第8話 第二部 義陽 第七章 南からの暗雲
(一)
ある日、
来訪者は、城の門番に「葦北の愛宕権現堂別当、
相手の用件に心当たりは全くない。勝軍斎は、一人の壮年の武士を伴っていると知らされた。ともかく城主館の広間に通させ、会ってみることにした。
「突然押しかけて参り、ご迷惑をお掛け致しました。深くお詫び申し上げます」
平伏して宗方を迎えた勝軍斎に、尊大なところは一つもなかった。様子を探るため世間話を一つ二つしてみると、応じてはくるものの胆の底は見せない。幻術を遣うと評判の男相手に、宗方は困惑した。
話の接ぎ穂を失った宗方は、勝軍斎が引き連れてきた武士に視線をやった。入室の折、勝軍斎から
領主義陽よりは五、六歳上か、宗方自身とそう変わらぬ年齢だと思える。休矣は、静かに笑みを浮かべたまま、ここまで二人の会話をずっと黙って聞いていた。
「
仕方なく、話の
「たいした家柄も無きただの
「それは……」
――いろいろ、何を教わったのだろうか。この男も、あるいは人を
勝軍斎が、後を続けた。
「そうそう、本日深水様の所へ無礼にも押しかけたのは、この者をお引き合わせ致すためにござった」
「
勝軍斎が居ずまいを正し、宗方に手を着いた。
「深水様。これまで、一通りの武家の作法は教えて参りました。この者、使えるかどうか、しばらく側に置いてみてはもらえませぬか」
「勝軍斎殿、ともかく、お手をおあげくだされ――しかしながら、お手前なれば、義陽公のお側でもどこでも、このお方をお世話する先はござりましょうに。なぜにお
「是非にも深水様にお願い致したく参った次第」
「深水様とは違い、それがし学問には
「それは……」
宗方は、困惑の表情を浮かべた。深水家も代々、相良で重臣の末席には引っ掛かる家柄である。そのため宗方もこの拠点となる城を委ねられてはいるが、当人はむしろ文人として名を成しており、相良家中では、どちらかといえば軟弱の徒と見られていた。
「深水様は、これより相良のお家を背負って立つお方。そのお方に、この者が使えるかどうか見て頂きたいのでござる」
勝軍斎の物言いは、くすぐったいばかりで居心地がよくない。
「この歳までご主君のお側に仕えることもなく、片田舎の城守が精一杯の男が、お家を背負って立つと言われるか」
「いかさま」
まっすぐ宗方を見返す修験者の目は、真剣だった。
「勝軍斎殿の法力は、先々のことも見通されますのか」
「いささかは」
修験者は、謙遜する素振りもなく肯定した。そこまで言われれば、宗方としては確認せざるを得ない。
「そのお力で、我が行く末を見たと?」
勝軍斎はその問いに直接答えようとはせずに、明り取りの窓より差し込む陽光に目をやった。
「深水様。間もなく、深水様が予想だにもせぬことが起こりましょう。そのときまで、この者の有りようをよく見ておいては頂けませぬか。そして、この勝軍斎
言っていることの理解はつかなかったが、言葉の端々に不吉なものを感じた。
「深水様。この通り、頼み入りまする。なにとぞ、よしなに」
勝軍斎が、深々と頭を下げた。その背後では、荗季休矣が隣で頭を下げる師に
重任の後を襲った嫡男の
周囲に己の強権を見せ付けるためあえて重任を斬らせた義陽であったが、菱刈氏に対し、いくらかの罪悪感を覚えての処遇であったかもしれない。
一方、菱刈隆秋はといえば、己の一族が置かれている不安定さに、毎日身の細るような思いをしていた。
――相良の当主から厚い信頼を得ていると自負していた父は、相良家中の内紛に首を突っ込んで殿様の怒りを買い、あっさりと斬られた。今はまだ自分にその罪は及んではいないが、もし我が
それが、隆秋の義陽観である。とはいっても、菱刈には他に
――島津は論外。島津からの独立を強めている
胃の鈍痛とともに
――天気が悪い上に遠くてはっきりとは見えないが、国境の向こうをのんびり行くのは、
隆秋は心の中で素早く計算した。
相良軍が、当時は島津方だった東郷軍に打ち勝ってこの大口防衛を果たして以来、この近辺でしばらく戦闘は起こっていない。島津の補給部隊があのように
――なれば、奪える。
隆秋は舌舐めずりした。平出水城への兵糧を奪えれば、結果
慎重論が出なかったわけではない。それでも、相良よりお目付役としてつけられた
捕獲隊はその伝右衛門が指揮する。騎兵のみの数十騎で駆け寄せる伝右衛門らの様子に気づき、島津の補給部隊は進路を
