第四章 微温
僕はそれから数年間、誰とも付き合うことなく、ワンナイトをしては、自己嫌悪に陥り、自分とはなんなのか、よくわからなくなる毎日を繰り返していた。
虫唾が走る。吐き気がするほど不快でたまらないという使い古された言葉だが、今の僕の感情を表現するにはぴったりだ。
グゥゥ。身体が胃に食べ物を詰めろと合図を送っている。唾液が舌の裏から分泌され、なんだか味の濃いものが食べたくなって、僕はファストフード店に向かった。
お昼時というのもあって、お店は混みあっていた。先に席を確保するため店内を見渡すと相席にはなるが、窓際の一席だけ空いていた。他の人に取られまいと速足で席に向かう。
僕と同い年か、少し年上にも見える女がアイスコーヒーを飲みながら外を眺めていた。
「すみません。混んでいるので相席しても良いですか?」
と尋ねると
「気にしないよ」
と女は優しく微笑んだ。どこにでもいる普通の女。僕が最初に抱いた印象だ。
注文を済ませ、トレーを持って席に着くと、その女は前傾姿勢で僕を見つめていた。人間関係に疲れている僕の経験上、これは相手にすると面倒だと思い、見なかったことにした。
しかし、彼女の発した言葉によって、周囲の会話、咀嚼音、子供のはしゃぐ声は聞こえなくなり、一瞬の静寂が訪れた。
「好きってなんだと思う?」
何の脈略もなく、突拍子のない質問が飛んできたが、僕はこの女に興味を持たずにはいられなかった。その質問がここ数年間、僕がずっと追い求めていたテーマだったからだ。
急に顔をあげて、話に食いついた僕を見て女は少し意地悪な顔をして笑った。
話を聞いていると、僕より一つ年上で、名前は『美波』だということがわかった。僕がここ数年の悩みを美波に打ち明けると、相槌を打ちながら優しく話を聞いてくれた。それと同時に、すべてを見透かされたような気がして、美波に嘘はつけないと思った。
……一時間は話しただろうか。ふと時計を見ると短針は3を指していた。つい話し込んでしまった。まだ話足りないが、美波はこの後予定があるらしい。連絡先を交換し、お店を出ると「またね!」と美波は両手をブンブン振ってくれたので、僕も控えめに手を振った。
家までの帰り道、久々の高揚感を味わう。動悸が止まらない。とにかく価値観が合うのだ。美術館で作品を見ていると気持ち悪くなると言われた時は衝撃だった。僕の他にそんなことを感じている人間はいないと思っていた。価値観の合う人間が少ない僕にとって共感されるというのは、心の中にある大きな氷塊がじんわり溶けていく。そんな感覚なのだ。
今日の夜は孤独に感じない。得体のしれない明日への期待を密かに抱き、僕はベッドに身を委ねた。
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