第365話 追跡者たち8

 第九週二日目キュウ・ニの、午前九時くらいだろうか。

 俺は我が家のように自室のベッドで寝転んでいる。いや、前世でもこんなにだらけた生活をおくったことなど無かったが。


 適度に仕事して、適度にプライベートがあって、可愛い妹とちょっと怖いけど優秀で真面目な彼女がいる――こういうのをワークライフバランスと呼ぶのだろう。

 だよなー、独身では成せないことだ。仲の良い奴と一緒に過ごす、という要素がどうしても必要になる。だって人間だもの。

 独りだと没頭し続ける以外に満たす方法は無いが、人間は機械じゃないから没頭し続けることなどできやしない。一般的に二十代後半くらいから飽き、意地、憂い、エゴ、老いのあいおえお五銃士が襲ってくる。俺は意地を捨てられなかった……要は独りはハードモードなのだ。


(バグってなかったら、どんなに幸せだったことか)


 俺が前世でやり残した、数少ない体験がそれだ。

 性欲や承認欲求がそうであるように、抱いてしまった渇望は自ら体験しない限りは消えてくれない。だから俺は未だに羨望を抱いてしまう。バグっているというのに。

 こうしてスキャーナとのペアに甘んじているのも、悪あがきなのかもしれないな。


 と、ごろごろしながら思索に耽るのにも飽きたので、寝起きでストレッチしてるスキャーナに声をかける。

 格好は不自然に薄着、というか肌着だし、でたぶん緩やかに誘ってるのでスルー。


「俺が言うのも何だが、平気なのか?」

「何が?」

「嫉妬とかこじらせて面倒くさい奴になるかと思ってた」


 ミーシィに負けて瀕死になった上、目の前で俺を寝取られたようなものである。身体的にも精神的にも計り知れない負荷がかかったはず。


「ぼくを見くびってるようで」


 が、それは俺の前世のものさしにすぎず、冒険者のスキャーナには当てはまらないらしい。強い。いや本当に。


「ハンティの手強さは知ってる。ジンカちゃん一筋だもんね」


 どうせ誰にもなびかないでしょ、と言っている。


「でも反応するようになって良かったね。ぼくも楽しめる」


 性器部分を寄生スライムでつくったから、これからは普通に性交できるねと言っている。


 不幸中の幸いは、スキャーナがそこまで淫乱ではないってことだろう。今の肌着もそうだが、さりげない誘惑はあれど露骨に攻めてくるほどではない。男としては攻められてみたいが、タイヨウの立場としては面倒なだけなので正直ありがたかった。


「仲直りはしたのか?」

「仲直り? 別に喧嘩はしてないよ」

「殺し合ってたよな」

「ミーシィは親友だよ」

「本人に言ってやれよ。泣いて喜ぶぞ」


 昨日はまさかミーシィとやる展開になるとは思わなかった。ロリ巨乳が泣き顔で求めてくるのは最高にエロかったな。エルフほどではないが、俺の中では前世含めてトップに躍り出ている。脳裏に焼き付いて離れない。

 で、これさえも置き去りにするエルフは、やっぱり反則なんだよなー。ヤンデの顔と裸がちらつく……。


「また会いたいな。ハンティを取り合いたい」

「俺を巻き込むな」


 まあ心配はしていない。

 アイツらもシニ・タイヨウというリスクに接触し続けるほど馬鹿じゃない。いやミーシィはわからんが、姉が許さないだろう。

 昨日の一件は、もう無視していいはずだ。


「そろそろ支度しよっか」

「今日は何の仕事だ?」


 ジンカの世話は俺の担当である。電池が切れたように眠ってやがるが、構わず殴って起こす。


「クエスト収集。村の困り事を集めに行くんだ」

「ギルドにでも掲示するのか?」

「うん――」


 災難はいつも突然やってくる。

 レベルが高ければ鋭敏だからそんなことはないと思いたいが、いつだって格上もいるもので。

 まして俺は渦中の人物なわけで。


 天井がぶち抜かれている。フィクションでよく見る図太いレーザーでも浴びせたんかってくらいにぽっかりと空いていて、溶けた跡がかすかに残っている――そう認識した頃には、俺の声帯は動かなくなっていて。


障壁空気バリエアー


 聞き慣れた冷酷な詠唱が、遅れて届いてきた。

 なるほど、空気の塊で圧迫して動かなくしているのか。ブーガは外側から押し潰してくるけど、内から封じることもできるのな。いや空気と呼べるかも怪しいけどな。硬すぎて反抗する気も起きない。


 監視の連中も二人ほど来ている。

 俺も初めて見たが手練れだな。ゲートで飛んできたわけだが、ユズを想起するスピードだった。覆面で顔もわからない。とりあえず手を出しかねているってのはわかる。


 当の本人――この場の誰よりも強く美しいエルフの王女ヤンデは何一つ怖じることなく、ジンカやスキャーナに意識を飛ばすこともなく、何かを待っているようだった。


 何事かとぞろぞろ集まってくる寮生たち。

 その中に、明らかに浮いた同族が一人。


「セレン。この男の名前とレベルは?」


 左手を腹の前でたたみ、右肘を突き出して頭を下げるセレン。それをさも当然のように受けるヤンデ。王女が板についてきたな。


「名前はハンティ。レベルは89」


 その割には喋り方がどこかぞんざいというか、機械的で。

 直感的に俺は悟った――


 エルフが種族総出で動いていることを。


 俺はその網にひっかかったのだと。


「スキャーナと同格ね」


 何食わぬ会話をしていると思ったら、次の瞬間――スキャーナの右腕と右手親指が自由落下し始めた。切断した部位をさらに切断しているわけだが、入れ子切断と呼ばれるもので回復がしづらい。優秀なクラスメイトへの嫌がらせといったところか。お前らしいな。


