第189話 王女《クラスメイト》

 怒濤の第二週が過ぎて、第三週一日目サン・イチ

 俺はレベル10のジーサ・ツシタ・イーゼとして、いつものボロい作業着で学園坂を登る。


 エルフ領と変わらない青空が広がっている。たぶん午前七時くらいだな。

 午前の座学開始までまだ三時間はある。通行人も見るまでもなく皆無だった。


(昨日も話したが、ジーサ・ツシタ・イーゼはレベル10の慈悲組ジャンクだ。ダンゴ。クロ。協力して上手くやれよ)


 昨日の夜、王都リンゴのいつもの川底――丸ごと凍らされた川は何事もなく復旧していた――に戻った俺は、もちろん睡眠なんて行わず有意義に過ごした。


 具体的には、クロとの対話に充てた。


 ジーサという仮面はデリケートな演技の上に成り立っている。

 二匹をどう作業分担させるかには頭を悩ませたが、結局コイツらのアドリブに任せるのがベストだと判明した。

 あまり盲目的な依存はブラックボックスにはしたくないが、俺の手間が省けると思えば悪くない。


 ちなみにバニラだが、クロが食べてしまったそうだ。

 仲の良かったダンゴは相当怒ったみたいだが、クロの方が格上である。すっかり尻に敷かれているのだとか。俺の体内で何してんだよコイツら。


「君……ずいぶんと早いな」


 坂を登り切ると、門番のおっさんが制服を渡してきた。


「しばらく見なかったから、死んだのかと思ったぞ」

「余計なお世話ですね」


 俺はその場で着替えを済まし、ぼろい作業着を手渡す。


「下着は履いてないのか? あの黒いのはどうした?」


 よく見てるな、このおっさん。

 あの黒下着レアアイテムは対アウラ時に自爆でおしゃかになりました、とは言えないので、「貧民ですから」適当に誤魔化す。


「前も言ったが、ローブで隠すくらいはしないか。そのうち絡まれるぞ」

「絡まれませんよ。こんな貧民、絡む価値もありません」

「……ワシはもう長いが、お前のような生徒を見るのは初めてだ」


 背中を向ける俺に何か語りかけてきたが……。


「えっと、俺と話がしたいってことですか?」

「気にするな。ワシの独り言だ」

「逆に気になるんだが……」

「もう一人の慈悲組ジャンクは昼から来るそうだ。今のうちに心づもりしておけ」


 それ以上語る気はないらしく、「ほら行け」と追い払う仕草をする。


 ……うん、まあ、そういうことだよな。



 ――引き続き王立学園に通う。卒業後、ヤンデ殿は王女として責務を全うする。どうかね?



