第5話 第一部 義滋 第四章 父と子の間

          (一)


 義滋が菊池の領土に進攻したのと同じころ、宇土うとの親元へ帰されるお由利の方が鷹峰城を後にしていた。お由利の方の一行は、お付きの女房どもを含め、十数人であった。八代やつしろ衆や葦北あしきた衆に護衛された一行は、八代からいったん佐敷さしきに下り、輿こしから船へと乗り換えた。船の着く松合まつあいで、実家の名和なわ氏の手勢に引き渡されることになっている。

 船が出たのは、ふじもとと呼ばれるみなとであった。八代海は外洋を天草あまくさ諸島に隔てられた内海うちうみで、お由利の方が渡航する北端部は外洋に出るまでには更に有明海ありあけかいを経由する二重の内海構造になっている。船は、向こう岸に見える半島まで湾の中を漕いで行くだけであり、波はまるで湖を進むように穏やかだった。

 お由利の方は、言葉もなく船が出た岸辺を眺めていた。背中から射す夕日が陸地を染めている。まるで、これまでの嫁ぎ先での日々を無かったことにするために、後にしてきた思い出の全てが燃やされているようだった。

「奥方様……」

 気遣う女房どもを見やることもない。女たちの中からは、すすり泣く声も聞こえていた。

「奥方様にあれほど可愛がられておきながら、お城に残るとは、綾女あやめは恩知らずな女よ」

「左様さよう、しかも、何とあの上村うえむら頼興よりおきに仕えようとしておるそうではないか」

「何、それはまことのことか」

「義滋様の近習より耳にした話なれば、間違いはあるまい」

 女房どもの口さがない噂話を、お由利の方が「やめよ」と遮った。

「綾女が残るについてはわらわが許したこと。むしろ、残ってくれることに妾は綾女に頭を下げて礼を申しました。悪口を言うてはなりませぬ」

 ぴたりと口を閉ざした女どもを背に、お由利の方は懐から何かを取り出した。それは、名和を出るときに母から頂戴した夫人愛用の手鏡であった。何を想ったのか、お由利の方は軽く身を乗り出すと、手の中の鏡を、船べりから滑らせるように海の中へと投じた。

 夕日を受け、鏡はきらきらと光りながら海の底へと沈んでいった。いつもお方様のそばに侍していた数人が、お由利の方と同じように手鏡を海へと落とした。

 投じたものが水の中に消えても、夕日が沈んであたりがよく見えなくなっても、女たちはいつまでも波間から目を離せずにいた。

 このお由利の方や女房どもの行動について、史書は「懐妊中であるにもかかわらず離縁し、実家へ帰そうとする無慈悲な夫を恨んでの呪術的な行為であり、以後義滋は奇病を発し鬱々うつうつとして楽しまなくなった」と記している。お由利の方帰国の途中、網代笠を被った旅の僧と出合いしばしの話をしたかどうかという記述はない。


 まだ幼い猫が、目の前をちらちらと動くものに意識を奪われていた。それは、湖面が夕日を反射して、納屋なやの壁に投影させた光であった。

 何の具合か、辺りより少しだけ強い光が一筋、斜めのほうから壁に差し込んでいたのだ。光が絶え間なく動くさまを、猫の目は他の全てを忘れて追っていた。

 仔猫が、ひょいと手を出す。しかしそのときには、光は別の場所に移動している。

 また手を出す。光が逃げる。ついには後ろ足で立ちながら、猫は両方の前足を使い、目の前をちょこまかと動くものを捕まえにかかった。

 決して成功することがなくとも、夕日が地に沈み込んでその光が消えてしまうまで、飽きることなく仔猫は同じ遊びに没頭し続けた。


 戦場では、相良軍がいよいよ押し込まれ、敵の尖兵が中軍に達しようとしていた。大将を直衛すべき兵らも、敵と直接斬り合いを始めている。それでも、まだ義滋は撤退の道筋を見出せずにいた。

