第325話 観覧予定
4003群1番ギルドセンター館内は嘘のように静まり返っている。
「――週末の会議、アンラーさんも行くんだっけ?」
「はいっ!」
「声でかぁ。飛び散ったし」
ユレア、カレン、そしてアンラーの三人。
テーブルには常連客からもらった人面花――植物型モンスターの果肉がトレーの上で山盛りになっており、それを手で掴んでボウルの上で食べる。汁が垂れるがゆえの処置だ。一般人は魔法が使えないので、汚さないために道具を使う。
「ユレアさんも来ますか?」
特区民に食事の作法という概念は無い。
それでも恥じらいはあって、それなりに親しくなければ、こんな風に肉にがっつきながら喋るだなんて真似はしない。
(ジーサ君って人と仲良くなるのが上手いよね。
(どこまでが演技で、どこからが素なんだろう。ずっと見てるけどわからない)
(挙動にも瞳孔にも不自然さはないし、どう見ても人間の眼にしか見えないし……)
スキャーナも
もちろん会話の空気振動を乱すわけにもいかないためタイミングは難しいが、
「アンラーくん、私は?」
「鬱陶しそうなのでいいです」
「カレンも入れてほしいな。クレアの世話係が欲しいから」
「二人とも私の扱いが雑ですねぇ。で、クレアちゃんは?」
カレンが人面肉の汁を自分の乳房にこぼしたのを、スキャーナは見ることなく認識する。
今もアンラーの瞳を凝視しているが、それが吸い寄せられるように動いた。自分もなまじスタイルは良いだけに見覚えがある。典型的な、男の習性――
(何してるんだろぼく。アンラーを見てても仕方ないのに)
スキャーナは焦っていた。
このアンラー扮するシニ・タイヨウが見つかるのも遠い話ではない。なのに、どうやって二人になれるかが全く思いつかないのだ。とはいえ、いたずらに焦っても意味はないため、平静は維持する。
結局、ただただアンラーを観察する時間になってしまっている。
「さぁ? 一人で遊んでるんじゃない?」
「あの、前から思ってたんですけど、クレアって一人で何してるんですか? というか放っておいて大丈夫なのかな……」
「薄々感じてると思うけど、あの子は控えめに言っておかしいのよね」
「妹にずいぶんな言い草だねぇ」
と、その時、スキャーナは館内の外から不自然な大気の揺れを感じた。
「カレンもわかってるでしょ。あのライオットさんが養子にくれって言うほどよ。どうせフレア以上のわんぱくになるんでしょ? 私はいつまで振り回されるんでしょう?」
「アンラーくんと二人なら何とかなるよ」
「それもそうね」
「あ、アンラーくんがユレアのおっぱい見た」
「気のせいです」
「アンラーさんなら許します。責任は取って欲しいかな」
「だってさ、良かったね」
「そういえば二人はもうしたってフレアから聞いたんだけど、本当?」
「唐突ですね……」
「へたくそではあったよ」
「カレンさん」
「図体の割には小さかったね」
「カレンさん」
「緊張してすぐ中折れするし」
「カレンさん! もういいですから!」
(――なんだろう、アウラさんかな?)