一部がその場に残って抵抗し、荷駄を逃がそうとしている。城からその有り様を見ていた菱刈隆秋は、遅れて準備の整った追加の兵を引き連れて、自らも出撃した。
敵が数を増したのを見て、島津の
両軍入り乱れながら
――
気づいて
これが、江戸期に入ってから<
島津軍の釣り出しに乗って罠に
助けたくとも手立てがなくなったということかもしれないが、菱刈氏はこの後、義陽から見放されてしまう。離反した上ことごとく敵対してきた島津に簡単に赦されるはずもなく、菱刈氏は、その後も続く戦国の騒乱の中で、急速に衰退していった。
(二)
大口陥落の衝撃に相良の家中がまだ騒然としているさ中、京より
島津に大口が奪い返されたことにより、
義陽は、この重要拠点の最高責任者を引き抜いたことになるのだが、実は入れ違いに、老職
それに、今すぐ薩摩との国境で紛争が起こるとは考えていなかった。なぜなら、一方でしばらく大人しかった
関白近衛卿の目的は、
いかにも平和主義の理想論者が考えそうなことで、島津とてまともに言うことを聞くつもりなどないのだが、なにしろ島津は鎌倉以前からの歴史を誇るお家柄であり、
ちなみに大友であるが、九州北端を奪い合って敵対している
義陽はそこまで島津の内情を推察していたわけではないが、今、事を荒立てるようなことをしないぐらいの常識は備えているだろうと、真っ当な判断をしていたといえよう。
何が良かったのか、近衛卿は相良をかなり気に入ったようであった。一旦薩摩まで下った後も頻繁に八代と往復し、自ら率先して相良と島津の間を取り持とうとしてくれた。あるいは、大友・島津連合の実現不可能を内心では薄々察知しており、代わりになる功績が欲しかっただけかもしれない。しかしそれでも、相良にとっては損になることのない、ありがたいお節介であった。
鷹峰城の城主館の庭に、領主の義陽と勝軍斎が
「これで、島津との仲が安定するなれば、
心許せる者だけを前にして、義陽は正直に内心を
「そう、うまくは参りますまい。島津が大人しくしておるのも、近衛様がご滞在なされておられる間だけ」
「なれば、少しでも長く居てもらおうか」
軽口を叩いた義陽に、勝軍斎は応えなかった。その様子を義陽が気にした。
「どうした」
「いずれは京か
「まさかに。関白様は、どこでも大事にされておるわ」
「たとえ幾千、幾万で護ろうとも、護りきれぬこともござりますゆえ」
今度は義陽が口を
「殿様。ひとつ、策がござりまする。お聞きいただけましょうや」
「ほう、これは。聞かれもせぬのにお主の方から言い出すとは、珍しいの。何じゃ、申してみよ」
勝軍斎は、己の策を口にした。それを耳にした左京進が、黙っていられずに口を出した。
「馬鹿な。自ら
相良の当主は冷静だった。
「勝軍斎、それが何かの役に立つか」
「あるいは。もし役に立たずとも、何の支障も生じますまい――せいぜい、これより先、献納が必要になることぐらいでござりましょうが、それもわずかなもの。どうせこうしてつながりができた以上は、季節ごとのご挨拶は要るようになりましょうからな」
「……考えておこう」
相良の当主は、わずかに黙考した上で答えた。それは単に、まだ何か言いたそうな左京進を抑えるための言葉に過ぎなかったのかもしれない。
京からやってきた公家の意向などはお構いなしに、日向の伊東義祐がついに動き出した。伊東は、相良と島津が連携した封鎖線によって一時的に動きを抑えられていたのだが、島津による大口の再奪還以降、相良との二家連携が
まず伊東は、封鎖線に加担していた
このとき、島津は一族の内乱を全て取り
いかに上り調子にある伊東氏とはいえ、客観的に見れば島津はもう歯が立つ相手ではなかったのだが、義祐は止まらなかった。あるいは、止まれなかったのであろうか。
内部に抱える矛盾を表面化させないために、どこまでも拡張路線を取り続けて皆の意識を外へ外へと向けておく――現代の新興企業が抱えがちな欠陥を、当時の伊東氏も有していたのかもしれない。
義祐は、島津の当主である義久の弟、
義祐はいったん国へ戻り体勢を立て直すと、今度は
攻撃の手を緩めない島津が伊東氏の本拠、
薩摩では、相良から大口を奪還したことに伴い、一時は独立した動きを見せ始めていた東郷氏や
これで島津は、いよいよ九州統一へ乗り出す体勢を整えたことになる。日向はもともと、薩摩や大隅と並んで島津が守護を勤めていた国であり、北原はすでに滅亡、伊東義祐は放逐したということもあって、一国が簡単に転がり込んできた。
