもどこから取り出した椀に盛り付け、はしを添えて手近の僧に差し出した。

 そうやって、皆に汁を配る。椀の中からは、えもいわれぬいい匂いが立ち昇っていた。

「さあ、召し上がってくだされ。決して毒などではござりませぬぞ」

 中でも一番胆の太い――というよりは軽率なところのある僧が、おずおずと椀に口をつけた。唸り声を上げる。

 皆がその様子を固唾を呑んで見守っていた。

「これは……」

「いかがかな」

 修験者は、悠然ゆうぜんと問うた。

美味うまい! これほどのなば汁、今まで口にしたことはありませぬぞ」

 手許から目を離せないままそう呟くと、高僧は行儀作法も忘れて椀の中身を掻き込んだ。

 先ほどから口一杯よだれの溜まるほどのいい匂いに包まれていた残りの者も、仲間の様子を見て抑制が効かなくなった。たまらず一口汁をすすると、あとは皆、無我夢中であった。

 ゆっくりしていたのでは人に食われてしまうと、争うように鍋の中身を注いでは食い、注いでは食いしていた坊主どもに、ようやく人心地がついたのは、汁の一滴も残さず鍋が空になってからだった。皆の椀も、どれも舌で舐め取ったほどにきれいになっている。

「どうやら皆様に気に入っていただけたご様子。これでこそ振舞った甲斐かいがあったというものでござります」

 笑齳坊は満足そうに言うと、もう一度高僧らに礼を述べて茶室から出て行った。

 上機嫌で修験者を見送った高僧らは、その当人がいなくなったところで初めて我に返った。

 ――見せられたのは幻術だったとして、果たして己らが口にした物も幻か。それとも、あれは笑齳坊が我らの目をくらましておいて取り出した、本物だったのか……。

 それを確かめるための証拠となるべき鍋の中身は、あさましくも己らで全て喰らい尽くしてしまっていた。鍋や食器は、修験者が館のくりやから借り出したものだと後で知れたが、中身についてはついに判らず仕舞いとなった。


 この話を、僧らは皆、固く口をつぐんで一言も漏らさなかったが、義陽は後日、茶の宗匠から聞いて知った。三郡の領主は、呵呵大笑かかたいしょうしたという。

 いつも、もの静かで口元に微笑を浮かべることすらめったにしない主君のほがらかな笑い声を初めて聞いて、常に近侍している左京進は驚きに目をみはった。

 義陽は笑齳坊に、勝軍斎しょうぐんさいと名を改めるよう命じ、公役くえき(租税)免除の給地を与えた。葦北の愛宕社も、いったん定法院の建物全てを取り払い、土地をきれいに均した後に本職の宮大工が入って、『歓喜院かんぎいん愛宕権現堂あたごごんげんどう』の名で領主の事業として落成らくせいした。無論のこと権現堂は、勝軍斎に任せられることとなった。

 笑齳坊改め勝軍斎は、国の庇護する宗教者となったのである。

 以後勝軍斎は、義陽の求めに応じてたびたび鷹峰城を訪れ、領主義陽の信任の下に様々な相談に応じ、ときに献策を行ったという。


          (四)


 後に戦国大名となる守護大名、そう地頭、地頭、あるいは裸一貫からの成り上がり者らは、鎌倉幕府を打ち立てた源氏や室町幕府の足利あしかが氏に味方して闘い、あるいはそのように闘った者の家臣から身を起こした武家ばかりである。当然、周囲の戦国大名も、同じような出自をもった連中だ。

 そうした中にあって、薩摩大隅の二国を支配する島津氏は、もともと貴族領である荘園しょうえんなどを代理統治していた荘官が、鎌倉期以降も地位の継承を認められて守護大名となった変わり種だった。

 すなわち、他国では守護大名、惣地頭、地頭などがいっせいに戦国大名化してを競っていたのに対し、薩摩大隅では島津氏とその家臣だけがほとんど唯一の武闘集団であり、武家に横領おうりょうされていない貴族領が他国とは比較にならないほど多く残っていた。