 左右を見回していた義滋の目が一点で止まった。今、何かがあそこで光ったように見えた。

 ――向こうで道が開けるか。

 確信は何もない。それでも、天啓てんけいと信じて進むしかなかった。このままさらにときを費やせば、皆が討ち取られることは確実なのだ。

「丸目、できるだけ兵をまとめよ。ついてこられる者だけ従えて、敵中を突破するぞ」

「殿、何を」

 丸目にすれば今さらであったが、義滋は聞く耳を持たずに馬を進めようとした。丸目が慌てて母衣衆ほろしゅうを呼び集める。

 菊池の本陣からは、自軍が押し込んでいる脇を破って敵兵の一群が湧き出してくるのが見えた。菊池家を継いだ若い能運よしゆきが、そばに控える配下に聞いた。

「あれは、敵の中軍か」

「やっと逃げ出すつもりになったようですな。真っ直ぐ後ろに退かずに一丸で突破しようというのは見所があり申すが、しかし事ここに至ってからでは、いかにも遅い」

 配下の将は、後衛に向かってさいを振った。陣列から一群が流れ出出て、進み始めた敵の部隊への対応に向かう。

「前方を塞いで止めてしまえば、あとは挟撃になり申す。本隊から離れてしまった小勢、すぐに跡形あとかたもなく揉み潰せましょう」

 兵どもがおめきあう前線を切り抜けた義滋直卒の部隊は、いったん敵のいない方角へ向かうと、急に進行方向を転じて東へと走り始めた。敵軍の先回りをしようとしていた菊池の部隊が目標を失って急停止する。義滋が直卒する集団が目指す先に、元からいた部隊が、慌てて槍を構えなおした。

 もう霧は完全に晴れていた。夕暮れを真っ赤に染めていた雲間から、突如大きな落日が顔を出した。義滋の突撃を待ち受ける菊池の部隊は、余りのまぶしさに目を細めた。相良の中軍は、赫々あかあかと燃える陽光とともに、待ち構える敵陣へとまっしぐらに突き進んでいく。陽光と決死の兵の勢いが、菊池の兵が繰り出す槍先の鋭さを鈍らせた。

 義滋の中軍は、周囲で戦う味方に大きく声をかけながら移動してきた。敵と槍を合わせる兵は、その声を聞いて戦いながら中軍の後を追った。騎馬の数が少ないため中軍の動き自体はそう早いものでなかったことが、この場合は幸いした。

 相良の中軍は、わずかずつでも味方の兵を吸収し続けながら移動したために、局所局所では崩壊寸前となるほどの打撃を受けつつも、なんとか壊走かいそうに陥ることなく戦闘力を維持し続けたのである。

 相良の軍と対峙していた菊池の後衛部隊は、敵の圧力に一蹴された。敵はそのまま山岳地帯へとなだれ込んでいく。追撃は掛けているが、合流する兵を併せて膨張する敵は、損害を受けながらも集団を維持し続けていた。そして、山中で木々の間を不規則に移動していく戦いでは、槍による集団密集戦法は機能しない。

「あそこまで押し込みながら、敵将を逃すか……」

 本陣で、大将菊池能運を補佐する部将がうめいた。口を引き結んだ若い能運が、気持ちを切り替えて言った。

「よい。ここまで大勝すれば十分じゃ。これで相良も、もう迂闊うかつな手出しはしてくるまい。近隣の者どもも、菊池の武威ぶいを改めて思い知ったであろう」

 能運にしてみれば、混乱する家内をまとめて勝ち戦さを得たことで、この先、国人衆を服従させていく目途が立った。菊池家を再び九州の雄とするための、第一歩を踏み出せたのである。

 負けて逃げ戻って行く義滋の軍勢を目で追いながら、己の前途の明るさに気持ちが高揚していくのを感じていた。


 八代の原野に建つ見捨てられた古い堂宇の中から、念仏とも呪詛じゅそとも聞こえる声が響いていた。死期の迫ったおうなを思わせるような、しわがかすれた声であったが、それは途切れることなく延々と続いていた。

「しゃあっ」

 堂宇の暗闇の中で、目だけを爛爛らんらんと光らせた槃妙尼はんみょうに念呪ねんじゅをやめ、罵声ばせいを上げた。

「菊池の馬鹿ども、あそこまで追い詰めておきながら息の根を止められぬか。古いばかりで役立たずのガラクタめ!