次に狙うは、豊後街道(太平洋)側は大友宗麟、薩摩街道(日本海)側は、因縁の相良となった。
(三)
「間違いはないのか」
厳しい口調で問い質す、義陽の声は震えていた。
「
義陽一番の側近を自認する左京進も、いつもより
「その間者が、大口の内情を得たことへの礼状を携えていたと言うか」
「そのとおりにござります」
東左京進は力を込めて肯定した。それでも、義陽は容易に信じようとはしない。
「島津が仕掛けてきた、
左京進は一拍置いてから答えた。
「その懸念も捨てられませなんだゆえ、傍証も固めてござります」
三郡の領主は、無言でその先を促した。左京進が応じる。
「
懐から取り出した書状を、義陽へと差し出した。
ひったくるように受け取った義陽は、一刻も惜しいとばかりに腕を振って書状を拡げると、目を皿にして字を拾った。
「なんと……」
義陽の口から出た言葉は、これだけだった。肩を落とし、呆然としている。
手紙は、島津義久の意向を受けた奏者番の
今、義陽が手にしている口書は、勝軍斎の命で島津への密使役を仰せつかった一族の者が、そのことを告白した書面であった。無論、告白者の爪印も押されている。
ここまで揃えば、義陽としても否定する術がなかった。
――勝軍斎、なぜに。我は心を開き、あれほどまでに遇してきたのに。それを、一体、なぜ……。
かつて、夜に会って一向宗成敗の話を申し渡したとき、この修験者に誑かされるならばそれでもよいと思っていたことは、もう今の義陽の念頭にはない。何の見返りも求めずに、誰よりも信じた相手に裏切られた怒りと喪失感だけがあった。
「これより捕縛の兵を差し向けまする」
左京進が、裁可を求めて言った。
「いや、すでにここまで明らかなれば、捕縛の要はない。斬れ」
相良の当主の口から出た言葉は、低く掠れていた。義陽は顔を上げ、声を励まして続けた。
「謀叛人は、目眩ましを使う妖術遣いじゃ。十分に備えをなし、必ず討ち取って、儂の目の前に首をもってこい。構えて失敗ることなどなきよう、しかと命じたぞ」
燃えるような目で見下ろす義陽に、左京進は平伏した。
数刻後、義陽の前に、
自分を裏切った男の焼け
八代のはずれのあの古い堂宇では、
「役にも立たぬ公家の身を案じて我がことがおろそかになるとは、存外に馬鹿な男であったわ。これで、邪魔者はなくなった。今こそ、相良を、球磨を滅ぼすときぞ」
ふと、何か思いついたように小首をかしげる。
「そうじゃ、誤りは気づかせてやらねばの。後悔に
ニタリと笑った顔は、周囲全てを凍りつかせるほどに冷たかった。
鷹峰城の城主館で、国主義陽の前に東左京進が平伏していた。左京進を質す主君の声は、静かだった。
「口書に爪印を押した簗瀬
「は」
「口書が鷹峰に届いたときには、もう首と胴が離れていたと」
「……御意」
「簗瀬一族の他の者は」
「既に薩摩に逃亡。今、御領内には一人も残ってはおりませぬ」
「一人として捕らえられなんだか――まさか、口書と引き換えに見逃したのではあるまいな」
近侍は、平伏したまま答えられなかった。
「左京進」
左京進は、頭を上げると必死に言い募った。
「ご主君、勝軍斎は
義陽は共に育った男を睨み据えた。
見返す相手の目には、覚悟が見えた。その瞳に映る己の姿を見て、義陽の
――己で調べようとせずに処断を決めたのは、あの男を信じきることができなかったのは、誰でもない、結局、この己自身だった……。
「判った。しばらく謹慎していよ」
「左京進」
頭を下げ、そのまま下がろうとした近侍を、義陽が呼び止めた。
「儂の命も受けずに、早まったことをしてはならぬぞ」
退座の途中で無言のまま固まった左京進に、義陽は続けた。心の内をそのまま晒したような声だった。
「隠し事なく何でも話せる相手は、もう一人しか残ってはおらぬ。その最後の一人まで、儂から取り上げるようなまねは、決してすまいぞ――よいか、左京進。判ったら返事を致せ」
「お殿様……」
あとは、声にならなかった。左京進は、己の一命に替えて勝軍斎を除く覚悟であった。それが、この国とご主君義陽のためであると、確信して疑わなかった。
しかしこの瞬間、初めて己の行ったことに疑念が生じていた。
――俺は、あの尼僧に今まで誑かされていたのか……。
後悔の念が襲いきたが、もう取り返しのつくことではなかった。なれば、己に出来るのはただ一つ――このご主君に、一命を捧げる。忠義一途の男は、改めてそう誓った。