 これを吸収していくことで島津は勢力を拡大していったのだが、では一気に強大化したかというと、こうした状況が逆に島津を弱体化させ、容易に国外へ進出できない素地そじを作ってしまった。すなわち、貴族領を収奪した上で管理を任せた一族や家臣の中に独立傾向を強める者が多数発生し、国内統治が破綻はたんきたしかける状況になったのだ。

 菱刈重任しげとうの反乱も大口切り取りも、ほとんど座視せざるを得なかったのは、貴久たかひさの継承した島津家が、こうした状況にあったからである。またこのころ、勢力を強めていた日向の伊東義祐よしすけも、領土拡大のため大隅への侵攻を虎視眈々こしたんたんと狙っていた。

 島津は伊東義祐の圧力に対抗するため、大口領有問題をいったん棚上たなあげにしてまで、相良義陽と対伊東の防衛協定を結んでいる。この時期の島津にはまだ、隠忍自重いんにんじちょうの時代が続いていたのである。


「それゆえ、儂が殲滅せんめつせんとするは、津々良つづらの一党だけじゃ。御仏に仕える者を軒並み撫で斬りにせんと定めたものではないゆえ、気は揉むな」

 鷹峰城の城主館において、義陽が、呼びつけた勝軍斎を入れて内々の軍議を開いていた。相良の若い当主は、愛宕社の別当に、国内からの一向宗いっこうしゅう門徒の一掃を告げたところであった。

「お殿様のご差配を、それがしが憂うことなどござりませぬ。しかしながら細やかなお気遣い、誠に有難く存じ上げまする」

 そう言って、頭巾の勝軍斎は一揖いちゆうした。

天草あまくさがことも、取っ掛かりがついたようじゃ」

 障子しょうじを開け放った縁側えんがわから夜の庭へと目をやりながら、義陽は思いつくままに口にした。床柱に背を預けて足を投げ出している。家臣どもには滅多に見せぬ、寛いだ姿であった。

「天草にござりまするか……」

 勝軍斎が呟いた。その声に含まれる懸念を察して、義陽が顔を向けた。

「何じゃ。言いたいことがあるならば、何なりと申せ」

「されば、僭越せんえつながら――これより勢力を更に広げんとするなら、一番手っ取り早いのは、確かに天草に相違ござりませぬ。しかし、彼の地はただの島。切り取ったとて、その先に領土となすべき土地の広がりはありませぬ。なれば、今急いで手をつける要もないものと思われてなりませぬ」

「これ、口が過ぎるぞ」

 主君への口答えに、控えていた近侍、東左京進が叱責の声を上げた。

「左京進、よい。儂が訊いたのじゃ」

 左京進は主人に頭を下げて引き下がったが、口はへの字に結んだままだった。義陽は構わずに勝軍斎へ言葉を掛けた。

「天草を後回しにして、獲れる所が他にあるか」

「確かに、東方以外に、今すぐ手に入れられる場所はございますまい。しかし、喫緊きっきんに手当てすべき先が別にあるのではと、案じられてなりませぬ」

「また、勝軍斎の薩摩わずらいか。島津は、まだ一族すらべられずに内輪揉めを続けておる有り様ではないか。気にすべき者があるとすれば、むしろ日向の伊東であろう」

「確かに伊東義祐は今、日の出の勢いに見えまする。が、大隅に攻め入ってもいま一つはかばかしき成果は挙げられず、また家内も十分治まっておるとは申せませぬ。登りつめてこの有様なれば、勢いがとまった後の下り方はして知るべしと存じまする。

 しかし、島津は違うかに見えまする。確かにお殿様が仰せのとおり、今の島津は一門の統率も取れてはおりませぬが、それでも相良が大口より先には簡単に進めぬほどの地力を持っており申す。薩隅さつぐう二国の統一を成し遂げたあかつきには、容易ならぬ大敵となり申そう」

「あの島津が、そう簡単に二国を統一できるものか。それに、もし手を出すとして、どう致すというのじゃ。お主が今言ったとおり、大口より先には、容易には進めぬぞ」

 左京進が反発心も顕わに、また口を挟んだ。勝軍斎は、平静に答える。

「今のまま、放置しておくことがどうかと思うておりますのじゃ。先々仲良うしていこうとの気が無いのであれば、多少無理をしても、攻め込んで力を弱めておかねばなりませぬ。そのためには、島津と組んで伊東を押さえ込むのではなく、むしろ逆に伊東もけしかけて競いながら島津を削るほうが、先々のためではありませぬか」

