第175話 中宴5

「シッコクが言っていた『それ』とは何なんですか?」


 シッコクはなぜ自分達を犯さないのか。


 人間は性欲の対象にはならないからか。そうは思えない。

 人はどの種族であっても、どの種族にも欲情できることが知られている。だからこそ実力者は性の衝動に警戒して早期から対策するのだし、娼館というガートンに並ぶ会社も成立している。


 アルフレッド王国との外交問題を恐れているのか。そうも思えない。

 こんな大事件を起こした時点で、もう世界を敵に回したも同然だ。少なくともエルフは黙っていないし、ドームが解けたら竜人も来るかもしれない。ペナルティだと判断されたら、あとは死あるのみだ。

 今さら人間族の一国を気にする道理などない。


 そう考えると、別の可能性が浮上してくる。


 犯さないのではなく、犯せないのではないか。

 たとえば身の安全を脅かされるような何かを持っているとか。


「とりあえずアナスタシアさんは違いますよね? あなたはせいぜいゼストさんクラスであり、シッコクの脅威にはなりえない」

「根拠を所望」

「もしあなたがシッコクに対抗しうる戦力であるなら、暗躍する立場になどいるはずがないからです」


 情報屋だけあってスキャーノはエルフの事情にも詳しい。

 この種族の弱点として、レベルの高い冒険者の少なさが挙げられる。極端な話、第一級冒険者は女王のサリアしかいない。

 ゆえに、もしシッコクに対抗できるほどの実力者――第一級クラスのエルフがいるならば、王族に近しい中枢に配置するはずである。


「……肯定」


 案の定、アナスタシアは認めるしかない。


(当然ぼくは何も持っていないから、ルナさんしかいない――)


 ルナだ。

 彼女が何かを握っているに違いない。


 アナスタシアはその事に気付いたからこそ、おんぶを提案した。

 自分をルナの近くに居させるために。


 シッコクもまたルナの何かに気付いていたのだろう。

 だからこそ攻めてこなかったのだし、先ほどのアナスタシアとの会話も、ルナの何かに頼り切ったという情けなさを責めていたのだと捉えれば筋が通る。


「ルナさん。どうして黙ってるの?」

「どうしてって……何を言っているのかよくわからないからです」

「ぬけぬけと言うね」

「何がですか。正直言うと、私は平静を保つので精一杯ですよ? 優等生のスキャーノはそうじゃないかもしれないけど」


 これは当たりだとスキャーノは内心で確信した。

 ルナの生体反応は、もう落ち着いている。一般人の平静よりもなお乱れが少ない、生理的に不自然な平静だ。

 いくらコントロールする術に心得があっても、そのバランスが甘ければ意味がない。実戦経験がまだ浅いのだろう。


「ぼくも怒るときは怒るよ」

「さっきから何なんですか? 怒りたいならどうぞ、勝手に怒ってください」

「言っておくけど、ぼくは怒りで自分を見失うほど愚かじゃない」

「そんなことより、早く川の捜索を始めましょう。時間がありません」

「話を逸らさないでよ」

「だから何の話ですか!」


 ルナは上体を捻ると、スキャーノの胸倉を掴んできた。

 アナスタシアから落ちないよう、足はがっつりと絡めている。


「あの変態はまた来ます。さっきはなぜか見逃してくれましたが、リンダさん達が破れたら、次こそ後がありません」


 それまでに打開しなければ犯されるとでも言いたいのだろうか。

 ただでさえ意思の強そうな瞳の中は、わずかに揺らいでいる。


「恐怖でも闘争心でもない、別の動揺が見えるよ。眼は嘘をつけない」


 反射的に逸らすルナ。そのまま上体も戻して、「アナスタシアさん。行動を開始してください」などと言っている。


 アナスタシアは足場から飛び出し、ストロングローブの幹に着地した。

 ちょうど川面と水平になるように幹に立つ。相当な握力が幹に加えられているのをスキャーノは後ろ目で目の当たりにした。

 獣人のように縦横無尽に動く能力はありそうだ。捜索は一任していい。


「ルナさん。こっちを見て」


 ルナの華奢な肩を手を置き、半ば強引に振り向かせる。

 彼女はなおも目を逸らしてくれる。


「そろそろちゃんと話してくれないかな」

「しつこいんですけど。いいかげん、私こそ怒りますよ?」


 冒険者は各々事情を抱えているものだ。

 たとえ友人であろうと、隠し事の一つは二つはある。その事自体はさして問題ではない。スキャーノ自身、性別を偽っているのだから。


(知りたい……。知りたいんだ)


 優等生としてちやほやされてきたスキャーノだが、そんなものには何の価値もなかった。

 上司であるファインディに、第一級の魔法師であるアウラ――あの人達が見ている世界と比べれば、自分など赤子にもなりやしない。


 しかし、格下であるはずのルナは、自分を何度と唸らせてきた。

 今も自分だけが蚊帳の外にされている。


 レベル差を埋めることのできる何かが、ある――。


 情報屋ガートン職員の好奇心が。

 第一級に憧れる冒険者の血が。


 ルナが持っている『何か』を決して逃がすなと。

 そう叫んでいる。


(捜索はアナスタシアさんに任せる。ぼくはルナさんを暴く)


 実力行使も厭わない、とスキャーノが判断した時のことだった。


「――え?」


 アナスタシアが跳んだ。


 その手はルナを掴んでいない。どころか跳躍前に自ら手を解いたのが見えた。

 加速の次元も違う。同乗者の耐久性を無視した、全身全霊の飛び出し――


 喧嘩する二人を放置したのだろうか。

 自分達を守るのが目的なのに? 決して離れるなとおんぶまで求めてきたのに? 律儀なエルフの、それも特殊部隊ほどの人材なのに?


(いや違う!)


 逃げたのだ。


 そもそも幹に移動したのも、逃げるための下準備――しっかりと踏み込みを乗せるためだとしたら?


 アナスタシアは最初から逃げる算段を立てていたことになる。


(怪しすぎる)


 思えばシッコクはアナスタシアの方に一目置いていた。


(ルナさんじゃない。いや、ルナさんのも気になるけど、こっちの方が重大だ!)


 レベル47では、このアナスタシアによる風圧には耐えられまい。実際、川に落ちそうになっていて、助けなければバーモンの餌食になる。

 もっともスキャーノの仮説が正しければ、どうせ生きる。

 それにルナは同級生だ。ここを生きて出られたのなら、その『何か』を探るチャンスはいくらでもある。

 ルナは無視することにして、


「うあああああっ!」


 雄叫びをあげるスキャーノ。


 人は叫ぶことで潜在能力をより引き出すことができる。

 品が無い割には隙が大きいため一生使うつもりはなかったが、もうアナスタシアとの距離差は大きい。全力を出さねば追いつけない。


 王立学園の今年度の首席でもあり、ガートンの敏腕職員でもある実力者レベル88の、爆発的なロケットスタートが放たれた。

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