 それにしても義滋の悪運の強いことよ……まあ、よい。一族が衰亡に苦しむところを、まだまだ楽しませてもらおうぞ」

 槃妙尼が、ふと視線を脇にやる。

「この尼に力を貸してもらいながら役にも立たぬ菊池の一族。もう用は無いわ」

 闇の中で、目の前の見えない何者かを威嚇するように大口を開くと、けもののように研ぎ澄まされた歯が並んでいた。

 戦場で勝ちどきを上げ、隈府わいふへ戻った菊池能運は突如卒した。前の晩は何の変わりもなく家臣と談笑をしながら、翌朝にはもう冷たくなっていた。

 まだ二十五歳の若さであったという。相良の姫との婚姻が破談になった能運には、子がいなかった。

 兄弟もいない能運の後継として、菊池の一族である肥前ひぜん政隆まさたかの名ががった。しかし、肥前家は一門とはいえ、一度は臣下に降った家柄である。

 国人衆の内部抗争が再燃した。そこへ、今度は豊後ぶんご(現在の大分県)の大友おおとも義鑑よしあきが介入する。義鑑は肥前一族を放逐し、隈府を武力で制圧すると、実弟の義武よしたけを亡き能運の養子に強引に据え、菊池の後継とした。

 こうして、九州の名門菊池家は、事実上滅亡のときを迎えたのだった。


          (二)


 ようやく老境に入った上村頼興は、己の来し方を振り返っていた。人吉の城下を東へはずれたところに新たに築かせた、赤池城あかいけじょうの庭でのことである。

 頼興は、近習に持ってこさせた床几しょうぎに腰掛け、うららかな陽射しをのんびりと浴びているところだった。

 ――我が望みは、ほとんど叶えられたと言ってよかろう。

 相良義滋を半ば無理矢理立たせ、弟の瑞堅から国主の座を奪わせてよりは、怒濤どとうのような日々であった。

 まずは瑞堅を攻めて自害に追い込み、騒乱が続いた球磨の安定のために義滋やその娘に隣国との婚姻関係を結ばせた。中でも義滋の妻となった名和氏の娘には頼興自身が食指を動かし、自分の子かもしれぬ男児を産ませている。

 後は邪魔になった義滋を始末して、生まれた子供の後見人として自分が名実ともに球磨の実権を握れば、全てが完結するはずだった。そのために菊池氏に対する挙兵を行わせ、義滋は頼興の目論見どおり遠征先で大敗を喫したのだが、悪運強く生き延びて人吉まで逃げ帰ってきた。

 ――まあ、よい。義滋が生きていたとて、もはや何を行う力も持たぬ。

 もともと頼興の後ろ盾がなければ国人衆すらまともに従わせられぬ名ばかりの国主であったが、菊池氏に大敗したことで、その権威は文字通り地にちてしまっている。もはや、領土の方針を定めるからとて周囲が判断を仰ぐのは、あからさまに頼興のほうになってしまっていた。


 こうした間も、球磨の内外では大きな変動が次々と起こっていた。

 まずは、義滋率いる相良軍に壊滅的な被害を与えて撥ね返した菊池では、国主能運が突如卒し、豊後の大友氏に国を奪われてしまった。

 新たに菊池の当主となった大友義鑑よしあきの実弟菊池義武は、力尽くで抑え込まれはしたものの心の底から服従しているわけではない家臣どもを押さえるために、大友氏以外の外部の力も利用しようとした。そこで白羽しらはの矢が立ったのが、相良だった。

 頼興としても、菊池義武とよしみを通じる展開は願ってもないことだった。大敗させられた相手と提携するのは、目下の最大の敵をいないものとしてしまうのと同義である上、主君義滋の失政を自分がうまく取りつくろったように見せられるからだ。

 菊池義武は、嫡男の鬼菊丸おにぎくまるを伴って八代を訪れ、わざわざ同地の白木社しろきしゃで鬼菊丸の元服をり行った。鬼菊丸改め高鑑たかあき烏帽子親えぼしおやには相良義滋がなり、義滋嫡男の萬満丸まんみつまるや宰相である上村頼興を含め、相良の重臣のほとんどが臨席した。

 一方、大きな変動は球磨の領内でも起こっている。頼興の実弟長種ながたねが、八代城で刺殺されるという大事件が勃発したのだ。

「兄者、なぜだっ」

 上村長種にやいばを振るったのは蓑田みのだ長親ながちかという男であったが、長種は斬られながらそう叫んだという。長種は、兄が自分を謀殺しようとしたと知っていた――あるいは、そう思い込んだということだった。