「馬鹿な。これ以上伊東をのさばらせては、それこそこちらが圧迫されることになりかねぬ――それに、島津と仲良うしていくなれば、このままで良いではないか。島津とは、対伊東で盟約も成立している仲なるぞ」

「もし島津とこの先ずっと親密に交わるつもりがあるなれば、大口など返してしまいなされ。恨みの種は、相手が気にする余裕のできる前に潰しておくことこそ、真に消せたと申せるものにござりまするぞ」

「何をたわけたことを」

 主君に重用ちょうようされている左京進が吐き捨てた。義陽が場を取り成すように笑い声を上げる。

「判った、判った。津々良と天草のことが片付いたらすぐに、島津への対応を軍議しようぞ」

 勝軍斎が軽く平伏し、この話は終わった。左京進が勝軍斎を見る目の厳しさだけは、それでも変わらないままであった。


 勝軍斎が引き退がった後も、義陽は障子に背を預けた、だらしのない姿勢のままでいた。主君の寛いだ様子に、部屋に残った左京進が気を回した。

「少しささをお持ち致しましょうか」

「いや、よい」

 義陽は、月を見上げたまま、穏やかな声で応じた。いつも身に張り付いている緊張が、勝軍斎と会うときだけはなくなることに、義陽は以前より気づいていた。

 ――これも、あの男の使う幻術か。

 義陽はそうも思うのだが、それでも警戒心は湧いてこなかった。

 ――誑かされておるなら、それでもよいではないか。

 半分は本音である。

 内心ではこの俺を蔑んでおるかもしれぬ家臣どもを、見返すつもりでずいぶんと強引な手段を取ってきた。国の内外ともにそれがうまくいって、今は面と向かって逆らう者もいない。己が相良の家を継いでから今まで成し遂げたことを、義陽は誇っていいはずだった。

 しかし、そうした気分になれない己がいる。

 上村を背かせて放逐し、菱刈を使嗾しそうして大口を盗った。そうしてようやく一息ついたとき、義陽はふと、己が何をやっているのか判らなくなってしまった。

 自分のことを相良の正統な後継と見なせぬ義陽は、己とその血を受け継ぐ者が君臨していくであろう相良の家を、これから先も発展させていくことに、意義を見出せなかったのだ。

 誑かされておるならそれでよいとは、自棄じきの想いからの気分である。しかしもう半分は、勝軍斎が己を誑かすということを、全く信じる気にならぬからでもある。初めて会ったときから、義陽はこの修験者にいわく言いがたい親近感を覚えていた。

 その感情は、引見を何度繰り返しても変わらない。国主とその庇護下の宗教者という立場を越えた会話を交わすような、節度をはずれたまねはこれまで一度も行ってはいないが、そうした裏で、義陽は全てを相手に委ね、甘えているような気分でいる己を自覚することがたびたびあった。

 義陽は思い当たってはいないが、それは父である義滋の態度や、己の耳に入ってくる噂からそれまで実の祖父に対するように甘えていた上村頼興に、不審の目を向けるようになって以来、誰にも覚えることのなくなった感情であった。


 ふと、相良の当主は脇に控える左京進に目をやった。老臣東の嫡男であるこの男は、硬い表情のまま身をこわばらせていた。

「左京進、どうした」

 気にして尋ねた主君に、左京進は一瞬、答えを躊躇ためらった。義陽は察していた。

「勝軍斎がことか」

 左京進は向き直って義陽に正対すると、はらを決めて口を開いた。

「ご主君。あのような者を、お近付けなさり過ぎるのかいかがかと。あれは目くらましを使う下賤げせんやから。寺社一つ預け置く程度ならともかく、領地の大事を語るほど信に足るような者ではござりませぬ」

