エピローグ

「なあ、もうちょっと静かにしてくんない?」


 鍛錬なのか遊びなのか、青白い悪魔がぶつかり合っている。早すぎてほとんど見えないが、轟音と評しても生ぬるい爆音が起きてて会話もままならん。

 それでも俺の声を拾えるのだから大したもので、内耳ごと引っこ抜かれたかのような感覚を覚えた。

 たぶん無詠唱で防音障壁サウンドバリアを張ったな。


 薄暗いダンジョンの中で、素顔も肉体も全部晒した俺はグレーターの一体と向かい合っていた。というか、でかいので見上げてる。

 と、そこに、よじよじと登っていく幼い子供が二人。

 ダンゴとクロだ。


 金髪で裸体という見覚えのあるフォルムは、俺に何か言いたいことでもあるのだろうか。ツッコまんぞ俺は。

 まだ一般人レベル1の動き方としてはほんの少しぎこちないが、鍛錬も兼ねているのだろう。向上心が高いのは良いことだ。


(認めるつもりはねえけどな)


 人外の子守なんて勘弁だし。

 と、コイツらをいちいち気にしてては埒が明かないので、早速切り出す。


「あまり時間がない。手短に話すぞ」


 話したいこと、聞きたいこと、頼みたいことは山ほどあった。せっかく自由の身になったのだからとことん利用してやる――と言いたいところだが、そうもいかない。


 俺にはブーガから課されたミッションがある。

 そのために二国の王女の婿ダブルロイヤルを捨ててきたのだ。


 当然アルフレッドもエルフも、あとはガートンもだろう、黙っちゃいない。大規模な捜索や検問が敷かれるくらいは想定するべきだ。

 動きづらくなる前に、潜入を完了させる必要があった。


「事情があって、俺はダグリンに行かなきゃならない。ダンゴとクロの力を借りて、第三の生を歩むつもりだ。そこで、お前らには俺を無難に送り届けてもらいたい」


 グレーターは何も答えない。

 銅像と遜色のない無機質な瞳は、俺を歪めて映しているだけだ。


 視界の端にはダンゴとクロ。角のてっぺんまで登って、何をするかと思えば、下腹部を刺して腰を仰け反らせていた。いや何してんの。


「目障りすぎる」


 俺は飛び上がって二体の幼女を回収し、地面に叩きつける。一般人レベル1ならぺしゃんこだが、弱い方のダンゴでもレベル40なので問題はない。ジャース流の加減にもだいぶ慣れてきた。

 二体とも懲りないらしく、今度はお互いに絡み始める。熱心なのは良いことだが、さっきから絵面が洒落にならないんだよなぁ……。


 いちいち気にしてしまうあたり、たぶん俺の性癖を突かれているのだろうが、考えたくないので無視無視。


「話を戻すが、以上が俺の要求だ。続いて褒美だが、こうして俺をさらってくれた分も含めて、今から払ってやる。そうだな――」


 短すぎると納得してもらえないし、長すぎて現地入りが遅れるのも困る。


「半日。半日だけ、俺の体を好きにしていい」


 俺のこだまが途絶えた瞬間、悪魔の手が動く。


 頭をつまんできた。

 一瞬で目の前に引き寄せられ、第一級でも一撃で絶命させるであろう太い指がビシビシと俺を弾く。

 激しく振動しているのだろう。視界がモザイクみたいに不明瞭だ。


(さてと)


 交渉は無事成立した。

 実験台か、おもちゃか、それともサンドバッグか。どうでもいいが、この間にコイツらに出す要望を考えるとしよう。


(俺はダグリンの国民になる)


 ブーガとサシで話したときに三国の話を聞いたが、ダグリン共和国が一番過ごしやすいと感じた。

 国民に時間割を課すような、ある種イカれた国だが、だからこそ溶け込みやすい。他国民でも貧民でも誰でも帰化できるし、ちゃんと努力すれば道も開けるようになっている。


 ただの国民として生きつつ将軍の情報を調べ上げ、隙を見て殺す――

 それを二年以内に行う。


 それが俺のブーガミッション攻略プランだった。


(あるいは使か)


 が、この悪魔達がどこまで俺に従うかはわからない。

 崇拝状態ワーシップとはいえ盲目的な言いなりにはならないのだ。たぶん知能が高いからなんだろうけど。


(それに竜人の存在も気になる)


 グレーターを竜人に消されるだけならいい。問題はその後、グレーターをけしかけたことがブーガにバレた場合だ。


(確実に俺は終わる)