 ――長種を亡き者にしたのは、やむを得ぬことだった。

 そう、頼興は考えている。このごろの長種は、実の兄の目から見ても、専横の振る舞いが際立っていたからだ。

 第三者から見れば、長種の傍若無人ぼうじゃくぶじんぶりなど、兄頼興と比べれば可愛いものとしか映らない。長種にしても、兄の振る舞いを自分がまねることに、何かの支障があるなどとは感じていなかったはずだ。

 それが頼興の目にはことさら重大なことに見えた背景には、頼興自身のからだの衰えへの自覚があった。己が居なくなって後、権勢を握るのはまず間違いなく長種である。

 ――しかし、弟が萬満丸様をしいたげるなどということは、絶対にあってはならぬ。

 頼興は、この不安の芽を、己が元気なうちにもうとしたのだった。

 しかし、弟は望んだとおりに殺せはしたが、その取り巻き連中の動静には一抹いちまつの不安が残った。頼興が義滋の嫡男である萬満丸とともに人吉の城を出て、新たに築かせた赤池城へ移ったのは、自身と次代の領主の身の安全を図るためだった。


 萬満丸が、己の種であるとの確証は無い。しかし、日に日にお育ちになる御曹司おんぞうしの立ち居振る舞いを見るにつけ、頼興はそうに違いないとの信念を深めていた。とても義滋の血筋とは思えないほどに、萬満丸は感情が豊かで聡明であった。

 頼興は、由利姫が義滋に嫁入りした頃のことを思い返した。

――由利姫が嫁いできてすぐのころ、姫――いや、お由利の方の住まいに隣接する弟の邸宅に入り浸っていたが、お付きの女房どもがうるさくつきまとい、お由利の方とじかまみえる機会はそう多くはなかった。

 女どもを様々に脅しつけ、なだめすかして、それでもやっと同衾どうきんできたのは二度ほどしかなかった。

 ようやく得たその二度の機会も、真っ暗な部屋に女房の一人に手を引かれて部屋に入り、顔をそむけるようにして寝そべったままの女体に触れてもほとんど反応はなく、苦労の割に全く味気の無いものであった。なにより、ふすまのすぐ向こうに少なからぬ女房どもの気配があり、ことが終わるとすぐに、迎えの女が灯りも持たぬまま入室してくるのには閉口した。

 それでも苦情を口にしなかったのは、どこかに臣下であるべき己に後ろめたさを感じていたことと、襖の向こうの女房どもが、なにか事あれば薙刀なぎなたを振り回しながら乱入してきかねないほどの殺気をほとばしらせていたからだ。

 したがって、お由利の方への興味はすぐにせた。萬満丸様ご出産後にまた弟の屋敷に向かいはしたが、女房どもの態度が変わらぬのを見て、前と同じ労をとる気は失せていた。名和との不仲からお由利の方を実家に帰すことをあっさりと決めたのも、夫人に対する執着がなくなったからであった。

 そして、お由利の方に再度懐妊の兆候が見られたことが、頼興の背をさらに押した。今度生まれる赤子は、確実に義滋の血を引いている。もしこのまま放置したならば、己が死んだ後で、義滋は萬満丸様を廃して新たに生まれる子に家を継がせようとするかもしれないのだ。

 表立っては主として立てねばならぬ義滋も、いつもの通り何を考えているのか判らぬ態度であったが、反対の意は示さなかった。


赤池城内に造園された庭を前に、上村頼興は萬満丸へ慈愛の目を向けた。和子わこは、己の隣で無表情に庭木の有り様を眺めている。少年期から青年に向かうこの頃になって、萬満丸はそれまで親しみを見せていた頼興に疎遠な態度をとるようになっていた。

――なれど、大人をうとましく思い、逆らいたくなるのはこの年頃の若者によくあることよ。

 そのことすら、萬満丸がすこやかに育っているあかしに見えて、頼興は微笑ほほえましさを感ずるのであった。


          (三)


