第194話 ジーサの受難

 十五時前にFクラス校舎に戻ると、見覚えのあるダンディーなおっさんが教室で待っているのが見えた。

 俺はヤンデと顔を見合わせ、とりあえず向かう。


「ヤンデ・エルドラ。ジーサ・ツシタ・イーゼ。待ちわびたぞ」


 がたっと立ち上がったのは、ダンディーなスーツをダンディーに着込んだ男だ。

 やり手の商人といった風体で、体型から眼光まで刃物のようにシャープである。交渉事でもしようものならまず勝てる気がしない。


「私はパイソニー。商者バイヤーの職練を統括している」


 俺は何か言おうとしたヤンデを遮り、偉そうな態度で応じてみることに。


「アンタ、俺を門前払いしたよな? わかりやすく手のひらを返そうってか?」

「国王直々の依頼だ。ジーサ・ツシタ・イーゼはサボりの達人で、しかし奇天烈に有能だと聞いている。商者として、しっかり振るわせよとのことだ」


 あの半裸ジジイ、適当なことほざいてんじゃねえぞ……。

 この調子だと、俺が職練の時間を丸々浮かせるためにわざと商者を選んで、かつ無礼な振る舞いをして門前払いを狙ったことは筒抜けだろう。


「パイソニーと言ったかしら。私も今日から商者志望にしたいのだけれど、構わないわよね?」

「構わない。国王の許可は既に得ている」


 ヤンデは闘者バトラー志望であり、このままでは俺が孤立してしまうため同じ業種に鞍替えしようということか。

 悪くないが、もう一押し欲しくて「ヤンデ。免除を進言しろ」こっそり耳打ちしてみたが、「早速サボると申すか」パイソニーに一蹴された。


 どうやらエルフ王女の権力であっても、融通はたかが知れているらしい。

 まあそうなるか。学生として経験を積め、がシキとサリアの総意だし、二人とも甘やかしてくれるタイプでは断じてない。


「で、俺達は何をすればいいんだ? 正直言ってやる気も知識もないぞ」

「貧民エリアの経済活性化に取り組んでもらおう――」


 パイソニー曰く、王都リンゴの貧民エリアは自給自足と物々交換の世界だ。

 銭は得ているものの、棲み分け意識が非常に強いため購買行動――をするために平民エリアや冒険者エリアに繰り出すことはほぼないという。


「なるほど。貧民は生活水準を乱すことの危険性を知っているってことだな」

「……ほう。理解が早いな」


 幸福は生活水準という土台に紐付いているものだ。

 土台は意外と脆い上に、一度欲張ると戻しにくい。宝くじが良い例だろう。一億とか、一千万とか、中途半端な金額を当てた者は、長期的に見れば不幸になるケースが多いことが示されている。

 要は計画的かつ自律的に使えない無能が多いというわけだが、ここの貧民はそうじゃないってことだな。「どういうことよ?」ヤンデが首を傾げている。ちょっと愛おしく見えたのは見なかったことにして、


