第174話 中宴4
「私の展開は、強い。でも広さはない。守護対象を近くに置く必要、ある」
「おんぶする意味がわからないんですけど。隣を歩くのではダメなんですか?」
「肯定。それでもまだ広すぎる。私は、とても狭い」
「スキャーノはどう思いますか?」
守護というと、一般的には魔法を使う。
相手の攻撃にぶつけて相殺したり、壁をつくって防いだり、中はステータスを一時的に改変したりすることもある。
身体を張って防ぐやり方もないことはないが、アナスタシアが言うように干渉できる範囲が小さすぎる。極端な話、周辺全域に注ぐ広範囲魔法は、物理的には防ぎようがない。
「近接に自信があるんだと思う」
「私もそうだとは思いますけど、相手はエルフですよ?」
魔法に長けた種族ゆえに、魔法を防げねば意味がないと言いたいのだろう。
「手の内は明かせない。でも、守る。必ず」
「そんな恐ろしい目で睨まれても説得力ないです」
「……ぼくは、信じてもいいと思う」
リンダやモジャモジャにも伏せられていたエルフの特殊部隊。それほどの存在が、何の根拠も無しに断定などすまい。
無論、きちんと説明することもできるのだろうが、その時間さえ惜しいとしてリンダへの説明を省いたのがついさっきのこと。
膠着していた状況を半ば強引に進めてみせたアナスタシアは、スキャーノには頼もしく映った。
どうせジリ貧なのだ。だったら、リンダがそうしたように、さっさと協力するのが手っ取り早い。
「冗談ですよね……」
ルナの婉曲な制止も聞かず、スキャーノはアナスタシアの背中に乗る。
体躯は細いが、エルフの精鋭らしく筋肉質だ。
肝も据わっているようで、こうしてゼロ距離で密着されても一切の反応がない。
体臭も一段と抑えているらしく、鼻が利くスキャーノでも無臭だと評しそうなほどに薄かった。
「死体みたいだよ」
「大丈夫なんですかそれ……」
強引な進行の甲斐もあって、ルナも渋々乗ろうとしたが、「順番が逆」アナスタシアがスキャーノを吹き飛ばした。「
衝撃波が辺りを揺らす。
髪と制服をたなびかせながらも、ルナは表情でため息をついていた。下着まで見えてしまっているが、劣等感の前にはそんな羞恥など無力らしい。
風圧が収まった後、改めてルナ、スキャーノの順にアナスタシアに乗った。
つまりアナスタシアがルナをおんぶし、ルナがスキャーノをおんぶしている格好となっている。
「どうせ私は雑魚ですよーだ」
先の吹き飛ばしから察するに、アナスタシアのレベルはスキャーノと同程度以上と考えられる。仮に同等の88だとしても、ルナの47とは大差。
弱者のルナをカバーする態勢が必要であり、こうして挟み込むことで対処したというわけだ。
アナスタシアはルナの両足を掴んでいる。その後方、ルナはスキャーノの両足を掴んではおらず、両手をアナスタシアに回していた。
そうなるとスキャーノは必然、自分から抱きつくことでしかルナを固定できない。
「ルナさん。良い匂いがするね」
「襲ったら殴りますよ。揉んでも撫でても
「そんなんじゃないってば」
「何あたふたしてるんですか」
雰囲気を和らげる意図も込めて、友人のノリでじゃれたつもりだったが、スキャーナはともかくスキャーノという仮面は男である。
軽率すぎたなと焦るのだった。
「グレンが飛び込んだ地点を所望」
アナスタシアが早速走り出した。
景色が音よりも速く流れていく。二人分の重さと体積を感じさせず、乗っているスキャーノにも揺れを感じさせない走り方は、秀逸の一言に尽きた。
一体どれほど鍛錬すれば、これほど繊細で安定したパフォーマンスを発揮できるのだろうか。
「……ルナさん?」
正確な地点を知るのは観測者のルナだけだが、答える様子がない。
会話は
「アナスタシアさんは、ぼく達を抱えた状態で動く練習をしてるんだと思う」
「そんなことはわかってます」
「……何か気になるようで?」
ルナはアナスタシアの後頭部を睨んでやまない。かといって猜疑のオーラをぶつける様子もない。
まだ外には言えないことで、しかしアナスタシアに関する何かがひっかかっているといったところか。スキャーノにはまるで見当がつかない。
ルナは「案内します」スキャーノの問いを無視して、誘導し始めた。彼女の横顔が晴れることはなかった。
程なくして、グレンを見失った地点に到着する。
「再現しますね」
そう言うと、ルナは土魔法と水魔法を駆使して粘土をつくり、さらに風魔法でこねて人型にした。
おんぶ状態なのに、器用なものだ。
「私が蹴った後、グレンはこのように倒れていました」
人型粘土がゴミのように投げられる。頭と首はひしゃげているが、位置と体勢はスキャーノの記憶とも合致する。
「うん。ぼくも覚えてる」
「このグレンは、ダミーでした」
「ダミー……?」
「偽物だという意味ですよ」
「意味は知ってるよ。ちょっと想像がつかなくて。幻影ってこと? エルフを騙せるとは思えないけど」
幻覚をもたらす手段は色々とあるが、それでも冷静な冒険者を騙せるには至らない。感覚に優れたエルフ相手ならなおのこと。
「このダミーを維持したまま、グレンは川に入りました」
川に入るまでの過程は粘土では示さないらしい。
示せば自分の秘密――スキャーノはレアスキルだと見ているが、そのヒントを与えてしまうとルナは考えたのだろうか。
「着水の地点を所望」
