第3話

「幽霊列車?」


 翌日、出勤した僕はその言葉に思わず手を止めた。2年目の女子社員が丸い目を光らせて、妙なことを口にしたからだ。


「そうですよ! 結構有名じゃありません? E線でよく人がいなくなるって」


 すでに8年はここで勤務していたにも関わらず、そのゴシップを僕は知らなかった。しかし少なくとも、僕にとってそれがひどく都合の悪い話だということは想像できる。


「なんか何年かに一度、夜に電車に乗ったままいなくなる人がいるっていうんですよ。ネットとかで結構噂になってて、だから私乗らないことにしてるんですよね」


 おそらくユキの掲示を見た誰かが、趣味の悪い創作話を仕立て上げたのだろう。無関心が生み出した娯楽の物語は、あまりに僕らを冒涜ぼうとくしていた。


「……あんまりそういう話は感心しないな。もし本当に被害者がいたとしたら、そんなオカルト話にされるのは望まないだろうし」


「え? あ、すみません……」


 彼女は気まずそうな顔をした。しかしそういう顔をしてみたというだけのもので、実際には話の通じないオヤジだと煙たがったに違いない。彼女にしてみれば、もとより会話の少なかった社内に小さな憩いの雑談をもたらしたつもりだったのだろう。学生気分が抜けないのは今年も変わらないようだった。


 俯いてチョコレート菓子の包装を解く彼女の横顔に、昨日の女性が重なって見えた。


「その話……結構前に十代の若い女の子がいなくなってない? 夏場に」


「へ?」


 隙を突かれてとぼけた顔でこちらを向いた彼女は、やはりあの美しい女性とは似ても似つかない。前髪を薬指で払うと、彼女は戸惑いながら続けた。


「十代だったら、10年くらい前にいなくなったらしいですよ。青に白の花がプリントされてるワンピースの女の子で、当時は駅でビラ配りとかすごくしてたって」


「ふぅん……」


 彼女は僕のどっちつかずの態度に次の言葉を続けかねている。


「あ、なんでもないよ。ごめん」


 不満げな顔で彼女はチョコレートを口に運んだ。口の中で転がしながら、つまらなそうに口を尖らせる。決まり悪そうにその目は再びディスプレイに向けられた。


 違和感は2つあった。


 僕がその青い服の少女を見たことは奇妙な一致と言わざるを得ない。僕はあれを本当に夢想だと思ったわけでもなく、心霊現象の一種ではないかと疑ってもいた。だからこそ、そのオカルトめいた物語の登場人物とあの幻覚との奇妙な一致は、背筋に悪寒を走らせるには十分だったのだ。


 しかし今は、そんなことが偶然の一致に過ぎないと一笑に伏せるほどには、もう1つの違和感が頭を支配していた。


 僕はユキのためにこれまであの路線について多くのことを調べていた。駅員や警察とも多くの会話をしてきたし、ほとんど全ての情報を得ているはずだった。それにも関わらず、神隠しの幽霊列車というユキの事件とよく似た噂をこれまで目にしたことはなかったのだ。


 何故誰もそれを口にしなかったのだろうか。と口走ったモリタ刑事さえ、その噂話を語らなかった。まるで誰もがその話を避けているようでもある。まさかあのとき怒りに任せて胸ぐらを掴んだ僕に対する軽蔑がそれを招いたというのだろうか。しかしネット上での情報まで遮断できるはずもない。


 マグカップを持って立ち上がる。


 コーヒーを飲めば、少しは落ち着くだろう。

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