第327話 会議当日
一大勝負の日だ。
最後の換気を終えた俺は、すべての換気口を閉めていく。
閉めながら思う。前世の受験や本番作業とは比較にならない大仕事のはずなのに、バグってる俺は相変わらず何も乱れないなと。
(恋しくなってくるものだな)
何事も失って初めて気付くというが、感情もきっとそうなのだろう。
俺が自殺したいと考える程度には煩わしかった負の感情達も、今となっては懐かしく感じる。また味わってみたくなる。
(ダンゴ。クロ。アンラーの容姿を必要最小限だけ維持して、残りは避難させるぞ)
維持分の寄生スライム達がいったん俺の身体から離れる。
「【シェルター】」
スキル『シェルター』は寄生スライムのすべてが俺の体内、バグってる鉄壁の肉壁の隙間に避難するもので、コイツらを一切のダメージから保護できる。俺がリリースで自爆しても大丈夫だ。
欠点を言えば、アンラーを形成する部分も避難することになるためシニ・タイヨウ――俺の素の容姿が晒されてしまうことか。
しかし、この後の詠唱数は抑えたいし、リリースを撃てばコイツらは確実に即死するため、避難のタイミングは今しかない。もちろんタイヨウを晒すわけにはいかず、アンラーの容姿は維持せねばならない。
(本当に悪いな)
細胞一つ一つが意思を持つ寄生スライム。
そのうち、アンラーの容姿維持を担う奴らは今から俺のために死ぬのである――
今回の計画における最大の障壁がこれだった。
もしダンゴかクロの片方に反対されていれば、俺は避難させることなく撃つしかないわけで、コイツらと別れるしかなかったのだが、コイツらも馬鹿じゃない。
だが、生き残るためとはいえ、自らの命を差し出すなど狂気の沙汰だよな。
そうでもないんだろうか。
いわば自分の分身が無数にいるようなもんだよな。スワンプマンといった言葉もあるが、哲学的に言えば自分のクローンがいるからといって自分が死んでいい理由にはならないわけだが……うん、やめよう。
コイツらも攻撃一つせずに受け入れてくれている。
もう言葉を交わす段階ではない。作戦は変えられない。
俺はこの任務を成功させるだけだ。
切り離していた寄生スライム達が再び俺に飛び込んできて、俺の身体と合流――アンラーの容姿が復元された。
(――よし、行くぞ)
すっかり定着した正確無比なカウント、事実上の体内時計に従い、俺は朝六時ジャストにコンテナを出る。
行き先は将軍会議会場の3534群。
目下の目標はここ4003群を離れること。
ユレア達と一緒に出かける約束をしていたが知ったことじゃない。当然ながら俺は一人行動をする。アイツらともここでお別――
(マジかよ)
俺の家から最も近いコンテナ、つまり隣家ともいうべき場所から、なぜかフレアが出てきた。
見ずともわかる。アイツほど綺麗に空気を揺らす奴はいない。俺が見てきた
(二十代くらいの夫婦と子供一人が住んでたはずだが……)
自分の家からだと距離的に追いつかない、というわけで前日のうちに転がり込んでいたわけか。気付かなかった。
俺を出し抜いたフレアだが、フィクションにありがちな叫び声も出さず、ただただ俺にも見せたことがない水準のスタートダッシュとスプリントで肉薄してくる。冷静にガチすぎて怖え。
俺はアンラーの能力を逸脱できないわけだが、それでは捕まってしまう。
というわけで、既に反射神経と初速からして少し破っているのだが、なるほどな。
逸脱しないと勝てないが、逸脱しすぎても懲罰隊に目をつけられてしまう――
厄介な逃走戦が幕を開けたわけだ。
(さて)
いつもなら東に向かうところだが、フレアは南南東の方角から向かってきているので、反発する方向に走る。