 戦国の世の習いとして、球磨周辺の激動はなおも続いていく。

 大友家より乗り込んで菊池家を乗っ取った義武は、お家をまとめ上げることについては着々と成果を上げつつあったが、それは言い換えれば、義武が一人の戦国大名として自立しようとしているということでもあった。

 実家の当主であり兄でもある大友義鑑よしあきからすれば、菊池に傀儡政権かいらいせいけんを立てたつもりであったのが、己の統制をはずれて勝手に動こうとしているように見えた。当然の帰結として、兄弟に間に亀裂が入った。

 菊池義武は、九州北端の奪い合いで大友氏と争っていた長門ながと(現在の山口県)の大内おおうち義興よしおきと結んで兄に反抗の兵を挙げる。しかし、大内義興の関心は領土の拡張にあり、敵である大友氏を挟んだ向こう側に位置する義武へ、直接的な支援を差し向けることはほとんどしなかった。

 当てがはずれた義武は、次第に兄義鑑に押さえ込まれ、身動きが取れなくなっていく。義武は菊池の家を乗っ取って間がなく、後ろ盾であるべき兄と敵対し、存立基盤は脆弱ぜいじゃくそのものであった。

 ところがここで、大友の家に大激震が生ずる。豊後府内の大友やかたにおいて、国主大友義鑑が家来の津久見つくみ美作守みまさかのかみ田口たぐち蔵人佐くらんどのすけらに襲われ重傷を負い、奥方と三男塩市丸しおいちまるが殺害されたのだ。義鑑も、二日後にはそのときの傷がもとで死亡した。これを世に、『大友二階崩にかいくずれの変』という。

 大友家は急遽きゅうきょ長男の宗麟そうりんが世襲し、津久見、田口らの一党を成敗して、乱は一応の平定をみた。

 新当主宗麟は、父の殺害を行わせた首謀者として菊池義武を糾弾きゅうだんする。義鑑を謀殺するだけの実力があるという点では、むしろ大内義興のほうがずっと疑わしいはずなのだが、家内をまとめるためには義武を真犯人に仕立て上げたほうが都合がよかったのだろう。

 なお、『二階崩れ』には、義鑑が宗麟を差し置いて三男塩市丸に家督を継がせようとしたため、宗麟が全体の絵図を描いて実行させたという説もある。

 いずれにせよ宗麟は、父を殺したかたきとして菊池義武を声高に非難した。

 義武は無実を訴え、相良義滋にも取り成しを頼んだが、宗麟の聞くところではなかった。大友氏から圧迫を受け、これが原因で内政にも失敗して隈府にいられなくなった義武は、義滋を頼って八代に亡命した。


「なぜにそれほど義武様にこだわられますのか」

 頼興が老顔をしかめて呆れたように言った。

 場所は人吉城。匿っている菊池義武の身柄を渡せと、大友宗麟から再三に渡る強硬な申し入れを受けての、主君重臣の皆が集う軍議の場である。

「義武殿は儂を頼ってこの地に来られた。それに儂は、義武殿の一子、高鑑殿の烏帽子親ぞ」

 義滋は、珍しくはっきりと己の意思を示した。

 頼興は、やれやれと首を振る。

「義武殿は実家を継がれた甥の大友宗麟殿に抗し切れずに、隈府を逃れ出られた。今や領地の者どもにも見離され、菊池の家臣どもからも宗麟殿の要請に従うよう、願いがこちらに届いている有り様。

 その義武殿は、一旦は宗麟殿への逆襲を策し、手勢を率いて薩摩の出水いずみへ助力を乞いに向かわんとするも、島津に拒否されて入国すら果たさず、手許の兵も留めておけずに散逸させ、わずかな供を連れただけでこの八代に逼塞ひっそくする身におわされる。そのようなお方を庇い立てし続けて、なんの益がありましょうぞ。もう、肩入れも大概にしなされ」

義滋は口を引き結んだ。今に始まったことではないが、頼興のもの言いは、実質的な命令であった。相良の当主は反駁はんばくする。

「先年、甲斐かい親宣ちかのぶ殿らと会合し、大友に抗して菊池をたすけることで阿蘇と相良の合意がなった。一旦は縁が切れた名和とも、同じ想いで和議がなっておる。義武殿を見放すは、せっかく成ったこの三者の同盟を破談にすることぞ」

