第360話 追跡者たち3

 第八週十日目ハチ・ジュウ――


 スキャーナのベッド上に開かれたゲートの中を覗くと、さらにゲートが二本見えている。

 いわゆる多段ゲートというやつだ。

 うち一本には牧場のようなのどかな風景――前は森だったのでいくつかストックがあるようだ――が見えており、デイゼブラが牧草を食べている。白黒のストライプを分かつ赤くて細い線ラインの位置から、午前九時三十分くらい。


 もう一本は、内装から察するにガートンのどこかの本部か支部だろう。人の出入りもなければ出入口も無さそうだ。

 とか考えてたら、四角い穴が開いてスキャーナが戻ってきた。もう魔法で張り直している。自分で穴開けて自分で直す『ドアレス文化』ってやつだな。

 スキャーナはそのまますべてのゲートを閉じて、部屋に戻ってきた。土足で踏んだベッドが汚れているが掃除もしやがらない。俺だったらその場でやるし、そもそも土足では踏まねえが。


 それはともかく、浮かない顔をしている。

 弱々しく掴まれてる手紙のせいだろう。


「面倒なことになったよ……って何してるの?」

「お馬さんごっこ」


 俺は自分のベッドの上でうつ伏せになっており、その上にジンカが乗っている。


「馬? ってたしか動物アニマルだっけ? 馬車のモデルになってるって聞いたことはある」

「博識だな」


 そうだった、ジャースでは動物もそうだが、馬もレアな概念だった。

 レベルと魔法の世界ではそんな乗り物の出番などない。生存すらできない。そういえばナツナは乗ってた気がするけど、あれもモンスターだったのかな。

 しっかし、俺もすっかり役者だ。馬という知識の有無を問うている、という意図をノータイムで演出している。


「で、この手紙は何だ? 読めないんだが」


 俺の手元に置かれた手紙は、当然ながらジャース語だ。

 プリンターで印字したかのような綺麗な字である。そうなんだよな、現代の印刷程度のクオリティなら魔法の人力でも出せるんだよな。


「メッセージだよ。社員から社員には自由に送れるんだ。これはディミトリという人がぼくに宛てたもので、ベーサイトの高い同僚に用があるって書いてる」


 馬乗りを解除する俺。

 ずるりと落ちたジンカも、もうねだってこない。事の重要性を理解できないほど馬鹿ではない。

 きゅっと腕に抱きついてきたが、対外的には兄妹だ。ぽんぽんと頭を撫でておく。


「闘技場で会ってくれないか、だってさ」

「物騒だな。ベーサイトって?」

「鳥人の特性で、体つきのいい男性を見抜く能力とでも言えるかな。とうに廃れてて、まともに向き合ってる鳥人はほとんどいない」


 ジャースでは体つきや筋肉など何の意味もない。

 一方で、一般人レベル1の身体能力は、隠しステータス『基礎』と大それた名前がついているほどの盲点でもあった。


 直感は凄まじい。俺にはもう心当たりまで思い浮かんでいる。


「もしかして俺がずば抜けてるアレか?」

「だと思う。そうだとしたら全部辻褄が合うんだよね。ぼくにも心当たりはある」


 そう言いながら、片耳のショートヘアをかきわける仕草をするスキャーナ。高機密の話につき場所を変えるべき、との合図だ。


「今すぐ出かけるぞ。支度しろ」


 ジンカの肩をぽんと叩いた後、すぐさま着替える。あとはトイレの演技も。三分もあればできる。


 スキャーナの多段ゲートを通って、盗み聞き対策済のスポットに行く。

 そうして着いたのは。


「――これ、ストロングローブの中か?」

「うん。深森林だよ。獣人領」

「なるほど」


 サンダーボルトに貫かれたのかどうかは知らないが、細くて高い縦穴だ。人類には壊せない大木なら音も伝わらない。空が見えてる上方向にだけ気にかければいい。


 難点を言えば、少し狭いところか。

 三人が座って向き合えるスペースはない。というか座れるスペースもない。学校の用具入れロッカー四本分くらいだろうか。


 立ったまま壁にもたれる俺。

 その俺にもたれるジンカ。

 スキャーナはどさくさに紛れて俺の隣に来て、しなだれてくる。間もなく防音障壁を展開されて、


「ミーシィさんが絡んでると思う」

「俺もそう思う」


 俺が応えると、「……凄い」なぜか冷静にびっくりされた。


「俺は前々から『基礎』なるものの存在を自覚していた。で、ミーシィもそれに反応しているきらいがあった。ほら、妙に懐いてただろ」

「知ってる。ぼくがアンラーを見つけたのはさ、実はミーシィさんのおかげなんだよね。こっそり跡をつけたら、ミーシィさんがアンラーを見つけてたんだ。その時点でミーシィさんはベーサイトが特に強いんじゃないかって思ってた」


 びっくりしたいのは俺の方なんだがな。

 まず優秀すぎるし、その時からたぶんずっとアンラーを隠密ステルスでストーキングしてるよな。


「もしかして今回も同じやり方なのか? そのベーサイトとやらで、基礎が高い俺を見つけた――」


 冗談じゃない。

 いくらベーサイトがあろうと、このクソみたいに広大なジャース大陸を探し回るなど無謀だ。それこそパスワードを片っ端から試してブルートフォースで当てるようなもの。


「不可能じゃないね。仮にタイヨウがガートンに匿われているところまで仮説した場合、ガートンの施設を全部探せばいいだけになる。ミーシィさんの実力なら現実的な時間でこなせるし、ベーサイトはある程度近づけば体感できる類の能力だから。フェロモナブルっていうんだけど」