 静かで美しい夜の上空も。

 本心のすべてを晒した皇帝の凄みも。

 そして何より人類最高の速さと重さも。


 忘れるはずもないが、忘れてはいけない。

 あの人は惚れ惚れするほど本気なのだから。


(そもそもブーガがいなくなることによる均衡の崩壊も怖いよな)


 異世界ジャースの、少なくとも人類の部分は、一部の強者によるデリケートなバランスのもとに成立している。

 ブーガは間違いなくそのピースに含まれる。まあ学者じゃあるまいし、ブーガ無き後の展開なんて予測できるはずもないし、学者だとしても未来なんて大体当たらないけどな。


 それでもブーガ・バスタードなる英傑の欠如は悪手に違いない――


 そう俺の直感が訴えている。

 いや、初めて出来た友人でもあるしな。そう思いたいだけかもしれない。


 変にこじらせそうだったので、これ以上の思考は放棄した。


(とすると、やっぱりダグリンに入るしかないよな。どこに飛ばしてもらえればいいのか。そもそも飛ばせるのか? また検問みたいな出入口を突破するのは御免だぞ……)


 ジーサのときはそれでいきなりバレたわけだからな。

 魔法無き俺には大した小細工も持ち得ない。一方で、俺を探す勢力は近衛やヤンデといった魔法のお化けを有している。

 どう考えても俺では出し抜けない。

 だからこそ、グレーターの力に頼るしかないのだ。


(あとは名前か)


 死にたいようシニ・タイヨウ

 自殺したいぜジーサ・ツシタ・イーゼ

 獣人に成りすましたときに自殺犬スーサイ・ドッグも使ったか。


 自殺のニュアンスは絶対に外せない。覚えやすさもだ。

 ミドルネームやファミリーネームは邪魔だよな。むしろ家柄を詮索されても困る。冒険者や貧民みたいにファーストネームだけでいい。

 死ぬ。自殺。スーサイド。他にこのような意味を持つ単語はあったか――

 しばらくの間、思わず集中してしまった。

 いくつか候補を絞れたところで、


(名前を考えるのは楽しいものだな。……コイツらも楽しんでやがる)


 頭に流れ込んでくるダメージ量がさっきからエグい。

 深森林でバーモンに遊ばれたとき以上の密度と重さであり、俺と再会したときに何をするかってのをコイツらが練っていたことがよくわかる。さっきのじゃれ合いもたぶんウォームアップだろうし。


 ナッツも面白いことになりそうだ。

 ダブルロイヤルになった時が590ナッツくらいだったが、この調子だとたぶん1000を超える。


(核兵器超えてね?)


 いっそのこと、1000ナッツを放った方が楽なんじゃねえかと安直な自棄が頭をよぎる。

 竜人のみならず、大陸を丸ごと滅ぼしてしまえば、もう脅威はないのだから。


 ただ、それはそれで問題である。

 ここジャースはクソ天使がつくった世界ゲームであり、おそらくは絶賛稼働中だろう。



 ――この世界は我々の威信をかけた一大プロジェクトなのです。



 メガネスーツ天使もそう言っていた。

 もし俺が規格外な解放でめちゃくちゃにしてしまえば、プロジェクトが失敗に終わる恐れがあった。

 そうなると成仏――輪廻転生から解放してくれるとの約束もおじゃんになる。俺はまた別の異世界ゲームに飛ばされるだけだ。それじゃ意味がない。

 俺は今の世界で死にたいんじゃなくて、文字通り永遠に死にたいんだからな。


(まだ時間はある。じっくりやってこうぜ)


 自分に言い聞かせてから、再び思考の海に潜ろうとして――


「……は?」


 ダメージの嵐が急に収まった。

 俺の視界にも第90階層の空間が映っている。

 違うと言えば、悪魔達も、ダンゴとクロも平伏していることくらいか。


 俺は何もしていない。

 コイツらが向けているのも俺じゃなくて、俺の正面だ。


 薄暗闇の先は何も見えないし、ダンゴの夜目も無いが、それでもすぐにわかった。

 わからないはずがなかった。


「……」


 全身が何かを訴えている。


 俺はレベルアップしたはずだ。

 ブーガの圧も経験済で、もう慣れた。そもそもバグってる俺にはあらゆる恐怖や威圧が通じない。

 いや別に今も怖いとは恐ろしいとかいった感情は感じないんだが、それを抜きにしても、このオーラは今までとは違う。違いすぎる。

 別の言い方をすれば、当初と全く変わっていない体感だった。


 意外にも、それは人間みたいな足音を響かせながら歩いてくる。


 やがて見えてきたのは、やはり想像通りの男で。


「テメエには会いたくなかったが仕方ねえ。俺の家族をたぶらかせた件、吐いてもらうぜ」


 理不尽の本体――かの魔王と再び邂逅した。

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