「阿蘇との合意は四年も前の話。その後の義武殿のていたらくは、向こうでもよう見ておりましょう。事前にはかって内諾さえ得ておかば、義武殿抜きでも同盟は盤石ばんじゃくにござります。それに、名和には裏切り者の家臣が奪った宇土城を取り戻すのに軍を出してやった恩がござる。三者の結びつきは、小揺るぎもせぬはずにござろう」

「いや、そうではない」

 義滋は、なぜかこのときばかりはかたくなであった。

「この相良が、義を失って利だけで動く者と他家から見なされれば、我らが進退きわまりしんに助けが欲しいときに、義を願うても誰も味方はせぬぞ。阿蘇、名和らとは、どこまでも義でちぎっておくべき間柄である。これぞ、相良百年の計とすべきことじゃ」

 頼興は老いた顔を義滋にひたりと向けた。義滋は、老臣頼興と目を合わせずに真っ直ぐ前を見ている。強情な視線は、考えを変えるつもりのないことを無言のうちに物語っていた。

 実際に義滋が想うのは、菊池義武の息、高鑑たかあきのことであった。己の息子を実の子と認めきれない義滋は、元服の際に親代わりを勤めた高鑑に愛情を注いでいたのである。

 高鑑も、実の父は父として、義滋によくなついた。「まるで本当の父子のような」とは、二人して遊び、語らう義滋と高鑑の有り様を見た者が、しばしば口にする感想であった。

 頼興が、主君そばの上座へ目をやった。そこには、義滋嫡男の萬満丸改め義陽よしひが座している。義陽は、主従の論争に一言も加わらず、若い顔に表情を全く浮かべることなく、ただそこにいた。

 この若者の顔を見るだけで、頼興の気持ちはなごんでくる。ふと、声を掛けたくなった。

「若君様は、どうお考えにござりましょうか」

 義陽は、口を開く前に床柱とこばしらを背にした義滋の顔を見た。父であるはずの男は、一片の愛情もなく自分を見下ろしているように思えた。

「この若輩じゃくはいには、どちらも正論に聞こえる。なれば、当主の言うことに従うこそ、一族の採るべき方策であろうと思う」

 義陽は、視線を質問者である頼興に転じてから答えた。その声も、全く感情を含んでいないかのようであった。視界の隅で、義滋がわずかに身じろぎしたようだった。

 しかし義陽は、父の様子を見ようともせずに頼興を見続けた。

 頼興は、若い義陽の言葉に表情を緩めて一揖いちゆうした。主君に対しては一歩も譲らなかった自説を、あっさりと撤回したということであった。

 義滋と義陽の親子は、それぞれの想いを心の内底に秘めて、じっと頼興を見返した。


          (四)


 上村頼興がわざわざ御挨拶と称して主君義滋に謁見を申し出たのは、その数日後のことであった。

「頼興。今日はあらたまって、何の挨拶じゃ」

 義滋がしらじらとした顔を頼興に向けた。この男が芝居がかった真似をしてくる以上、容易なことではあるまいとは思っていたが、己の無力を自覚している身にすれば、成り行きにまかせるよりない。

 平伏していた頼興が、掛けられた言葉に義滋を見上げた。

「殿。このごろ、この老体もそろそろ身を退くべきときかと考えるようになりましてな。本日はそのご挨拶にまかり越しました」

「何、頼興、隠居するとか」

 義滋は頼興の意外な言葉に驚きの声を上げた。

「このようなこと、嘘や冗談で申せましょうや」

 義滋は目の前の頼興に不審の目を向けた。頼興は表情もなく見返している。

 ――何を仕掛けてくる気か。

 判らなかったが、相手の仕掛けに乗る以外、できることはなかった。義滋は、ただ頼興が言葉を続けるのを待った。

「この頼興も、寄る年波には勝てませぬ。なれば、そろそろ若い連中に領の大事を任せるべき時期かと、勃然ぼつぜんと悟りましてな。

 幸い、このごろは近隣の諸領とのいさかいも少なく、この領の政は落ち着いております。これも殿の敷きたる善政の賜。今のこの状況なれば、ひとつひとつ、ゆったりと落ち着いて若い者に引き継いでゆけますゆえ、その意味でも頃合いと申せましょう」

