第176話 包囲

 ストロングローブの幹から幹へ、枝から枝へと経由しながら、俺はとにかく二人から距離を取ることに専念する。


(クロ。このスピードでもアナスタシアの容姿は維持できるか?)


 心臓の左部分がぎゅっと圧迫される。肯定の返事だ。

 今現在、俺はアウラから逃げている時に近い水準を出しており、音速を軽く追い抜く負荷下で生きているわけだが――レベル90のクロには杞憂だったか。


(容姿の維持に全力を費やしてくれ。アナスタシアはエルフじゃなかった、とバレるわけにはいかない)


 クロへの情報共有も兼ねて、もう一度整理しておこう。


 俺はドームを維持しているであろうグレンを叩くと舵を切ったわけだが、情報が足りなかった。

 ジーサのままでは何かとやりづらいためエルフに扮し、ルナとスキャーノに近づいた。留学生なら手厚く保護されるだろうし、情報も集まると考えたためだ。


 実際、グレンが川に入ったという情報が手に入った。


(ルナはアルフレッドの第一王女だ。近衛という護衛が密かについている。グレンの行動を見破ったのも、その近衛から教えてもらったんだろう)


 あえて呟くことでクロへのインプットを行う。新入りのクロは、俺が知っていることの大半を知らないだろうからな。

 説明自体は雑でいいだろう。ダンゴが共有してくれるはずだ。


(アナスタシアとしておんぶを提案したのは、俺自身を守るためだ。近衛はエルフにも存在も悟らせないほどの実力者だが、シッコクなら気付けると考えたんだ)


 シッコクは第一級クラスの強さを持っている。しかし近衛を打ち破れるほど強くはない――

 俺はそう踏んだ。

 いや、願望だったのかもしれない。

 近衛さえ負かすほどの実力者は、それこそブーガみたいな存在に限られる。そんな怪物には最初から勝てやしない。考えるだけ無駄だ。


 幸運にも俺の仮説は当たってくれた。

 シッコクが留学生に手を出さなかったのは、ルナのそばに居座る強者を警戒してのことだ。


 だったら、俺もその中に入ってしまえばいい。


(シッコクは俺を買いかぶってくれてるが、いつ見破られるかはわからなかったんだよ)


 真面目に攻撃されでもしたら、俺に大したステータスがないことなどすぐに露呈する。無敵であることもバレるだろう。

 そうなれば最後、すぐに封印に転じてくるはずだ。


(いつやられてしまうか、俺は気が気じゃなかった)


 近衛という傘に入ればいい、と気付けたのは運が良かった。


 ユズと過ごした時の記憶――あの幼い体躯の体温と生々しさはまだまだ新鮮である。

 接触していれば、ブーガの猛攻さえも防げるのだ。


(しっかし、まさかスキャーノに疑われるとはなぁ。シッコクが余計なこと喋りやがるからだ)


 二人の口喧嘩は正直もっと見たかったが、あのままでは嫌疑がアナスタシアにも向いてしまう。というわけで、強引だが逃げることにしたのだ。


(スキャーノはルナを追及するのに忙しい。リンダ達もしばらくは指揮やら戦闘やら慌ただしい。今がチャンスだ。川に潜るぞ)


 もう情報は集まっている。

 あとは川に入ってグレンを探すのみ。


 俺は深森林を縦横無尽に移動しつつ、誰にも見つからない隙をうかがった。

 そんなに苦労するとは思ってなかったのだが、


「アナスタシアさん。どこに行かれるようで?」


 スキャーノの声が耳に

 振動交流だが、ずいぶんと速い。音速より速く届かせているというわけか。


(容姿の維持。頼んだぞクロ)


 速いと言えば、その判断と行動力もか。

 あれだけルナに執着しておきながら、こうしてすぐにアナスタシアに切り替えてくるとは――。


(まずいな。だいぶやりづらいぞこれ……)


 シッコク相手以外で戦闘が始めること自体がそもそも怪しい。怪しんだエルフ達にわらわら集まられては、為す術がなくなってしまう。

 何たって川に入る場面は誰にも見られるわけにはいかないからな。エルフ全員の目をかいくぐるのは不可能だろうし、リリースで皆殺しにするわけにもいかない。


 加えてスキャーノは、獣人領に侵入した俺と対峙している。

 直接戦闘したのはアウラだが、動きの一つや二つは見られているはず。俺の全力な逃走が見られたら、あるいは川に入る場面を見られたら、あの時の侵入者だと結びつけられてしまう恐れがあった。