距離はおおよそ49メートル。
ここ4003群の崖は東西に伸びており、残る方向は西しかないが、西からだと3534群に行けない。
(行けないことはないが、一般人では超えられない崖がある)
偶然越えることができましたあはは、は通らない。
いったん巻いた後、改めて西に抜けるのも難しいだろう。ただでさえ見通しが良い場所だし、今はフレア一人かつ夜の暗さもあるからマシなものの、あと一時間、いや三十分もしないうちに全部なくなる。
タイムリミットは午後一時だし、一般人の足を考えれば午前十一時には出ないと間に合わない。午前の間だけ守りを固めれば済むフレア陣営に、アンラーが勝てる見込みはない。
(強引だが切り抜けるしかない)
ここまでをほぼ一瞬で判断した俺は、ダッシュを引き続き維持する。
(あとはどこまでアンラーの限界を破れるか)
とりあえず足音を無音にしつつも、フレアとの距離を空けることを優先する。
視覚的に俺を見えなくするためだ。
見えなくできれば勝てる。足音も無いから音から判断することもできない。もちろん地面に耳を当てたりする余裕もない。持久走で勝てないのは思い知ってるだろう。
どの程度離れればフレアが見えなくなるかもおおよそわかる。
(ざっと40メートル)
現在の距離差は31メートルくらいか。
アンラーは100メートル走で言えば15秒後半くらいで、このペースだとすぐ追いつかれてしまうが、仕方ない、少しだけ11秒前半のパフォーマンスを出す。
前世の陸上部女子でも出せない水準だ。
そしてジャースの
(つまりフレアでも追いつけない)
距離差を少しずつ引き離していく。
まだ寝静まっている闇夜の中、響くのはフレアの足音のみ。
お前は陸上やってんのかと疑いたくなるようなリズミカルで鋭い足音は、天性のセンスを感じさせる。いつまでも聞いていたくなる。
足音はフレアの分だけだ。
俺の足音が無いのは人間離れと言えるが、この程度なら冒険者にはわからない。学園の先生でもわからんだろう。懲罰隊員程度ならまずバレない。
(――39、40、41、よし)
視覚的に見えない距離になった。
あと数秒走ってたら崖に着いてたから結構ギリギリだが、間に合うことはわかっていた。この処理能力――レベルアップの恩恵は受けてるだろうな。
恩恵と言えば、こちらは目を閉じてもフレアの位置がわかる。
ぶっちゃけ近距離なら目で見るよりも正確だし速いんだよなぁ。大気の振動を感じ取るってマジですげえ。
あの坊主頭の懲罰隊員が崖の上で寝転んでいるのもわかる。ラクターといったか。アイツも視覚を使わず、音と、俺達周辺の大気に注視しているはずだ。
(今のところ警戒はされていない。今も暇だからとりあえず視てるって感じだな)
ともあれ俺の勝ちだ。
こちらが見えないフレアと、全部わかってる俺。
正直言って勝負にならない。
あとはフレアの半径40メートル以内に入らないようキープしながら、徐々に西に行けば巻ける。
(――ん?)
フレアがトトトッと何やらブレーキをかける。
息は切れているが、尽きた様子はない。まぶた周りの振動から戦意もわかる。真剣な顔つきが目に浮かぶようだ。むしろ勝機を見出したかのような高揚さえ感じられるな。
なぜかフレアは西へと走り始めた。
とりあえず俺も真似して距離差をキープしているが、何してんだアイツ? 先回りだろうか。
南北を囲む崖は680メートルくらい先から広くなる。そうなれば持久戦だ。なおさら勝ち目は無い。
ただその境界がちょっと狭くて、家も二つほどあって――
(先回りか!?)