「己の老害をおそれて後進に譲らんとは、なまなかな者には出来ぬ殊勝な考え方じゃな。まさに賢臣の言よの」

 主であるべき男は、言葉に皮肉を潜ませて応じた。頼興を持ち上げながら一言の慰留いりゅうすら行わないのも、内心をそのまま表している。無論そんなことで、いささかも動ずるような頼興ではなかった。

 頼興は、平静な表情のまま視線を庭のほうへ転じた。今ふと思いついたように、口を開く。

「そういえば、若君ももうお独り立ちしてよろしい頃合にござりましょう。この頼興とともに、殿もこれよりは余生を楽しまれてはいかがか」

 義滋は、身内に抱え続けてきた最大の敵をじっと見下ろした。

 ――これが本当の目的か。

 頼興は、邪気のなさそうな顔をしたまま言葉を続けた。

「殿も、お躰のほうが万全ではないご様子、かねがね心を痛めており申した。そろそろ重荷を降ろされて、心安んずる日々をお過ごしになられても、よいのではないかと拝察つかまつりまする」

 頼興の偽善の言葉はともかく、このところ体調が思わしくないのは、そのとおりであった。義滋も、目の前の不快な男から外へ視線を転じた。

 これまでずっと、この男の言うがままだった。相良の当主、三郡の領主として、己の意志を通せたことはほとんどないままにここまで来た。妻さえ、この男の言うままにめとり、別邸に住まわせ、そして離縁した。

 唯一、逆らって我意を通したと言えるのが、菊池義武親子の保護である。何の実権も持たず、己の躰の具合まで思うままにならない中で主君の座を放擲ほうてきしなかったのは、己が主でなくなれば、菊池の親子を頼興がどうするか、あまりにはっきりしていたからだった。

 しかし、頼興も共に引退するとなれば、一考する余地があるかもしれない。頼興が隠遁いんとんするとなれば、上村の一族も若い者ばかりとなり、今までのような威勢は振るえない。

 唯一、頼興に代わり得たその弟、長種は、頼興自身が滅ぼしてしまっているのだ。領主の座を継ぐべき嫡男、義陽の意向は、先日の頼興との論争の中で確かめていた。

 義陽が本当に己の血を引いているかどうかについては、他に継がせるべき者がいない以上、とうに考えるのをやめている。次代の領主が義陽となることは、もはや自分や頼興だけではなく主従全体の合意事項なのだ。

 義陽は自分へ容易に親しみを見せようとはしないが、頼興に対しても同様の態度であることが、ある種義滋の心の慰めになっていた。

 ――ならば、今の内に義陽に譲って上村の次代の者どもに対抗する力を蓄えさせたほうが、今後のためか。

 庭木を見たまま黙考を続ける義滋を前に、頼興も口を閉ざしたままじっと待っていた。


 義陽が相良の家と領地を継承して間もなく、菊池義武・高鑑たかあき親子は匿われていた人吉の永国寺えいこくじを後にした。

 義陽の領主就任には阿蘇、名和をはじめとして各地の領主から祝いが来たが、菊池親子が呼ばれることはついになかった。親子から義陽へ送られた祝いの使者も、形ばかりの丁重さで扱われ、実際には木で鼻をくくったような対応をされた。

 大友宗麟からの賀使がしを義陽が大歓迎で迎えたとの話を聞き、義武は相良の家中に身の置き所がなくなったことを察した。義武は嫡男高鑑を伴って、八代を後にした。

「ご隠居様、起きておられましょうか」

 隠居所の自室でとこに臥す義滋に、部屋の外からそっと声が掛かった。隠居後も身の回りの世話をするとて手許に残ってくれた、小姓の声だった。

「ああ、どうした」

 うとうとと微睡まどろんでいた義滋は、呼び掛けに目を醒まして応じた。もともと静かな男であったが、声は力なく掠れて、よく襖の外まで届いたものだと思われるほどだった。

 静かに襖が開けられ、小姓が顔を出す。

「お客人がおみえにござります」

「客? こんなところへ、珍しいの」

 隠居をし義陽に家督を譲ってほどなく、義滋は病を発し隠居所へ引き籠もるようになった。人が訪ねてこないのは隠居の病状を気遣って、ということもあるかもしれないが、見舞いの品が贈られてくるようなこともほとんどない。

 嫡男の義陽はもとより、相良の家政や球磨人吉の政について、手紙を用いた相談すら持ち掛けてくるような者は一人もいなかった。義滋は、すでに完全に忘れられた存在になっているのだ。

 主への受け答えを中断した小姓は、背後にいるらしい者が通れるよう、体を脇へずらしたようだった。

 ――この者が、誰がきたかも告げず、我が許可も得ずに人を通した?

