第184話 惨事2
握られている拳を離そうともせず、追撃を仕掛けてくる様子もない。
サリアが『リアクショナー』――動く物体に対する反応が速いタイプであることは知られているのだろう。
女王と言えば最たる脅威である。手の内は調べ尽くされていると考えるべきだ。
そんなシッコクはにたりと笑い、剥き出しの下腹部を膨らませてきた。
「どうでやんすか。大きいと気持ちがいいでやんすよ?」
何年も前にファームで視察した時とはサイズも、形も異なっている。
肉体だってそうだ。こんなに筋肉質なエルフなどいない。
あえて見せつけてきたのは、性的な不快感と容姿の差異による疑問を抱かせるためだろう。
前者はともかく、後者は見逃せない謎であったが、これが注意を少しでも逸らすための盤外戦術であるのは自明だ。
「グレン・レンゴクを待っているのですか?」
「意外でやんす。女王様は三人で遊ぶのがお好きなのでやんすね」
シッコクとの実力差は微差と考えられる。相手から動いてくれれば、リアクショナーであるサリアの方に分がある。だからシッコクは動かない。
一方で、シッコクが時間稼ぎをしている可能性もゼロではなかった。
仮にグレン・レンゴクも同等の実力で、今ここにやってきたとするなら、サリアには勝ち目がない。桁外れの娘がいるから心配はしていないが、あれほどのドームを展開した術者なのだ。油断はできない。
「臆病なのですね。であれば、お仲間を待つ前に逃げた方が利口なのでは?」
サリアがわざとらしくそっぽを向き、広大な空に目をやる。
もうドームは跡形もない。増援は無限に来るし、気まぐれに皇帝や竜人が来ないとも限らなかった。
「女王ともあろうお方が、小賢しい真似をするでやんすね」
「女王は小賢しくないと務まりません」
「いいでやんす。そんな女王が、どんな声で喘ぐのかぜひ聞きたいでやんすねぇ」
わざとつくった隙に乗ってくるほど愚かではないらしく、どころか逃げる気も無いようだ。
もっとも、そんなことはわかっていた。
これでも男という生物の醜い側面を何度も見てきている。エルフをはけ口の対象としたのなら、その頂点にも目が向くのは自然。
そして女王なる存在は、このような状況でもなければアプローチさえ叶わない。
シッコクにしてみれば、今は貴重なチャンスであった。見逃さないはずがない。
「そんなにエルフの女王を味わいたいのですか? 私とてエルフの一人にすぎないのですが」
「わかってないでやんすね。気持ちいいかどうかは文脈でやんすよ。庶民には手の届かない存在を手中に収めて独り占めする――この達成感と背徳感がたまらないのでやんす」
シッコクが拳ごと腕を引く。
そのまま握っていては体勢を崩されてしまうため、サリアは素直に離した。
「
刹那に等しい高速詠唱により、シッコクの肘のそばに大気の壁が出来上がる。
引いた勢いのままこれにぶつけて猛烈な反作用――推進力を得ながらも、シッコク自身の腕力も上乗せされた拳が再び飛んでくる。
詠唱速度の練度から見て、必殺技を繰り出してきたと見ていい。
幸いにも見抜けないほどではなかった。
これを交わして、カウンターを撃ち込む攻撃パターンは既に何種類も思い浮かぶし、選択に迷うほどの余裕さえあった。
サリアは上体を捻って超速の拳を交わしつつ、肘を目がけて掌底を打つ。
外側から押しつける角度である。耐えきれないなら折れるしかないし、折れないほど防御力が突出しているとも思えない。
折れれば反応に出る。反応が鈍る。そうでなくとも、この腕のパフォーマンスが落ちる。
サリアにとって有利に事が運ぶのは違いなかった。
そうなれば分が悪いシッコクは逃げだそうとするだろう。逃げる者は追いやすい。リアクショナーとしてもやりやすい。
サリアは瞬時にそこまで読んでいたが――
「な……」
肘に打ち込んだ掌底の勢いが、嘘のように殺された。
込めたパワーを一瞬で吸い取られたかのような、不自然な体験だった。
無論、この状況下ではわずかな隙も許されない。「うっ!?」下腹部に手指の突きを叩き込まれてしまう。