「難しい話だからまた今度な」


 そっけなく一蹴すると、むっとしたヤンデが無言で足払いをきめてくれた。もうちょっとマイルドにしてくれないか。


 俺は痛がる演技を忘れずに、よろよろと起き上がりながら、


「稼いだ金はどうしてる?」

「貯金しかあるまい」


 前世の日本人もびっくりの貯金民族だな。


「家に保管してんのか? 盗まれるだろ」

「相当に無知であるな。騎兵隊による治安維持が機能している。十中八九発覚すると考えて良い」


 処罰も相当に重く、死罪もあり得るのだとか。

 それでも人は追い詰められたら何でもしそうなものだが、ここはジャースでありレベルが物を言う世界。


「割に合わないってわけか」


 竜人もそうだが、強者による罰則ペナルティはシンプルでありながら強力なんだと痛感させられる。


「で、そんな貧民エリアをどうしろって?」

「活性化に取り組んでもらうと言った」

「ふざけるな」


 定義や目的はまだ問うていないが、一学生が取り組むことじゃねえよな。


「そうだな、商店街で貧民の姿を当たり前に見かけるようになることでも目指してもらおうか」


 パイソニーは俺を無視して、にやっとダンディーな微笑を浮かべる。マダムがとろけそうなハンサムっぷりだが、今はイラッとしかしない。


「勝手に話を進めるな。職練の域を超えてるだろ明らかに」

「ふうん。いいんじゃない?」


 いつの間にか座って脚と組んでおられるヤンデさんが、他人事のように言う。


「良くねえよ。仕事を無闇に背負うのはバカがやることだ」

「ねぇ。やり方は自由でいいのよね? 学園や貧民エリアには自由に出入りできる必要があると思うのだけれど」

「無論だ。王都を出なければ、どこに行っても良い」


 ヤンデの言う通り、裁量があると考えれば悪くないのかもしれないが……。


「成功する保証はねえぞ。それでもいいよな?」

「無論だが、露骨な手抜きが場合には、てこ入れを行うからそのつもりでな」


 その後も話が進み――。

 俺達は毎日、十六時から二時間ほど続く職練の時間において、この貧民エリア経済活性化計画に取り組むこととなった。


 肝心の目的だが、貧民と平民の融合を図りたいとのこと。

 そのために貧民達の財布の紐を緩ませ、エリアの外に出て消費してもらう必要があるわけだ。

 あえてそんなことをする真意はパイソニーも知らないらしい。シキ王に聞いてみねえとわからねえか。


 裁量は存分に与えられている。何をするかは自由で、定例報告も不要だ。まあ観測するとか言ってたしな。

 どうしても聞きたいことがある場合は、晩休憩中に教室に来るという。


 そういうわけで余計な仕事が増えることになった俺達だった。


「――晩休憩にすまなかったな。学友との交流も大事だ。【ゲート】」


 アンタ、ゲート使えるんだな……。

 俺もマジで欲しくなってきた。ブーガは脆弱の原因だとか言ってたが、瞬間移動ってどう見ても便利だし、男児のロマンでもあるしなぁ。

 そもそも俺、魔法一つさえろくに覚えられないけど。


 パイソニーを飲み込んだ門が消えた後、入れ替わるように入ってきたのは――鳥人の女の子。


「とつげきぃ!」


 とか言いながら、タックルとともに豊かな双球を押しつけてくる。

 レベル10に配慮されているのがわかる。幼いに反して、たぶん強いぞこれ。

 で、ヤンデさんはというと、その様子を止めることもなく、無表情で観察していた。「ふうん?」怖えよ。俺は何も反応してねえぞ。


「ちょっとミーシィ! 御前だって言ってるでしょ!」


 ばたばたと入ってきたのは、特別枠ジュエルの雰囲気を隠しきれない金髪縦ロールの女――ハナ・シャーロット。

 アルフレッドで双頭を成す大貴族なんだってな。胸の膨らみは平凡で、胸フェチの俺としては目に優しい。


「ヤンデ様。大変失礼致しました」


 そんな大物の娘がぺこぺこと頭を下げている。

 

「かしこまらなくてもいいわ」

「そうだよー。同級生なんだからさ。ねー」


 俺の背中に乗っかる格好で馴れ馴れしくほざく鳥人、ミーシィ。

 エグい感触を押しつけられていて、バグってなければまあ俺の俺が反応してただろうなとは思う。先端の微かなアクセントがまたエロいんですわ。


「ミーシィと言ったかしら。人の婚約者で弄ぶのはやめなさい」


 スパァンッ、とクラッカーもびっくりの破裂音が響く。ミーシィの額を魔法で叩いたようだが、本人はけろっとしていて、


「本人公認だよ?」

「……は?」

「だよね、きんにくん?」

「誰が筋肉だ」


 そういやコイツ、俺の筋肉を妙に褒めてたよな。


「バサバサしようねーって約束したもん」

「じ、ジーサ……?」


 バサバサとは鳥人の用語で性交を意味する。ヤンデが眉をぴくぴくさせている横で、ハナはおろおろしていたりミーシィを表情で叱ったりと器用な慌てっぷりを発揮していた。


「してねえよ。気のせいだろ」

「あー、その話はよく覚えてるぜ」


 ハナの背後から声がした。

 ツンツン頭の男である。ハナの護衛だったか。かろうじて見えたが、シュバッと高速移動でやって来たようだ。

 わずかな風圧さえも起こさない技量も含めて、相当強いのは間違いない。たぶんスキャーノ以上。


「ミーシィがずいぶんとべた褒めしてたからなー。こりゃ搾り取られるに違いねえわと思ったのをよく覚えてるぜ」


 ツンツン頭はポケットに両手を突っ込んだまま、そんな追加燃料を投下してきやがった。

 鳥人ってそんなに激しいのか。正直興味あるな……などと妄想している場合ではなくて。


「し、絞り取られてもらう、の?」

「ヤンデ。落ち着け」

「私は? やっぱり胸の大きなアホ女が好きなの?」


 乏しい胸部を押さえるヤンデさん。マジでどうしたんだよ。性交ごときで狼狽えるような女じゃないだろ。

 こういう時に理屈を出しても意味はないので、俺は黙ろうとしたのだが、「答えなさい!」風魔法で俺の口をこじあけ、舌を引っ張ってくるヤンデさんマジ怖い。


「胸の大きさだけじゃねえだろ」

「え? じゃあシャーロッちんくらいのが好きなの?」


 まだ俺の背中に乗ってる鳥女が、かぎ爪でハナを指す。

 ハナはばっと胸を抱いて、「困りますわね」真顔で軽蔑の視線を寄越してくる。あれだけあたふたしてたのに適応早えな。


 それを見てヤンデも落ち着いたのか、


「……ジーサ。今夜はおしおきよ」


 ツンツン頭が「うへぇ」とドン引きするほど底冷えする声だった。

 だのに、心の底で性的に楽しみにしている俺がいて、ああ俺は男なんだなあと呑気に再認識した。現実逃避ともいう。

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