 いぶかしげな顔になった義滋だが、もはや警戒する気も起こらなかった。

 己は、もう全てを失っている。いまさらこの者に裏切られたとて、無くすものはすでに尽きかけている命ぐらいしかない。全く惜しいとも思わなかった。

 枕からわずかに頭を持ち上げて、あまり関心もなく新たに現れた者を見た義滋の表情が変わった。

「伯父上様、ご無沙汰を致しておりまする」

「高鑑殿か」

 父の菊池義武とともに八代を去ったはずの、高鑑だった。

 義滋は小姓の助けを借りて上体を起こした。

「ご病気とお聞きしておりながらこれまで見舞いにも参りませず、申し訳ござりませなんだ」

「そんなことはよい。それよりも、お父上とそなたのことを守ると約しておきながらのこの始末、詫びる言葉もない」

「いえ、伯父上様には我ら親子、本当によくしていただきました。今までのご恩に報いられぬまま八代より立ち退いたことを、心苦しく思っております」

「して、そなたら、今はどこに。どのようにして、ここへ来られた」

「はい。いったん国境くにざかいに父を残し、我のみ秘かにお別れを告げに参りました」

 あくまでも隠密行だということだった。相良の領内で手配が掛かっているわけではないが、大友に追われる親子としては当然の用心だ。

 ゆえに義滋の小姓も、正式に客を迎える形を取らず、前の領主の病床へ呼び入れたのだった。

「そうか……わざわざ、来てくれたか」

「これまでのご恩を考えるにつけ、お礼も申さず消えるような無礼はとうてい致せませなんだ。お目通りしてお礼とお別れを申し上げるのは、当然のことにござります」

「ところで、そなたらこれからどうなされる。当てはお有りか」

 心配そうな義滋へ、高鑑はさわやかに微笑わらってみせた。

「なに、父と己二人ばかり、どうにでもなりまする――それに、こう見えても名門菊池家の当主親子にござりますれば、両手を広げて迎え入れてくれるところは、いくらでもございまするので」

「済まなんだの」

 義滋は俯いてぽつりと言った。

「何を仰せになりまする」

「済まなんだ。儂にもう少し領主としての力があれば、こんなことには……」

 義滋は悟っていた。もう、失って惜しいと思うようなものなど何もないはずだったが、いまだ己には、決して失いたくないものが残っていた。そして今、命が尽きる間際になって、その唯一かけがえのないものが手からこぼれ落ちようとしている……。

「伯父上様、およしくださりませ。我ら親子は、伯父上様に本当によくしてもらいました。感謝申し上げこそすれ、恨みに思うような心持ちはわずかもござりませぬ」

義滋は、目の前で微笑む高鑑の両手を取り、目に一杯の涙をためて悔恨と侘びを繰り返した。それはまるで、実の父親が子にする今生こんじょうの別れのようにも見えた。

 父の見舞いには全く関心を示さなかった義陽だったが、菊池高鑑が秘かに義滋の下へ会いにいったことは把握していた。

 八代の鷹峰城でそのときの様子を伝え聞いた義陽は、報告を受ける間中、表情一つ変えることがなかった。しかし、言上する配下の目には、義陽の口元がいまにも笑み崩れるのではないかと見えていたという。


 高鑑は義滋に対し自分たちの前途は明るいと装ってみせたが、菊池親子が豊後に入るとまもなく、木原きはらという場所で大友の手勢に捕らえられ、殺害された。

 球磨八代の前領主相良義滋は、菊池親子の刑死を聞いてより更に病をあつくし、その年の暮れ、自ら思いを断ち切るように息を引き取った。

 望まぬままに弟から国主の座を奪い取り、国主として己の意思で何もすることなくその生涯を終えた。心の中の、最後の小さな灯火ともしびさえ消えたことを見届けての末期まつごであった。






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