 障害物関係無しに一定範囲内の個体に影響を及ぼしたり、逆に自らに及ぼしたりするという性質があるらしく、フェロモナブルと呼ぶそうだ。

 魔子とは違った伝達手段が作用していると考えられている。フェロモンか? と問うたが、そんな言葉は無いという。たしかにダンゴも無いっつってたな。まだ名前がついてないのかもな。


 ナツナのチャームはフェロモナブルの筆頭だったそうだ。ああ、ルナとボングレーで交戦した時も普通に壁抜けてたもんな。要はガードが効かない。それゆえガートンですらも手を出せなかった。

 俺があっさり殺したわけだが、ともかくフェロモナブルは珍しいらしい。もしかしてミーシィってナツナレベルのヤバい人物なのだろうか。


 今は嘆いてる場合でもないし、フェロモナブル談議ももういい。


「施設がどこにあるかなんてわからんだろ」

「協力者がいるね。姉だと思う」

「俺達よりも格上だよな。ナナジュウの時に気配を感じたことならある」

「生きてるってことは、タイヨウのリリースを察知して逃げたってことだよね。冒険者としての才覚もありそう」


 姉の存在はさておき、たしかに辻褄が合うな……。


(レベルの世界を侮ってた)


 俺達、というか前世のITエンジニア達は、ブルートフォースは事実上当たらないものとして考える。

 通信を支える暗号技術だってそうだ。天文学的な確率では破られるかもしれない技術だが、そんなものは破られないことと同義なのだ。実際個人情報から企業秘密まで当たり前のようにやりとりされているし、些細なミスや脆弱性で盗まれることはあれど、暗号通信そのものが破られたことはなかった。


 難しい話ではない。

 砂浜から米粒一粒を探せるかという話だ。宝くじの一等が当たるかという話だ。確率ゼロではないが、ゼロとみなしていい。


(ジャースは違う)


 人が音速やマイクロ秒の次元を軽く超えてくるような世界だ。

 圧倒的な処理能力を持つ存在、というものがたしかにある。そいつらにかかれば、当たるはずのない馬鹿げた規模の試行さえも現実的に回せてしまう。

 それこそ量子コンピュータのように。


(アンラーもそれで特定された。同じ失敗を犯したわけだ)


「なあスキャーナ。断れると思うか?」

「断るのは自由だし、できるけど、問題は解決しないね。向こうはタイヨウのことを知っているし、索敵手段も持っている」


 身元がバレてるからといって交渉に乗るのは愚策だ。

 個人情報に敏感な現代人には特に効く脅しだが、ジャースでも変わらないらしい。本能的なものなのかもな。


「それでも俺達には手出しできないし、この件は他者に漏らしもしないだろう。無視してればいい」

「ぼくらには仕事がある」

「現地にはステーションで向かう。どこに向かったかはわからんだろ」

「仕事が管理されてるって言ったよね。ディミトリがぼく達の仕事を照会する」

「他人の情報が見れるのか?」

「社員は社員の情報を自由に照会できるんだよ」


 気前いいなガートン。セキュリティと効率の区別もつかない前世の大企業どもに聞かせてやりてえ。


「照会されて場所を特定されたところで、ミーシィ達はステーションを使えない。到達までに時間がかかるはずだ」

「場所によるよね。到達できる場所での仕事だった時点でおしまい。そもそも使えないって言ったけど、ディミトリが手続きを踏んで一時社員テンポラリ制度を使えば、使える可能性もある」


 一応粘ってみたが、スキャーナの即答には傷一つ入らない。


 だよなぁ。

 決め打ちで疑われた時点で、負けてるようなものだ。


「腹くくるしかないね。ミーシィさんが何望んでるかは知らないけど」

「……なんだその目は」


 なぜジト目を向ける。なぜそっぽを向く。頬を膨らませるのはさすがにあざとい。

 様になっているのだから優等生は恐ろしい。お前の演技は見破れる気がしない。

 言うて俺も童貞で偉そうなことは言えないけど……って童貞じゃなかったわ。こっちではもう捨ててた。つってもバグってる生身と寄生スライム製の性器じゃ捨てたことにならんだろうが。


 そもそも本番を体験したからといって何かが変わるわけでもない。男の醜い幻想から解放されるだけだ。

 そういう意味では一応、成果ではあるのだろう。性欲は無くならないが、バグってる俺には関係が無い。幻想だけを無くすことができたのだから。

 もっとも俺は孤独のこじらせも長いわけで、今さら遅いかもしれないが。


「遠慮が無くなったよねジーサ。見過ぎ」


 ですよね。もう遅い。

 というわけで俺は見ることをやめない。


「遠慮する仲ではなくなっただろ」

「なんで? 性交しただけだよ? 勝手に遠慮をなくすのは良くないよ」


 ド正論だけど、それ、俺を拘束して襲ったり姿消してストーキングしてた奴が言う?


「話を戻すぞ。結局この件はさっさと片付けるしかないってことだよな。明日以降、なるはやで会おうと思うが、それでいいか?」

「なるはや?」

「なるべく早めに会おうってことだ」

「ジーサの言葉、たまに意味わからないんだよね。もうちょっと歩み寄った方がいいよ」


 コミュ障の殺し文句なんだよなぁ。さっきからグッサグサ刺さる。


「自覚できねえんだよ。指摘してもらえると助かる」


 俺達は部屋に戻り、早速日程を確定させて返信をした。

 了承の返事もその日のうちに来て、無事明日に会うことが確定した。

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