第364話 追跡者たち7

 エルフ領の内陸部――豊かな深森林に囲まれた天然の要塞は、領内でも屈指の好立地であろう。

 その大半は、非常に限定的な用途のためだけに存在している。


 森人網エルフネット報告資料場『ジオグライト』。

 種族全員分の報告を石の粒で並べ、それをレベルに裏打ちされた空間認識の広さと速さで読む――強引にも程があるシステムである。


 領内には基本的に立入禁止の概念は無いが、ジオグライトだけは違った。

 誰がどの区画を担当し誰と連携するか厳密に決まっており、ジオグライト用の作業員だけでも何千人と存在する。彼女ら作業員が移動のために使う空域も定められており、さらにその上方には読み手リーダー――ジオグライトを読む者達が移動する用の空域もある。


 リーダーは一切の加減や慈悲を捨てて読みに行くため、並の者や設備はもちろん、地形でさえも保たない。そのためジオグライトには風圧や衝撃波を逃がす魔法が常時メンテナンスされている。

 そんなジオグライト稼働中は、珍しい現象が起きる。

 何本もの竜巻が不規則に立ち上がり、うねり、消えていく――『ストーム』と呼ばれる現象で、何も知らない同族が見れば世界の終焉を疑ってしまう光景だ。


 第九週二日目キュウ・ニ、午前八時三十八分。


 サリアは遠目にストームを眺めながら、公務に励んでいた。

 周辺でも一際高く伸びるストロングローブの梢にいる。見晴らしも抜群で、深森林の上を飛び回る民がよく見えた。

 公務など女王が行う仕事ではないが、ジオグライトがまさにそうであるように、ハイレベルな者の方がパフォーマンスが高い。他国の王がそうであるように、サリアもまた民に紛れて働くことさえあった。


「次の書類群を持ってきてください」

「はっ」


 山のように積み上がった書類が魔法で運ばれていき、次の分がサリアのそばに配置される。

 それらから魔法で一枚ずつ取り出し、素早く目を通して承認または否認の印をつけていく。同時に、白紙には新しい政策案や指示も書き込んでいく。

 特に今年は混合区域ミクションやミックスガバメントのせいで忙しい。アルフレッドの手も本格的に借りたいほどだ。


「女王様。第二位ハイエルフからの相談事項が十三件溜まっております」


 並行して大罪人シッコク・コクシビョウとシニ・タイヨウの討伐も動いている。第二位達とは密に連携している最中であり、この手のマルチタスクなどもはや日常だった。


「会議で一気に片付けましょう。ここに集めなさい」

「かしこまりま――」

「待ちなさい」


 サリアよりも若々しくて軽い女声。

 逸る気持ちが見え見えの、テレポートでの割り込みだったが、慣れてない超常現象には脳の処理が追いつかず身体が固まってしまう。サリアは雷魔法サンダーを撃って報告者を我に返らせた後、当の本人と向き合う。


 本件は現状最優先事項であり、共通人格コモンペルソナにも反映されている。

 報告者は寸分も迷うことなく立ち去っていった。


「見つけたわよ」

「ご苦労様。詳細を」


 本来なら既に詳細説明を始めなければならないが、ヤンデはまだ共通人格をマスターしていない。以前叩き込んだのをもう忘れている。

 が、ジオグライトの読み方を急遽詰め込んだこともあるので、サリアは内心で見逃すことにした。


「セレンの報告が目についたわ。エルフの中でも特に美人と名高い彼女にもなびかない男。その男はガートン社員寮ガミトリーで暮らしている。ガミトリーは常時日常的な発揮デフォルト・パフォーマンスを課された寮である。――ここまで読んで、私はジーサを思い浮かべた」

「エルフの美貌にとらわれない事例は数千件あります。デフォルト・パフォーマンスの制約が課された地域は、一般人レベル1の居住域を含めれば数万あります」


 ジオグライトの情報量は半端ではない。エルフになびかない、あるいはなびいたことに気付かないよう演じられる者などそうはいないが、それでも全土に拡大すれば珍しくはないのだ。

 当てはまる情報の一つや二つで判断していいものではない。


「でも両方満たせる男はそうはいないでしょ」

「ガートンは会社です。名を上げずとも強き者や才覚持ちし者はいくらでもいます」


 ヤンデはこの後学園に通うため一応制服を着ていたが、無詠唱のドレスアップでバトルスーツに着替える。それが数秒のことで、そのまま飛び去ろうとする――その細い腕をサリアは掴んだ。