 ブーガによる折衷案に乗ったのはヤンデであり俺だ。サリアも了承している。覆ることはあるまい。

 にしても、もう少しくらいゆっくりすればいいのに。


「どうも」


 一応お礼だけ言って、俺は門を抜けた。


 人気ひとけのない広大な敷地――といってもグリーンスクールと比べれば誤差みたいなものだ――を歩き、中央に鎮座する校舎へと向かう。

 五重に囲まれたロの字を抜けると、相変わらず何もかもが透明なFクラス校舎が。


 視点を上げてみると、EクラスからAクラスの校舎に囲まれているのだとわかる。廊下が面していて、向こうからは丸見えだ。

 言わばFクラスは晒し者になっているわけだが、慣れとは恐ろしいもので、俺はもう何とも思わない。


「それどころじゃないしな……」


 教室に入り、腰を下ろした俺は。

 本来の目的――ブーガから持ちかけられた依頼の検討を始める……。


 時間はたっぷりあったにもかかわらず、大した収穫は無かった。

 当たり前だ。情報が不足しすぎている。

 かといってアルフレッドの国王様シキエルフの王女様ヤンデに頼れるものでもないしな。






「スキャーノさんは留学による加点で昇格しています」

「ルナとガーナもですか?」

「はい」


 朝九時半頃にやってきたのは、神経質そうなメガネ男――ミライア先生だった。

 クラス昇格試験は三週間ごとのはずだが、三人はエルフ領グリーンスクールの短期留学生として見事な成果を収めた、ということで加点措置が取られたそうだ。

 これによりスキャーノはEクラスに昇格。ルナとガーナもEからDクラス行きだ。


 これにより、Fクラスは俺とヤンデの二人だけとなった。


「ジーサさんも昇格したかったですか?」

「いえ、このままで良いです」


 俺は静かに過ごしたいし、正直ブーガの依頼で頭がいっぱいだ。


「そもそも昇格できるほどの頭もないですし」

「エルフの王女を射止めるほどのお方が、ご謙遜をなされる」

「……俺はただの慈悲組ジャンクです」

「そう思われるのも、朝までですよ」

「先生方にはもう共有されてます、よね?」

「ええ」


 決まりだな。唯一のクラスメイト、ヤンデは現在欠席中だが、鋭意準備中だと思われる。

 昼休憩後くらいに王女としてのお披露目を始めるのだろう。

 そこでおそらく婚約者――俺のことも改めて紹介するはずだ。


 頭が痛い話だが、変えられない未来は受け入れるしかない。

 今は出来ることから潰していこう。


「ミライア先生。一つお願いしたいのですが」

「また一緒に字の勉強がしたい、と?」

「違います」


 もう読み書きはどうでもいい。ジャースランゲージなるスキル次第だとわかったからな。

 おそらく俺に適性はないが、幸いにもヤンデというパートナーを得ている。本に頼らずとも、生きた知識をヤンデから引き出せばいいだけのことだ。


 ミライアがぱらりとページをめくった。

 さっきから読書に熱心である。本の持ち方も、めくり方も、めくるスピードも読書家のそれだ。

 足も組んでおり、とても人と話す時の態度ではないが、むしろ有難かった。下手に謙遜されても鬱陶しいだけだ。


「わざと試験で手を抜いてFクラスに降格させる、ってのをなくしてほしいんですよ」

「……スキャーノさんのことですか?」


 俺は首肯する。


「手を抜いたかどうかを判定するのは難しいのでは?」

「ステータスの判定よりは簡単だと思いますよ」


 俺はあえてステータス判定の話を振ってみた。

 ミライアは実力検知ビジュアライズ・オーラの使い手であり、レベル10を偽る俺としては少々心臓に悪い。

 疑心暗鬼のまま一方的に駆け引きするのもかったるいので、もしミライアが既に俺のステータスを見ているとしたら、本人の口から引き出してしまいたかったが、


「スキルの有無、という意味ではそうでしょうな」


 そう返すミライアの横顔は何一つ変わらなかった。

 グレーターデーモンを一体倒し、バーモンも狩りまくって相当レベルアップした今の俺は、表情が1ミリ変わっただけでも見逃さない。にもかかわらず、全く違和感が無かった。

 ……うん、俺なんかが探れる相手じゃないな。撤収撤収。


「仮に方法があったとしても、一介の教師には権限などありませんよ」

「それは残念ですね。ちなみに方法は特に思いついてないです」

「それは残念です。ジーサさんなら面白い方法を出してくれそうなものですが」


 試験結果を親御さんにも教えるとか、試験を廃止して先生に昇格判定してもらうとか、降格時の最低水準をFではなくEクラスにするとか――

 一応意見は温めているのだが、権限はないと先手を打たれたのだ。もうこの話題は続かない。


 神経質そうな双眸と目が合っている。何から何まで知ってそうな知識人と問答しているようで、どうも居心地が悪い。


「それはそうとジーサさん。羨ましい限りですね」

「……はい?」


 見上げるミライアの視線を追うと、二段目の廊下――Dクラスのエリアに女子生徒が二名ほど。


 腕を組んで仁王立ちしてるガーナと、顎に手を当ててじっとこちらを見つめているのはルナだ。

 談笑ではなく議論の雰囲気なのは見ればわかる。話題が俺であることも露骨で、疑っているのだと表明しているかのよう。


(特にへまはしてないはずだが……)


