第361話 追跡者たち4

 第九週一日目キュウ・イチ、午後八時七分。

 本来ならベッドでジンカとごろごろしているし、前世なら寝る準備を始める頃だが、今日の始まりは間違いなく今だろう。


 どこかもわからない離島に来ている。

 面積で言えば十万平方メートル――東京ドーム二個分も無いくらい。地面は皿のような形状の鉄で覆われており、末端が衝撃波を逃がすよう反っていること以外は平坦だ。


 天を見上げる。

 巨大なライトボールのせいで、せっかくの夜空が台無しだ。

 前世の球場の照明に負けない明るさを片手間で維持しているのは、鳥人姉妹の姉の方。隠しもしない殺意のオーラを、俺だけに浴びせている。


 俺達は向かい合っていた。

 片方のふちに立つのは俺ことハンティ、ジンカ、スキャーナ。

 反対側、三百メートルほど先には鳥人姉妹。


「……えっと、何か言いたいことはあるか」

「死ね。殺す。死ね殺す死ね殺す――」


 詠唱でもないのに詠唱レベルの早口を届けるのはマーシィ。

 おっかないと噂の、ミーシィの姉だ。遠目だけど、鳥人の中でもとんでもない美人だとわかる。なんていうか雰囲気が。男なら誰もが振り向いてしまうんじゃないだろうか。


「お姉ちゃん。あとにして」


 あとにしてじゃねえよミーシィ。マジで今すぐにも飛び出してきそうなのでしっかりと、永遠に手綱握っといてくれ。


「ぼくは特に無いよ。これでも忙しいから、早くしてほしいな」


 スキャーナが挑発を仕掛ける一方、ジンカはというと、はわわとあくびをしていらっしゃる。静観はありがたいが、もう少し空気を読んでだな……。


「……ずるい」


 翼を一振りするミーシィ。すると大気がぐにゃりと曲がり、台風のような刃風がこちらまで届いてきた。

 振動交流バイブケーションを遮断したか。


 ミーシィはもう一度、今度は足元に振る。目下十メートルくらいの位置にまで跳んできた。何をするかと思えば、


「ずるいずるいずるいずるいっ!」


 両腕も両足もフル活用して地団駄を踏む。羽音も足音も風圧もすべてがうるさい。ついでに豊かな双球の揺れもえらいことになっている。

 妹への不埒な視線に気付いたのだろう、マーシィがかぎ爪を構えている。俺の右目をミリ単位で捉えているのだとわかる。戦意は無いようだが、やることなすことがいちいち怖えのよ。いいから見守ろうぜ。


「ジーサちんはわたしのものだもんっ!」


 初耳なんだが。


「残念。ぼくはもう寝たよ」


 襲った、の間違いだろ。


「ずるい」

「ずるい? 何が? わざわざ尋ねてきて何がしたいの?」

「ジーサちんが欲しいだけ。バサバサしたいの」


 直球ですねミーシィさん。

 せめてバグってなければなぁ。あんな童顔で人懐っこいのに、ぶら下げてるモンが凶器なのよ。何度か抱きつかれたこともあるからわかるが、人間が勝てるおっぱいじゃない。羽のふさふさが良い味出すし。