――己は変わったのか。
目の前で号泣する近侍を前に、義陽は思った。
上村の一統にも、菱刈重任にも、我はこのような情けはかけなかった。あの男に出遭うてより、我は変わったのであろうか。
――勝軍斎。これでよいのか。
宙を見据え、義陽は思った。
――今の儂に、出来ることはなんだ。
心の内でそっと、そう呼びかけてみた。
――もう一度、もう一度だけでも、あの声が聞きたい。
痛切にそう願った。己で途を閉ざした、叶わぬ願いであった。
織田信長からの強い帰京の要請を受け、近衛前久はついに九州を後にすることになった。豊後からは、大友宗麟が船を支度するという。
別れを前に、相良義陽は近衛卿へ、家臣に加えてくれるようにと願った。それが、勝軍斎が最後に献じた策であった。公家関白は快く応じ、簡単な主従の
「けったいなことをするものよ」
義陽の、位が高いばかりで何の力も持たぬ公家への
(四)
関白の近衛卿が帰京したことで、島津から
島津の当主である義久は、まず
ついで島津は、敵からは猛将として恐れられる
攻撃側が一息ついて、城内に降伏勧告を出して様子を見ようかというとき、相良の救援軍が包囲の外から奇襲をかけてきた。攻略の
相良の救援軍は、国主相良義陽が自ら率いてきた精鋭であった。それを告げられた籠城部隊の士気も高まる。
思いもかけぬ奇襲で痛手を受けた
それでも、自軍を崩壊させることなく整然と兵を退き、義陽に付け入る隙を与えなかったのは、さすがに島津の当主が信頼を寄せる部将の進退といえた。敵軍が国境を越えて戻っていくのを確認し、義陽も本城の鷹峰へと帰還した。
朴河内城へ伸ばしかけた手を引っこめざるを得なくなった島津であったが、肥後攻略の意思は固い。小領主相良に対し、今の義久には手段がいくらでもあった。
島津は、相良の領地を迂回し、海路天草経由で肥後の中部及び北部方面へと圧力をかけた。
まず、天草のすぐ北方に位置する
相良は、南、西、北の三方を島津の勢力に囲まれることになったのである。残る東側も伊東氏の敗北後は着々と島津の攻略が進んでいる。義陽は有効な打開策が見出せずに苦しんだ。
この間、相良領に何の手出しも行われなかったわけではない。攻略が
球磨方面では、
こうして、相良家中が島津軍のめまぐるしい動きに防戦一方になっているさ中、鳴りを潜めていた新納忠元が、百に満たぬほどの兵だけ引き連れ、突如葦北に出現、朴河内城に夜襲をかけた。前回の攻防で損傷した
こうして相良の本土内に、ついに島津の
一方、日向へ目を向けると、島津に敗れ国を追われた伊東義祐は北へ逃亡し、豊後の大友宗麟に援助を求めていた。伊東の要請を快諾した宗麟は、かつての伊東の領土へと兵を進める。
伊東氏敗亡後、島津の統治がまだ行き渡っていない日向北部を、大友の兵が
大友軍は寺を焼き、郷を治めていた
当時、日本に渡来したばかりの
大友軍南下の報を受け、島津は確保が終わった日向中部で大友との決戦を行うと
島津義久は、大友軍に高城攻略の陣を敷かせた上で、自軍の兵を展開させた。当時の九州で、突出した勢力を誇る二つの軍の激突は、しかしながらあっけないほど簡単に決着がついた。島津の大勝、大友の大惨敗である。高城の北方、
大友宗麟自身は、この決戦の場にはいなかった。すでに切り取り終えた地で、新国家の建設に夢中になっていたのだ。戦いは、全て配下任せであった。
任されたほうは、やる気がおきない。
宗麟の
自軍大敗の報を聞いた宗麟は、夢破れて豊後へと逃げ戻った。糧秣も放り出して尻に火がついたように逃げ出したため、道中ずっと飢えに苦しみながらの
大友軍の敗報は、相良にとっても衝撃であった。義陽が見放したことで菊池義武が球磨を離れ、大友宗麟の処断を受けて以来、相良と大友は良好な関係を続けていた。
島津に南から圧迫を受け、西の天草、北の宇土や
大友の敗走によって東側も完全に塞がれ、これで相良は、四周ほぼ全てを島津に包囲され孤立する形になった。自国に隣接する反島津の勢力は、もう北西部の
日向で大友軍を駆逐した島津は、主兵力を対相良方面へと移動させ始めた。大友に対抗するために、島津が兵力の大半を日向方面に集めていたことで、これまで何とか小領主の相良でも対抗できていたのだ。
片手間の攻勢を打ち払うだけで精一杯であった義陽に対し、ついに島津は本腰を入れてきた。
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