「自分で回復できるでしょ?」


 同じ攻撃を、俺の、同じ部位にぶつけてくる。

 体感的には糸っぽい。何の魔法か、あるいはスキルかもわからない。相変わらず認識が追いつかなくて、やっぱ別格なんだなぁと呑気に感心することしかできない。


 当然ながら俺の腕は切断されない。制服の生地だけ切れて、すとんと落ちた。

 右腕だけタンクトップ状態だ。


「この偽装と防御力はシニ・タイヨウだからこそよ。抗議は正式に行ってくれて構わないわ」


 同じ攻撃で、今度は俺をぐるぐる巻きにしてくるヤンデ。

 敵う者などいやしない。読み間違えて突っ込む無能もここにはいない。スキャーナでさえ、冷静に聖魔法をかけて回復を待っている。腕を千切られたというのに声一つあげないし、誰も見向きもしない。


「ジーサ。この子はどうするの?」


 声帯は解放されたが、威圧のオーラが張り付いている。

 声帯にオーラをぶつけるだなんて器用な真似をしてくれる。痙攣を引き起こされたかのようで不思議な感覚だ。わかってる。よーくわかってるさ。お前を出し抜けるとは思わん。


 ともあれ、さすがにヤンデには見抜かれてるようだな。そうだよ、俺のスキル『シェルター』は精神集中などではなく、同居人さんを避難させるためのものだ。

 その上で同伴しても良い、と慈悲をかけてくれているわけだ。

 いや寄生スライムを実験台にしたいのかもしれない。ヤンデにその気がなくとも、種族エルフはわからない。


 もちろんくれてやるつもりはない。


「ここに残していく」


 喋り終えた後、俺は即座に、


(顔をつくってる部分とはお別れだな。すまん)


 たぶんヤンデは見逃してくれたが、口内発話で詫びておく。

 この後、間違いなく顔も剥がされるだろうが、クロとダンゴもみすみすエルフの手に渡ることは許すまい。自害するはずだ。

 何度目だろうな。俺が不甲斐ないばっかりに。本当にごめん。


「あなたはそれでいいの?」


 ジンカも頷いた。

 モンスターなのに反応したということだ。やっぱそうだよなー。ヤンデも婚約者であるため家族の範疇になる――ルナやスキャーナと同様、意思疎通が通じる。


 そう俺が考察した頃には、もう空に浮いていて。


 唐突で静かな別れだった。




      ◆  ◆  ◆




「いつもありがとうね」


 情報屋ガートンに慈悲は無い。この制服――没個性的な黒スーツは人々を萎縮させる。

 というのに、稀に物怖じしない者がいる。一般人であっても。

 特にこのおばあさんはやたら鋭くて、今回で会うのは四回目だが、容姿を変えているのに同一人物だと気付いている。嬉しさと感謝を隠しもせず、こそばゆい。

 スキャーナは何も返さず、素知らぬふりで飛び去った。


 シムリア地方。

 大陸東部の、何の変哲もない地域。山も川も海もあるが、それだけだ。魔法製の建造物さえ一つと見当たらない。

 分類としてはアルフレッド王国だが、三国は戦国時代集結のための便宜であり、全土を適切に統治できていることは意味しない。むしろこのような『放地』の方が割合的には多い。


 シムリアは僻地すぎるゆえに素行の悪い冒険者さえ寄りつかない。

 しかしモンスターは湧くし、一般人では対処できないし、自給自足にも限度がある。

 この限界を打ち破るためにガートンは困り事を収集し、ギルトに提出――クエストとして処理してもらうのだ。世の中は広い。物好きな冒険者もいる。ギルドであれば、全土の冒険者にリーチできる。

 もちろんガートンは慈善団体などではなく、単に情報流通の観点から全土を掌握するために投じているにすぎない。


「あと六地方単位ユニット。昼までに終わらせたいな」


 鉄壁のガミトリーにて、あんなことがあったばかりだというのに。

 スキャーナは全くもっていつもどおりであった。


 タイヨウの心配など抱くだけ無駄だ。

 皇帝の慧眼に叶い、上司にも目をつけられた男――エルフに攫われた程度でどうこうなるとは思えない。

 なら、必ず機会はやってくる。


 元より彼の内心が自分にさほど向いてないことも嫌というほどわかっていた。

 そもそも彼とどうしたいのかというゴールすら描けていない。一方で、冒険者である前に一人の人間であり乙女でもあって、純粋に独占したいとも思っている。


「メルクリア地方から行こうっと」


 複雑で、そしておそらく重たくもある思いを抱えながらも。

 スキャーナはいつもどおり仕事に邁進する。

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