「ジーサちんを渡してくれたら許してあげる」

「上から目線だね。まあ仕方ないか。ぼくの隠密尾行ステルストーキングにも気付けないほどの雑魚なら、実力を見誤るのも頷ける」


 スキャーナの横顔を見れば、この先の展開は一つしかない。

 普段の優等生ぶりからは考えられないほど冷めている。


 集中しているのだ。

 強敵と対峙する冒険者として。


「でもねー、気が変わっちゃった」


 キン、キンと鳴るのはミーシィのかぎ爪。

 それで何を引き裂き貫くつもりなのか。オーラの向く先を感じれば、いや感じなくても自明だ。マーシィのそれとも似ていて、姉妹なんだなぁと変なところで感心してしまう。


「気に入らないから、ぶちのめしちゃう」

「子供みたいだね」

「子供だよ。大人は譲らないといけないんだよ」


 冒険と戦闘は切っても切り離せない。冒険者とは戦う生き物でもあるのだろう。地球人であり現代人でもある俺にはまるでわからない価値観だ。


 傍観に徹するつもりでいたが、無用な争いなど無いに越したことはない。

 俺はこの価値観が間違っているとは思わない。ジャース? 冒険者? 知ったことじゃない。身体を、命を何だと思っている。


「ミーシィは俺と性交したいんだよな。だったらやろうぜ」


 これで全て丸く収まると思ったが、


「「そういう問題じゃない!」」


 息ぴったりだな。

 じゃあどういう問題よ、と問える空気では到底無いので、仕方なく黙る。


「じゃあせめて殺害は無しにしろよ。回復手段はあるのか? お前らは聖魔法使えねえだろ」


 言った瞬間、マーシィが胸元から何かを取り出す――小瓶、だろうか。空き瓶に感じるのは気のせいか。


「ガスポーション――吸うポーションだね。製造方法が難しすぎて、エリクサーほどじゃないけどレアアイテムだよ。正直びっくりしてる」

「回復効率悪そうだが。間に合うのか?」

「死んでなければ大体治るよ」


 だから殺し合いしてもオッケーです、とはならないんだよなぁ。マジでジャースの人達、特にレベル高い人達は戦国時代よりぶっ飛んでる。

 とカルチャーショックを受けてたら、マーシィも飛んできた。


 俺の目の前に。


 大人のお姉さん、の理想系はきっとこんな感じなんだろう。


「あまり舐めない方がいいわよ」


 小瓶は二本あるらしく、一本を手渡してきた。

 別に舐めてないが。スキャーナも盤外戦してるだけだろ――って、え、隣に来て座ってきたんだけど。

 この殺意の塊と一緒に観覧しろって?


「あらま、可愛らしい」


 で、ジンカさんはなんでわざわざマーシィの隣に行ってるんですかね。滅多に見ない鳥人を観察して学びたいだけだろうけども。


「でもごめんね。ガキに興味はない」


 などと一蹴されているにもかかわらず、膝の上に座っている。強者の余裕か、マーシィは淡々と抱えて、隣に下ろした。

 ジンカはしょんぼりと全身で表現した後、とことこと離れていく。頼むからおとなしくしてて。


「ブイエスでいいわよね」


 仕切り始めるマーシィ。

 さすが格上だけあって、睨み合う二人は無視できない。

 それはいいんだけど、俺への殺意はそろそろ取り下げてほしい。サリアもそうだけど、美人って性格悪いよな。しつこい。


「ミーシィが勝ったらコイツとバサバサする。負けたら何も無し。どちらにしても、これが終わったら私達は帰る」

「異議なし」

「ぼくもありません」


 もちろん俺に答える権利はない。


「開始の合図はサンダーで出してあげる」


 マーシィは自分が座っているふちにかぎ爪を接触させる――ああ、電気流せば一瞬で伝わる合図になるってことか。

 俺達にもなると音では力不足だからなぁ。仮にマイクロ秒の差で早く反応できたとして、すぐに攻撃を繰り出せば合図の音ごと消し飛んでしまい、届いたかどうかを観測できない。


 秒読みは無く。

 沈黙が訪れた。


 ライトボールは眩しいが、決して変わらず在り続けてくれる夜空。

 心地良い海風。

 ひんやりとした鉄の感触は、寂しい闇夜にアクセントを与えてくれるのだろう。こんなドロドロした争奪戦からは解放されたい。独りでこの離島を楽しみてえ。


 十秒、二十秒。

 百秒、二百秒……。

 マーシィが性格悪いか。それともそういうものなのか。沈黙は止まらない。誰も、微塵も動かない。ジンカは知らん。なんか海潜ってたけど。

 そういえば海のモンスター――シーモンは大丈夫なんだろうか。安全高度セーフハイトは千メートルらしいが、ここの海抜は十メートルもない。特殊な地域なんだろうか。


 などと考えていると。

 経過でいうと三百と六秒後くらいだが、マーシィの口元が高速に動く――なるほど、速いな。これは強そうだ。俺達よりもアウラやラウルの側に近い水準。


 高速詠唱によるサンダーが流れて。


 二人の冒険者が行動を始める。

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