(エルフ達に気付かせず、スキャーノにも悟らせずに、俺は距離を取らないといけない)


 特に空間認識まわりで非常に忙しい仕事と言えそうだ。

 文字通り全神経を総動員しなければならないだろう。


「なんで逃げるの? やましいことでもあるのかな?」


「ちょっと話そうよ」


「ルナさんのことで、何か知ってるよね?」


 跳びまくり、走りまくっても、スキャーノの声が途絶えることはない。

 ぺらぺら喋り続ける様はヤンデレっぽくて気味が悪いが、コイツの作戦だろう。すべて無視だ。意識すればするだけ身体のパフォーマンスが落ちる。


 しかし、意識だけで意識をシャットアウトすることはできない。

 人間は自動的に刺激に反応するようにできている。これを防ぐのがいわゆる禅とか悟りとか瞑想といった、あの辺のジャンルだが、素人にできることではない。

 第一、逃走しながら行うなどお釈迦様でも不可能だろう。


(クロ。俺の耳を塞げ)


 直後、耳にセメントでも流し込まれたかのような感覚に襲われた。

 石化状態の時と似て……はいないな。呼吸や鼓動はダイレクトに響いてくる。


 一方で、外からの音はスキャーノの声含めて一切聞こえなくなった。

 聴覚という情報源がなくなるのは痛いが、どうせ音は遅くて役に立たない。視覚でカバーすればいい。


(行く、ぞ)


 蹴った分だけ力を返してくれる超硬の幹を蹴る。

 加減はまだしも、角度は一ミリの誤差さえ許されないから厄介だ。

 音速を追い抜く世界にもなると、インプットの微差は馬鹿みたいな大差となってアウトプットされる。

 空を跳べない俺は遠く離れた幹を、枝を、正確に経由していくことでしか高速移動を実現できないわけだが、ミリのずれが幹一本分以上のずれになるのだ。


 ストロングローブは硬い。

 誤った着地の仕方をすれば、たちまちあらぬ方向へと吹き飛んでしまう。空にでも飛び出そうものなら、飛べない俺は慣性に従うしかなくなる。

 一応、全力で腕や脚を振ればある程度は殺せるものの、飛行するエルフ達やスキャーノの機動性には勝てない。


(正確に蹴ればいいだけなんだけどな)


 幸いなことに、俺はそこそこレベルが高いようだ。

 バグっていて集中力も底無しだし、どういうわけかこの手の空間認識と身体制御も理不尽にお手の物。スキャーノの小細工もさっき遮断した。


 幹の凹凸も、空気抵抗も、全部が手に取るようにわかる。

 人間業では到底ないし、前世の機械で制御できる次元でもないが、紛れもなく現実だ。

 これが今の俺のパフォーマンスなのだ。


 負ける気がしなかった。


 現にエルフ達の気配は遠く、スキャーノのそれもなくなっていった。


(クロ。耳は解除しろ。それと川に入るから避難の態勢を整えろ。あと五秒で川に入る。問題はないな?)


 視覚が戻りつつ、肯定も返ってきて、『シェルター』を開くためにさあゾーンに入ろうかと意識を集中し始めた、そのときだった。


「アナスタシア様。お待ちください」


 数人のエルフが空から下りてきた。

 上品な息切れと玉汗の浮かぶ肌が絶妙な艶めかしさを放っている。所作は丁寧なくせに、戦闘の構えを崩していない。


(五秒後の侵入は撤回する。いつ入ってもいいように備えてはおけ)


 クロに指示を出しつつ、考える。


 なぜだ。なぜ俺の元に来る?

 お前らの相手はシッコクだろうが。


「くっ……」


 幹の一本に着地した俺だが、もはや次の跳躍はできない。軌道がすべて封じられている。

 俺のパワーなら突破できそうだったが、エルフを傷付けてしまえばもう弁解の余地はない。実力行使は避けたい。


 俺が迷っている間も、次々とエルフが集まってくる。

 ちょうど樹冠が伐採されたエリアなのが幸いして、空が見えた。


(あれは雷、か……?)


 今の俺をもってしてもコマ送りにしか見えない、電気の線が走っている。


 雷魔法か? いや、そんなはずはない。

 俺の認識では、雷魔法も前世でいう雷ほどの速度は出ない。魔法の仕様なのか、ダメージを込めれば込めるほど重さが生じる。ゆえに遅くなるのだ。

 アウラの魔法でさえそうだったじゃないか。


「留学生の護衛を放棄した件について、スキャーノ殿が説明を求めています」


 とうとう俺は包囲されてしまった。

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