その境界部分がまさに曲者で、家つまりはコンテナの塊が二つあるせいで事実上通り道が三つに分かれている。
ただでさえ30メートルもない幅が三分割――明らかに幅が狭い。フレア相手だと触れずに抜けるのは難しいだろう。
(回られたらヤバい)
もちろんスピードを出し過ぎてラクターに気付かれるのも問題外だ。あれがどの程度鋭いかはわからない。
俺の素の全力は10秒後半。
前世だと陸上ガチ勢の男か、あるいは俺みたいにパルクール等で異常に鍛えてゾーンに入れる奴でもなければ到達できない水準だ。ジャースの一般人で出せる奴はいないだろう。
出したらバレるだろうか。
9秒前半くらい出せるなら確実なんだが、さすがにバレる気がする。
先ほど問題無かった11秒前半が限界だろうか。
でも、これも出し続けたら怪しいよな。このペースで一分以上走れる人間なんていやしないし、ジャースのレベル2でもできるか怪しい。
(速度は冒険できないし、今は中距離のペースにまで落とさないとな)
結局
抜かせるタイミングは境界を出た後だが、フレアに先回りされたら叶わなくなるため、境界に着くと同時に、あるいは着く前に抜かすしかない。
(……無理だ)
フレアも地形が頭に入っている。寸分も乱れることなく、境界の中央を目指す方向が保持されていて惚れ惚れする。
暗いのに平衡感覚も乱れてないし、視線の飛ばし方も効率的で上手いし、マジで女子中学生のスペックじゃない。んなもん惚れるわ。結婚しようぜ。
冗談はさておき、二択だ。
追いついて、走りながら応戦して抜かすか。
境界に着いた後、改めて対峙して抜かすか。
フレアは格闘の方がはるかに強い。
俺はそっち方面はからっきしだ。回避と移動だけなら格闘家ごときには負けないが、俺は西に抜けなきゃいけない。いわば両方同時にやらなきゃいけないわけで、フレア相手に通じるとは思えない。
なら走りながらの方がいいだろうか。
だが、フレアが少しスピードを落として誘っていることから察するに、たぶん俺の方が
(格闘は素人だから加減がわからん。瞬発力だから大気の揺れ方もわかりやすいし……)
つまりラクターにとっても馴染みがあるということ。
レベル1超えの速さを出した瞬間にアウトを食らう可能性が高い。
もたもたしていると境界に着いてしまう……。
何か無いのか。
バレるバレないのバクチではない、比較的確実な限界突破の妙策は――
(いやあるっ! 体重差だ)
(ダンゴ。一秒に三キログラムのペースで俺の体重を増やせ。クロはこの体重増加を外からバレないように立ち回れ)
できるできないを確認する暇は無い。
一気に増やすと俺の調整と演技が間に合わないし、もう境界も近いから増やし始めないといけない。
できなければ増えない。できるなら増えるはず。
(早速増えてるな。でかした)
全身がむずむずする。どうも体内や血液中に土魔法の粒やら泥やらを混ぜて増やしている感じだな。出血したらヤバそうだがクロならどうとでもできる。この体には何してもいいから引き続き頼むぜお前ら。
俺は表面上は中距離ペースの速度を維持しつつも、足音も、地面にかける負荷も調整し続けた。
秒間数キログラムの変化程度であれば、俺なら適応できる。
ゾーンに入れるほど自分と向き合い続けたナルシストを舐めんじゃねえ。
そうして俺は段階的に体重を増やしていき。
力士以上の重量をもって、先回りを完了させたフレアと対峙する。
その小さな体にタックルをぶちかます。
体重差は絶対だ。技量など関係がない。
俺の確信を読み取ったのだろう、とっさに首と股間を狙ってきたのは大したものだが、反射神経は男の方が有利だ。まして俺は
仮に俺が一般人のままでも、負けることはまずなかった。
ガードして難なく受け流して。
俺のタックルは直撃して。
「ウッ」
ここで初めて声にならない声をあげたフレアが、交通事故のように吹き飛んだ。
俺は体重増加を除いて
実際、わざわざ俺達を追いかけてきたラクターも何もしてこない。
怪我でもすれば話は別だが、フレアは柔じゃない。しっかり受身も取ってやがる。仮にしたとしても、俺達が普段鍛錬しているのは知っている。大怪我でもなければいちいち首を突っ込んでくることはない。
そして懲罰隊には、前世の警察とは違って通報という概念も無い。
フレアが訴えたところでラクターは動かない。
(ダンゴ。同じペースで元の体重にまで落としてくれ。クロも継続)
境界を抜けた俺は、引き続き暗き荒野を走る。
後方からは地面をどんと叩く振動を観測した。
打撲くらいはあるだろうに、元気な奴だ。
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