三人の会話やアンラーの演技はもう眼中に無く、スキャーナは壁際にまで寄って全身を押しつけ、振動の余韻を読み取ろうと神経を尖らせていた。
(懲罰隊員に悟られない程度ではあるけど粗末だ。でもあの揺れ方に散らかり方、それにこの振動の残滓――よほど速く動かないと起きない)
情報屋ガートンとして移動や潜伏が多いからこそ、この手の認識にも敏感だ。
といってもスキャーナは近距離を高解像度で認識するのが得意なだけだが、それも意識が高い自分の基準に過ぎない。客観的に見れば中距離の認識もハイレベルであり、第一級クラスと言っても差し支えない水準であった。
この点を見誤ったのは相手の誤算と言えるだろう。
そもそもスキャーナがこうしてステルスで不法入国していること自体、誰一人知らないのだが。
(昨日アウラさんの尾行は無かった、からのこれ)
彼女の冒険者としての勘が告げている。
何か臭う、と。
勘とは尊重するべき偉大な能力である。自分では歯が立たなかったり全く知らなかったりする未知に対抗できるからだ。
取れる選択肢は大体逃げる一択だけだが、それでも
冒険者とは、特に実力者とはそういう世界でもある。
逃げ続けた者が勝つ、といった格言も一つや二つではない。
(いったん退く)
スキャーナは撤退を決意して、出入口付近にまで移動する。
すぐには出れない。開けたら不自然なため、自然に開くまで待つしかない。別に館内程度ならどこにいようと距離的に誤差だが、撤退と決まれば余計な情報は判断を鈍らせる。
単に三人の会話が聞こえづらくなるポジションを取ったのだった。
(先回りしよう)
(ジーサ君の演技には意味がある。特区を選んだのはなぜ? 迷路制作という趣味を押し出しているのは? さっきも将軍会議に行きたがっているように見せていた。
(――演じる必要があったんだ)
(もちろん特区にいる以上は一般人を演じる必要がある。演技の大部分はそこに集約される)
(でも違うよね? ジーサ君はここでのんびり暮らしたいと考える人じゃないよね。何考えてるかは二人きりになったときに問い詰めるとして、それでもわかるよ。まがいなりにもぼくも一緒に過ごしてきたから。戦ったこともあるよね。だからわかるんだ)
館内では気心知れた仲が染み出ているかのような談笑が。
館外では昼食時間特有の往来と喧騒が。
それらに挟まれながらも、スキャーナは。
その場にしゃがみ込み、目を見開き口も少し開けて。
まるでボードゲームで長考するかのように静止する。
ここまでの情報と、自ら過ごしたエピソードも振り返りながら、点と点を繋げてみることを繰り返す。
やがて――
(――そっか。将軍会議だ)
(外から接近するのは不可能。だから国民として近づくんだ)
(何するかはわからないけど。皇帝ブーガの思惑は絡んでるのかな)
とりあえず
ダグリンを出た後、スキャーナは王立学園に戻って
素行が投げやりだと怪しまれるため、あくまでも家の用事――体裁上は貴族ということになっている――で一時的に忙しくしており、学業自体には熱心だという体を見せておかねばならない。
「バレてると思うけど……」
本当はシニ・タイヨウ調査のために潜り込んだガートン職員であるが、家柄はともかく試験は正当にクリアした。
家柄の詐称を罰する規定もないため、表立った問題はない。なら堂々と演じておれば良い。
「スキャーナ。良いところに来ましたね」
屋敷に帰宅して、リビングでもある中央部に入ったところで上司の声が。
別室で作業しているらしく姿は無い。代わりに、テーブルの上に見慣れた書類があった。
職務通知書――
仕事の内容が書かれたものだ。
読んで対応しろということである。
早速手に取り目を通す……ことはせず、既に書面をスキャンできる特技は知られているので、大気やオーラをそうするように認識を
「将軍会議の取材……」
「知ってのとおり、ダグリンは三大府の一つ『ギルド』を解体して『外府』を新設しました。そこにはギルドとともに我が社も置かれています」
「男性社員マルクリッドとして、部下を一名引き連れる……」
別人を演じろという意味である。ガートンでは架空の名前と容姿を演じることがよくある。優秀なスキャーナなら、むしろ演じない仕事の方が珍しい。
「将軍会議は将軍達につけられた枷です。それ以上でもそれ以下でもない。観覧可能な会議であれば観覧者として空から見学もできますが、おっかない人達に自分を晒しに行く酔狂な者はいません」
「領地に入って、将軍達のそばで取材……」
「本件は皇帝が直々に我が社に持ち込んできました。どう報じるかは任せていただけます。要はガートン向けに特等席を用意していただいたわけですね。応えなければなりません」
実力というよりも胆力が求められる仕事だ。この上司に振られる理由はわかる。
しかし、こんな誰にでもできる仕事をあえて引き受ける理由が無い。自分に教えるのも前日でいいだろうに、なぜかこのタイミングで振ってきた――
「健闘を祈ります」
「ありがとうございます」
どこまで見透かされているのだという疑問、好奇心、恐怖といったものが半分。
そしてもう半分は。
「良かった……」
ほっと思わず安堵の吐息が漏れる。
(ぼくの見立ては間違ってなかった)
どころか、会場に近づくためのお膳立てまでしてもらえたのだ。
当日は何が起こるかわからない。
死ぬ可能性も十分にあるだろう。
そんなことはわかっている。冒険者の世界はそういうものだ。当たり前の真理に気を病んでも意味はない。
スキャーナはただただ怖かったのだ。
ここでジーサを見失ってしまうことが。
もう二度と会えなくなることが。
そこさえ防げるのなら。
どうにかできるチャンスがあるのなら。
(あとは何とかなる。してみせる)
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