 無魔子マトムレスのスキルもちらつかせて、勝手な行動は許さないと脅しを入れる。


「ブーガはジーサ以外にもガートン社員を一人保護していたわ。その伝手でガートン側に保護を依頼したとすれば筋が通る」

「皇帝が直々に保護すれば済む話です」

「できないわね。お母様程度なら誤魔化せるでしょうけど、私や近衛ユズは誤魔化せない」

「……」


 サリアは手を放すと、自らもドレスアップを詠唱――バトルスーツ姿になる。

 事実上の容認だが、表情にはまだ乗せない。実力者のヤンデだからこそわかることがあるのだという点はサリアも理解しているが、まだ小娘にすぎない。判断には自分も交えた方が良い。


「この前留学生として来た子を覚えているかしら」

「スキャーノ――いえ、スキャーナですね。処分されたと聞いています」

「保護された社員が彼女だったとしたら?」

「アウラ殿が否定されたのではなくて?」



 ――スキャーノちゃんの変装なら見抜ける。あの男性社員は彼じゃなかった。



 アウラの言を報告したのはヤンデ自身だ。


「ピンク童顔や私の目をかいくぐれるほどの練度があるとしたら?」

「レベル88にできるとは思えません」

隠密ステルスというスキルの奥深さは知っているつもりよ。でなくてもジーサやシッコクの例もある。まだまだ発展途上なのではないかしら」

「――強くなりましたね」


 以前のヤンデではこんな見解は出せなかった。己の実力を過信していたはずだ。


「……他に無いなら、もう行くわよ」

「待ちなさい」

「ついてくるの? お母様の実力では危ない可能性があるのだけれど」


 あとはセレンの居場所に行けばいいだけだ。ガミトリーの警備は厳しいが、ヤンデであれば取るに足らない。


「シニ・タイヨウにはもう枷がありません」


 アルフレッドからもエルフからも逃げて、おそらく皇帝と私的に手を組んだシニ・タイヨウ。

 守るものを持たない強者は、正真正銘の怪物だ。


「戦闘や魔法の手解てほどきも受けているはずです。今までの彼ではないですよ」

「問題無いわね。ナナジュウ事件の時も普通に見切ったわよ。ブーガがそばにいなければ先手は取れる」


 先手を取れる――。


 サリアにはそんなビジョンなどまるで見えない。

 シニ・タイヨウはレベルこそ当時89であるものの、これまで起こした騒動は人類の域を超えている。隠し玉をまだ持っていないとも限らない。


 それを、この娘は見えると言っている。

 たとえ未知に遭遇しても、その場で認識し対応しきるだけの自信があり、地力も伴っていると。


「なら問題ないですね。もう一つ教えておきましょう。男の友愛に束縛は持ち込まれません。二人は別々に生きていて、たまに密談をしていると考えるのが筋です」


 そうかと思えば、こんなことにも気付けず、表情からしてなるほどと漏らしている。エルフの、まして王女たる者には軽率だ。外面のつくりかたも、もっと鍛えねばならないだろう。


「人生経験豊富ね」

「ヤンデはまだまだですね。照れ隠しも下手」

「うるさい」


 サリアはバトルスーツを解き、いつものドレッシーな装いをする。

 仕事をサボるという魂胆は見抜かれているらしい。娘の視線は冷たかった。


「ヤンデ。頼んだのじゃ」

「お母様も今のうちに休んでおいた方がいいわね。頑張ってね」


 前半は間もなくタイヨウを連れてきて忙しくなるからという意味だが、後半の励ましの意図はわからない。サリアは寝そべりながらも首を傾げるが。


「なっ」


 非常に小さなゲート穴が空いていることに気付く。

 その先の気配は、娘よりも馴染んだものだ。


「リンダ。盗み聞きは良くないのじゃ」

「女王様のことです。ジオグライトの件の後、必ず仕掛けてくると思っておりました。王女様のご協力もあって、こうして証拠を掴めました」

「ヤンデも共犯だったとは……むごい仕打ちじゃのぅ」


 ゲート穴がぐわっと開き、お馴染みリンダが出てくる。「会議はこちらでしましょう。もう全員集まってます」しくしく泣く母親を見て、ヤンデは微笑んだ後。


「行くわよジーサ」


 自分に言い聞かせるように呟いた。

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