「……わかりました」
アナスタシアは淡々とグレンの痕跡を追っている。表情も声音も全く変わらないから、何を考えているのはわからない。
「あそこです」
足場の端まで移動した後、ルナは土魔法でつくった石を川面に撃った。
深森林の川は沼のように不透明で、中の様子をうかがうことはできない。魔素も含まれていないらしく、魔法を通すことも叶わない。
今は飛び出してこないようだが、バーモンもいる。第一級冒険者の防御力さえも崩す怪物が、それはもうようよといるらしい。
「アナスタシアさん。どうされるようで?」
「アナスタシア? 聞かない名前でやんす」
「ッ!?」
振動交流だった。
音声のねじ込み方が群を抜いている。速くて、正確で、何より重い。第二級程度の精度では到底無い。
まるで耳元でささやかれているかのようで、スキャーノは思わず耳を押さえてしまった。
直後、後方から隠しもしない豪快な着地音が響く。
(ゼストさんもやられたか……)
「気に入ったでやんす――アナスタシアちゃんとやら。ルナちゃんから離れて、こっちに来るでやんす」
特に男性は実力を誇示したがるものだが、それほど単純ではないということか。あるいは善戦に見えてその実、弄ばれていたのかもしれない。
いずれにせよ、シッコクの手強さをまた一つ痛感するしかなかった。
「……否定」
「どうしたでやんすか。人間の二人がお気に入りでやんすか? 外交問題になるでやんすよ? それとその顔、もっと見せるでやんす」
相変わらず素っ裸のシッコクは、己の下腹部に手を伸ばしていた。「最低……」何をしているのかルナは思い至ったようで、醜いモンスターを見るような嫌悪感を浮かべている。
アナスタシアも逃げるつもりはないらしく、二人分をおんぶしたまま堂々と向かい合う。
「よく出来ているでやんすね。普通に犯せるでやんすよ」
「……」
「拙者ではそこまでできなかったでやんす。どうやって制御しているか、気になるでやんすね」
「……」
珍妙な光景だというのに、シッコクは触れてこない。
どころか会話の節々にどうにも違和感、いや疎外感がある。アナスタシアも余計な雑談はしないタイプで、無言を貫いているが、どことなく押されているようにも見えた。
「犯してみたいところでやんすが、やめておくでやんす。中々賢い立ち回りでやんすね。てっきりそれに頼らずともやっていけると思っていたでやんすから、意外でやんす。攻撃に特化しているでやんす?」
「さっきから何を……」
ルナはシッコクが何か答えてくれることを期待して呟いたのだろうが、シッコクにその様子はなさそうだ。
彼はただただアナスタシアを見ている。まるで警戒しているかのように。
「拙者としてはそれでいいでやんすよ。それに頼っている限り、アナスタシアちゃんは安全でやんすが、打開もできないでやんす。こんなところでリスクは犯せないでやんすからね。平和が一番でやんす」
絶えず右手も動かしているシッコク。何をしているのか、スキャーノもようやく思い至る。
(自慰行為を見せつける変態。いや、これは……)
盤外戦術だ。
シッコクは生理的な嫌悪感を示すことで、相手の平静と集中を阻害しようとしているのだろう。
――変態への耐性無き女は脆いのです。というわけスキャーナ。娼館で鍛えてみませんか?
上司の言葉を思い出す。
もちろんその申し出は即行で断ったが、こういうことを言っていたのかとようやく理解できた。
同時に、同じような態度を取り続けていたクラスメイトが脳裏に浮かぶ。
いちいち真に受けていた自分が今となっては恥ずかしいが、もっと冷静に、一歩引いて見ておけば何か気付きがあったのかもしれない。
(ジーサ君、無事なのかな……)
「打開しないことを祈っているでやんす」
間もなくシッコクが果てる。
汚れた手指を見せつけてきて、「舐めるでやんすか?」などど言ってくるが、アナスタシアと同様、無反応を決め込む。
ルナも要領を得ているようで、身体反応も平静そのものだった。
「つまらないでやんすね。まあいいでやんす。そろそろ
目にも留まらぬ水魔法で白濁の汚れを消した後、シッコクは飛び去っていった。
「時間がない。行動再開」
シッコクが見えなくなる前に、アナスタシアはもう動こうとしている。
猶予がないとする見解は同感である。
リンダによる作戦変更――ドームを攻撃していた大部隊を川の捜索にあてる件は、既に知られているはず。シッコクはそこに切り込むと考えられる。今まで以上に激しい戦闘が繰り広げられるだろう。
「とりあえず、着水地点の周辺を捜索」
「お願いします。急ぎましょう」
ルナも異論は無いらしく、高速移動の加重に備えてぎゅっとしがみつく。
その仕草には、先の平静にはない焦りがほんの少しだけ滲み出ている。小さな違和感だが、見過ごすスキャーノではなかった。
「待ってください。搜索の前にやるべきことがあるようで」
盤外戦術――余計な情報を無視した先に、何が残るか。
「ルナさん。アナスタシアさん」
――てっきりそれに頼らずともやっていけると思っていたでやんす。
「先ほどシッコクが言っていた『それ』とは何なんですか?」
自分が抱いていた疎外感の糸口に、スキャーノは手を伸ばす。
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