空高く吹き飛びながらも、サリアは現状理解に努める。
機能不全と骨折は免れたようだが、激痛と痺れが発生している。装着中のバトルドレスの股布部分は破れており、その先の下着――貞操帯としても機能していたオリハルコン製の防具まで砕かれている。
「力が往復していたわね……」
相応のパワーを一度にぶつけられた様子ではなかった。
ほんの一瞬だが、何段も後から重ねてきたような作用があった。
「別に隠しているつもりはないでやんすな」
「……ゲートも使えるのですね」
上空にもかかわらず、もうシッコクが追いついてきた。
正確に軌道を読んだ上、難しいとされる空へのゲートを決めてみせるとは、強敵も良いところだ。
シッコクが連打を繰り出す。
そうかと思えば、伸ばした腕や足を戻すことなくそのままスライドさせてくる――
素人でもしないような滑稽な動きだが、当たればさっきの二の舞だろう。サリアは格闘術としての回避ではなく、風魔法で身体ごと動かして避けねばならなかった。
「王女と同じ避け方をしやがるでやんすね」
娘の避け方を知っている――ということは自分を吹き飛ばした後、戦ったのか。
ここに来ているということは倒したのか。それとも歯が立たなくて逃げたか。
「揺さぶりは通用しませんよ」
「股間には効いているでやんすな。そんなにうずうずしなくても、すぐに入れてあげるでやんす」
シッコクがいきり立った男性器を突き出してくる。何気に汁も出ていて芸が細かい。その不快感と、攻撃としての意外性には惑わされそうなものだが、今のシッコクは言わば全身凶器。
部位を特別視せず、とにかく避けるしかないと既に悟っていたサリアは、的確に避けることができた。
サリアは飛行魔法を切り、目の前の回避に専念する。
二人が生み出す
それでも落ちることはない。エアーノイズにより、風に舞う葉のようにたゆたっているからだ。
この浮き方には癖がある。
慣れていなければ身を任せることができず、風魔法で強引に御しようとして隙をつくるものだが、シッコクは適応してみせた。
場数も相当踏んでいると思われる。経験不足は期待できまい。
「……貴方の武器はわかりました。身体の一部を
そうしている間にシッコクの能力にあたりをつけたサリアは、早速答え合わせをして揺さぶりをかけるも、「
吸収面に触れれば、かけていた力がゼロになる。肘への掌底を食い止められたのはこれのせいだ。
一方、オリハルコンの貞操帯を砕いた時には反発面を使ったのだろう。
決して壊れない物質は、加えられた力の全てを漏れなく返せる。たとえ最硬のオリハルコンといえども、そんな底無しの硬さをぶつけられてしまっては力負けする。
「そんな大層な能力――竜人が黙っていませんよ」
「そうでやんすね」
ジャースを御する天上人、竜人の名を出してもシッコクが怯むことはない。
竜人族が持つ基準にも精通しているのだろう。実際、未だ彼らが様子を見に来る気配はないし、この程度では来ないだろうことはサリアもわかっていた。
「勝ち目がないとわかったでやんすな? おとなしく股を開くでやんす。浮かべる顔は羞恥でやんす? それとも憤――」
ぷっとサリアが何かを吐いた。
それは一直線に飛んでいき、シッコクの眉間を貫通した。
それの勢いは第一級の肉体を貫いてもなお衰えず、彼方にまで飛んでいき、すぐに見えなくなった。
オリハルビーム――。
オリハルコンのかけらを高速で射出するスキルである。サリアの場合、口内から撃つ行為の修練を経て
使ったのは入れ歯だ。ある程度激しく動き続けたときに緩み始めるようにセットしてあった。
門外不出の、出来れば一生使いたくない必殺技であったが、虐殺も厭わず竜人の機微をも知る実力者は厄介だ。
生かしておけば、今後何年何十年とジャースに不幸を注ぐに違いない。
一人の母親として。
エルフの女王として。
そして
サリアはカードを切ったのだ。
脳という司令塔を壊されたシッコクの身体が停止する。
それは間もなく健康的な血を
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