第7話
男は肉が焼ける匂いで目を覚ました。目の前には大男の大きな背中があった。奥では火がたかれており、大男の左側には解体された鹿が倒れていた。おそらくこの匂いは鹿肉だろう。男が体を起こすと大男はそれに気づき、振り向いた。男は左手に鹿の肉を持っている。大男は男に焼きたての鹿肉を差し出した。男は無言でそれを受け取った。パチパチと火が燃える音だけが二人の間で鳴っている。体が温まった頃、鹿の骨を持った大男が地面に字を書いた。鋭い石で。
ーあったときからおもっていたんだが、おまえうそをついてないか
男は文字を書くと、ギロリと目ン玉を男に向け、睨んだ。
「私の記憶がない、ということですか。嘘ではないですよ。狩りが得意だと言うのは嘘かもしれません。でも、私の体が狩りが得意だと言っているのです」
ーじぶんのみはじぶんでまもる、というのは
「勘、ですかね。多分自分はやればできる子なんです。現に昨夜私は熊に傷を与えたでしょう」
ーそのあと、きをとりもどしたやつがおれにきずをあたえたがな
「あなたは気を失っていたから知らないでしょうが、私はあの後あなたを担いでここまで運んだんですよ」
大男はそのことを知っている。あの技は並大抵の、しかも記憶のないような変な奴にできることではないことも理解した。でも、もしこの男の記憶がないというのが嘘だとしてその目的は何なのか、大男は理解できなかった。
ーありがたくおもっている
男は少し驚いた顔をしたがすぐにいつもの気持ち悪い笑顔に戻った。
ーここには、いいつたえがある。それをきまりとしている。それをまもれ
その後大男は男に森の決まりを簡単に説明した。
“この山には神がいる。それは、動物なのか植物なのかわからない。もし神を殺すと、山は崩れ、山に住んでいる動物が集まっている。神は自分が神だという自覚はない。神が寿命で死ねば、神と一番時間を長く過ごした者が神となる。だからむやみに殺してはいけない”というのがこの山の決まりらしい。山の村人はこの決まりを忘れつつあるという。だから、村人は普通にこの山の動物を食べるし、この山の植物を飾る。大男の人間嫌いはそういうところからきているらしい。
「さっき、私達が頂いた鹿は大丈夫なのですか」
大男は少し驚いたように男を見た。
ーあれはだいじょうぶだ
「なぜそう言えるのですか」
ーあれはここのどうぶつではない、においでわかる。おれたちをおそったくまもよそもんだ
「なるほど。あ、そう言えば、私も気になっていたことがあります」
ーなんだ
「あなたはなぜ喋らないのですか。口を使って。最初からずっとあなたは文字を書いてばかりです。私はこうやって口を使って話しているのに」
大男はまた男を睨んだ。
ーなぜだとおもう
「この山で暮らしていて何らかの事件が起きて喉をやられた、とかですか」
ーそういうことにしておけ
「なんだ、教えてくれないのですね」
ーおしえてなにになる、なにもかわらない
「信頼が生まれると思うんです」
ーしんらいなんてこのよにはそんざいしない。みんなうらぎる。だが、それはひとだけにかぎるはなしだ。どうぶつたちはけっしてうらぎらない。どうぶつ、おなじしゅぞくのどうぶつはけっしてうらぎらない。ひとなんかよりもつよいかんけいがあるからな
「何も変わらなくても、あなたが私を信頼してくれなくても私はなぜか知りたいです」
ーしつこいな、だがことわる。めんどうだ
「そうですか」
男は言うと細く白い指で地面に字を書いた。
ーじゃあ私も喋りません
ーそれじゃこうりつが
大男はそこまで書いてハッとして慌てて大きな手で消した。
ー効率が悪い?あなたがそれをいいますか
男は黙ってしまった。
ーさぁ、あなたも喋ってみてください。口で話して、声を出して、さぁ、さぁ、さあ
男は大男を急かすように徐々に字を大きくしたていった。
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