 義陽は応えなかった。東左京進は、幼いころから小姓として義陽に仕え、ともに育ってきた仲である。当時から一番気が合い、何でも話し合える相手であった。

 ――だが、己のこの気持ちは判るまい。

 心の中で推し量ってみても、そう結論せざるを得なかった。

 一本気な男であるから、中途半端なことを口にすれば、勝手な思い込みで誅殺ちゅうさつに走るのではという危惧すら覚える。勝軍斎はそんなことで害されるような男ではないとは思うが、万が一は想像したくない。危難を避けんとこの領から転退されてしまうのも困る。

 と同時に、咎を与えざるを得なくなって、愛すべきこの男を失うようなことも望んではいなかった。

「ご主君、我が言葉、お聞き入れくださりませぬか」

「左京進。勝軍斎が幻術を遣うは衆知のことなれど、我が前で一度でも行ったことがあるか。初見の折より、あれは道理をわきまえたおとこであるぞ」

「……確かに見た目には、御前で幻術を遣っているとは見えませぬ。さりながら、ご主君のあやつを重用するそのご様子こそ、何かの目眩めくらましのゆえかもしれぬと、それがしには案じられてなりませぬ」

「左京進」

 義陽が近侍にひたとおもてを向けた。相手の目を見つめながら続ける。

「今の儂が、勝軍斎の思うがままに操られていると申すか」

「いや、それは……」

 言葉に詰まった左京進に、義陽はまた声をやわらげて言った。

「お主が儂を案じてくれておるのは判っているつもりじゃ。ありがたく思うぞ」

 左京進は、外を眺めたまま穏やかに声を掛けてくれた義陽に平伏した。


 義陽は津奈木に兵を差し向け、津々良一党を成敗した。津々良とよしみを通じていた者どもも、生き残りは全て、国外へと逃亡した。相良の三郡に秘かに根を下ろし始めた一向宗の教義は、この一事で雲散うんさんした。

 天草の栖本すもとより発した兵が、領境を越えて上津浦こうつうらへ来襲した。義陽が様々な手を使って行わせてきた挑発に、ついに耐え切れなくなっての行動である。待ち構えていた義陽は、これに佐敷さしき田浦たのうらの兵を差し向けて圧倒する。自領から追い出しただけではとどまらず、余勢を駆って踏み込んでいった相良軍に、天草長島ながしま城主天草越前守えちぜんのかみは恭順の意を示して赦された。統治者の変動こそなかったが、これで天草も相良の支配下に入ったということである。

 継承直後ほどの激越さは見せないものの、義陽はこのように、地固めをまた一歩、着実に進めていった。


          (五)


 乾いた木片が触れ合い、畳に落ちる音がした。散らばった算木さんぎを、中年の武士が丁寧に己の目の前へと並べ直す。

 算木は通常、筮竹ぜいちくを使った占いで用いられる。筮竹で出たを数回分溜め、その複数回の卦全体を見て占うのが一般的なのだが、算木は一回一回の結果(卦)を控えておくための「記録装置」として使われるのだ。

 しかしこの男は、算木だけで卜占ぼくせんを行うようであった。上体を屈めて、出た卦に見入る。

「ふむ、先の卦が『沢地萃たくちすい』で、こたびが『水地比すいちひ』か。確かにこれまで行った結果とは違っておるの」

 そう言った武士は、目の前に控える尼を見つめた。わずかに頭を下げた尼僧の表情は、頭巾の陰に隠れて見えなかった。

「さようにござりましょう」

 はかなげに見える尼の口ぶりは、しかしながら自信に満ちたものだった。武士は、上体を起こしながら気軽に言った。

「まあ、これまで仏法修行もまともに行ったことがない、儂のような者がやる卜占じゃ。正反対の卦が出たとて、不思議はないかもしれぬがの」

 尼は、武士の軽口を言下に否定した。

「とんでもござりませぬ。独自の筮法まで編み出された上井うわい様の卜占、この尼も眼を見張る思いが致しておりまするぞ。それに、まさか島津様は、当たるか当たらぬか判らぬような易断えきだんで、軍法を定めて参られたわけではございますまい」

 戦国期のことを記した軍学書などを見ると、占いの吉凶によって進退や攻撃法を決めるようなものがほとんどといってよいほどの多数を占めている。史書にも、占いの結果の通り勝ちを得、あるいは占いを無視して敗れた武将の記録が数多く残されている。それが、当時の一般的な認識であったといえよう。