 ルナとはアナスタシアを介してしか接していないし、シッコクがシニ・タイヨウだとバラした時はガーナがいたが、眠らされていたはず。

 仮に起きていたとしても、ガーナは実技の壁――俺がレベル10程度の防御力であることを目撃している。


 ルナもそうだが、俺をシニ・タイヨウと繋げることはできないはずだ。


(あの場にいたエルフ達から共有された? いや、もしそうならもっと騒ぎになってるか)


 だとして、なぜエルフ達が黙っているかの理由もわからないが。


「私もこの学園に通っていたのですが、女の子とはまるで縁が無かったのですよ」

「俺はそっちの方が羨ましいですね」


 女がいても気が散るだけだからな。

 どうせ踏み出す気のない者や思いやる気のない者には春など訪れない。


 だったら、性欲はコンテンツと風俗で満たすと割り切って、学校や職場は女のいない場所を選べばいい。そうすれば気を散らすことなく本来の目的に集中できるし、性欲も効率的に解消できる。


 この事にもっと早く気付けておれば、俺の人生は変わっていたのだろうか。


「……ミライア先生は、人生楽しいですか?」

「楽しいかどうかはわかりませんが、面白くはありますよ」


 ミライアが愛おしそうに本を撫でる。

 高級な本なのかもしれない。装丁こそないものの、前世の本屋に置かれていても遜色がないほど綺麗だった。


「女性に興味はないんですか? 性欲は? どうやって抗ってます?」


 グレンの事例があった手前、実は男が好きだとか言われると困る俺だったが、「取れば済むことです」ミライアは俺の股間を見ながらそんなことを言った。


「特に賢者ナレッジャーの方は珍しくありません」


 賢者というと学者だよな。ジャースの学者さん、ガチすぎない?


「アーサーもそうなんですか?」

「どうでしょうね。聞いてみたらいかがです?」


 俺の暗殺を企てた奴にあそこついてますかとでも尋ねろと? これ以上面倒事は背負いたくねえよ。

 と、なんだかすっかり打ち解けてしまったが、良い機会だ。


 撤収は前言撤回。

 俺はもう一度仕掛けることにした。


「ちなみにですが、性器が無い場合ってチャームは効きますか?」

「残念ながら効きますね。第二王女がご存命だった頃は、効かないと勘違いした猛者達がいとも簡単に狩られました。男は可愛い鳴き方をする、とナツナ様ははしゃいでおられました」

「え? ミライアさん、王女と知り合いだったんですか?」


 俺はしらばっくれつつも、ミライアの方から何か仕掛けてくることを期待した。が、


「秘密にしてくださいね。王族の機密は、無闇に漏らすと死刑ですから」

「俺を巻き込まないでくださいよ」


 この人はどこまで知っているのだろうか。

 俺のステータスはもう見ているのか?

 俺がシニ・タイヨウであること――俺達がナツナの拷問部屋で既に会っていることを知っているのか?


 知っているとして、この人は何を企むだろうか。

 上に報告する? 何もしない? それとも何か利用しようとしてくる?


 何もわからなかった。わかると言えば、ミライアが俺にそれなりに興味を持っていることくらいだ。


(これ以上粘っても仕方ないな)


 なんとなくだが、ミライアは脅威にはならないと思う。自己完結しているわけだからな、その必要がない。逆を言えば、協力者にもならないだろうが。


 俺は探るのは諦めて、引き続き雑談をする。

 無理して続けず、自然に沈黙も許容するミライアとの時間は心地良かった。


 程なくして十時となり、座学が始まる。

 俺しかいないということで質疑応答の時間にしてもらい、濃密な時間を過ごせた。ミライアの講釈も、相変わらずわかりやすかった。

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