 中でも鎌倉以前からの家柄を誇る島津家は、戦の前の卜占を重要視することで知られていた。必勝が期されるにもかかわらず、悪い卦が出たために急遽中止となった出陣も、少なからずあったほどだという。

 上井と呼ばれた武士は、相手が島津の軍法に触れた無礼は目こぼしして呟いた。

「尼も認める筮法ぜいほうが、何者かの法力で歪められておったか……」

 上井覚兼かくけんは貴久、義久よしひさと続く島津家で奏者番そうじゃばんを勤めており、これまで主家が行う軍議の有り様をつぶさに見てきていた。折々に、「相良討つべし」の声が挙がらなかったわけではない。しかし、他の戦闘を占えば強気の卦が出ることもしばしばなのに、こと相良に関してはかんばしい結果の出ることがなかった。それが、これまで相良が後回しにされてきた理由なのだ。

 しかし、卜占の結果を歪められたために、勝てる戦さを逃していたとすれば、ことは重大である。

 上井は尼の背後へ目をやった。そこだけではなく、部屋の四隅には修験者がいて、皆、口中で低く曼荼羅まんだらを唱えていた。つい先ほどまで、別室にしつらえた護摩壇ごまだん加持祈祷かじきとうを行わせていた者どもだ。それぞれの行者が背にする柱には、今日のために護符ごふも新たに貼りつけられた。

「お疑いなれば、一旦行者殿らにおはずしいただいて、もう一度占ってみなされるがよい。外からの法力が加えられておること、きっと確信なされましょうぞ」

 言われなくとも確かめるつもりであった。

 ――しかし、そのような神通力を持つとは、いかなる者であろうか。

 上井はふと、球磨に入れた間者が幻術に惑わされて逃げ帰ってきた話を思い出した。古い社跡やしろあとに住み着いた男が、相良の当主の信用を得て、そこに愛宕社を建ててもらい住持じゅうじしておるという。何とはなしに、その男であるような気がした。

 ――それも、確かめればよい。

 間者は幾人も放ってあった。

 ――相良は、攻める。今でなくともいずれは。そうときを掛けずに、大隅の決着がつくはずであった。その後には、間違いなく。

 しかし、その前にやっておかねばならぬことが一つできたかもしれなかった。


 槃妙尼はんみょうには、頭巾の陰に隠した瞳で目の前の上井をうかがっていた。

 着々と進んでいくかと思われた相良覆滅の計略が、あるときからぴたりと止まってしまった。それが何者の仕業によるのか、突き止めるまでに、さすがの槃妙尼が大いにときを費やせられた。

 相手は、どこからか流れ着いた得体の知れぬ修験者であった。更にこの男、槃妙尼にとっても侮れぬほどの法力を備えているふしがあった。

 苛立ちのあまり、乗り込んでひと揉みにひねり潰してくれようかと激したが、何とか思いとどまった。今は大事の総仕上げの前。仕留めそこなうことはないにしても、こちらも傷を負わされてしまう懸念までは払拭できなかったのだ。

 ――我が力が弱まれば、それだけ大望を成就するのが遅れることになる。

 槃妙尼は慎重を期して、これまでと同じようにからめ手から邪魔者を排除する策を選んだ。それが、今ここにいる理由だ。

 ――上井覚兼。惜しいが、手に入れることまでは出来まい。

 目の前の男には、槃妙尼が付け入れるだけの妄執や心の虚ろがなかった。

 ――それでも、こたびはよしとしようか。邪魔者を取り除く役には、十分立ってくれそうだからの。

 槃妙尼は心の中で呟くと、相手に気づかれぬほどわずかに唇の端を吊り上げた。


 葦北の愛宕権現堂の主殿では、勝軍斎が歓喜天かんぎてんの姿を写した掛け軸の前で、一心に祈っていた。

 ふと、勝軍斎は祈りをやめて目を開けた。宙空を見上げた瞳には、深い憂いの色があった。

「これまでか……」

 その一言だけが、頭巾に隠された勝軍斎の口からこぼれ出た。





 













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