第6話 シニ・タイヨウ
(112323、112324、112325――)
石化した俺はただただ秒を数えていた。
こうでもしなければ正気など保っていられなかった……というのは嘘で、単に検証を兼ねて暇を潰しているだけである。
人の往来は日に数回程度。小丘の上で石化した俺に気付くはずもなく、助かる望みが無いのは明らかだった。
退屈は人を殺す。
ただひたすら穴を掘り、それを埋める作業を繰り返させる拷問もあるくらいに、人は無意味な過ごし方に耐えられないようにできている。好んで死のうとする俺ならなおのこと。
にもかかわず、俺は平静を維持できていた。
どころか頭が疲れる様子さえなく、一睡せずに国語辞典を読み切れる気さえしてくる。実際できるのだろう。
少なくとも今、俺は全く寝ていないし、
(112340、112341――)
こうして三十時間以上、秒を数え続けることもできている。
……はぁ、さっさと死にてえんだがな。
生き地獄が現実になりやがった。
あの時、クレーターから這い上がらずにやり過ごしていたら、あのおっさん執事に気付かれることもなかったんだろうな。失敗した。
と、たらればの一つも言いたくなる。
いや既に十回は言ってるけども。もちろん胸中でだ。口も喉も相変わらず一ミリも動かせやしない。
いいかげん飽きたので、数えるのは112350秒でやめた。
その時だった。
ぬっと何かが視界を覆った。
ぼた、ぼたと垂れているのはよだれか。酸性が強いのか、垂れた先の地面から煙が噴いている。
口と舌は大きく、青白くて、人など一息に丸呑みできるだろう。
ヘビだった。
太さだけでも二メートルはあり、長さはよく見えないが、間もなく視界のすべてが鱗で覆われた。うねうねしてて気持ち悪い。
そいつは俺を飲み込むわけでも締め殺すわけでもなく、舌でつっついたり舐め回したりしてきた。
べろりと目を舐められる。
角膜に唾液を塗りたくられたような、そんな不快感――がある気がする。石化していてわからない。
その石化だが、解除される兆しはまるでない。地面さえ溶かす酸の強さも無意味のようだ。コイツもそんな物珍しさを楽しんでいるのかもしれない。だから目を舐めるのはやめろ。
そうしてしばらく好き放題に――主に目ばかり舐められていると、進展があった。
ヘビが俺から離れたと思うと、急に暴れ出す。そのパワーは大地が揺るがすほどで、俺も吹き飛んでいた。空や雲の見え方からして、百メートルは飛んだか。
落ちた先は道だった。
馬車も通っていたところで、砂粒が見えている。そばには馬だかなんだかが出したと思しき糞――。無論、目を閉じることはできない。
……え? これなんてイジメ?
日が経っているのか、乾燥しているのが幸いだった。
諦めて馬糞らしきものを鑑賞している間も、しばしば地面が揺れた。
あのヘビは何をしている? モンスターの心理などわかるはずもないが。
たっぷり二十分くらいは鑑賞しただろうか。
思わぬ形で答えが示された。
「お怪我はありませんか?」
ただの女声なのに妙に優しく聞こえた。
いつの間にか石化が解除されている。俺は汚物から目を逸らし、身体を起こしつつ顔を上げると。
魔法使いだろうなという格好のボブカットな女性が、俺を心配そうに覗き込んでいた。その視線がちらりと下にずれる。すいません、裸なんですよ。
「ご無事のようですね。良かった」
大人な対応で助かる。少し顔を赤らめているのが可愛らしい。よく見ると童顔だ。二十歳も行ってなさそうだ。
あとピンク色の髪って初めて見たぞ。フィクションではよく見るが、現実で見るとチャラさ百倍。相殺してプラマイゼロといったところか。
「本当に大丈夫かい? 無傷なのが正直信じられないんだけど」
彼女の横から出てきたのは……剣士だろうか。
背中に大きな剣を二本背負っている。金髪で、有り体に言ってイケメン。好青年というか優等生な雰囲気が眩しい。
手を差し出されたので、素直に取ってみると、ぐいっと一息で起こしてくれた。
「君はどうしてここに? 裸なのも何か理由があるのかい?」
天界から転生してきました、とは言えないよなあ。
まだこの世界のことはわからない。迂闊なことは喋らない方が良い。
「……その、助けていただいて、ありがとうございました」
まずは感謝だ。頭も下げておく。さすがに通じるよな。
「ふふっ。どういたしまして」
「当然のことをしたまでさ。……言語機能に問題は無さそうだね」
魔法使いの方はなんというかおっとりしているが、金髪剣士は俺を訝しんでいるようだ。
「行き先は王都かい? 良かったら送るよ?」
「はい。お願いします」
しれっと嘘をついてしまった。他に行き先もないし、仕方ない。
「せっかくだから歩こうか」
「そうですね。たまには歩きましょ」
二人揃って歩き出す。方角は王都――遠目に見てもわかる城壁の方だ。
……え、歩くの? 軽く十キロメートルはありそうですけど。
慌ててその背中を追いかける。
「君の名前は?」
クロスソードな背中が尋ねてくる。向こうから名乗る様子はなく、それがさも当然のような雰囲気があった。
礼儀を欠いた人柄でもないだろうに、と考えて、ピンと来る。
「あの、すいませんが、お二人のお名前からうかがっても?」
「……なるほど。記憶喪失か」
「そうかなぁ? 記憶喪失って自分の名前や過去の出来事を忘れるものだと思うけど」
二人があーだこーだ推測している。俺の出生については有耶無耶にすませたいところだが。
「――まあいい。こんな経験も久しぶりだしね」
「ですね」
二人が立ち止まり、くるりとこちらを向く。
「僕はラウル。
「アウラと申します。
第一級というと最高ランクだろうか。実力者なのは間違いあるまい。それこそ知らない人がいないくらいの。
……さて、あまり時間稼ぎできなかったな。どう名乗ろうかしら。
「それで、君の名前は?」
金髪イケメン剣士、もといラウルが早速急かしてくる。
「……シニタイヨウ。俺はシニ・タイヨウという者です。タイヨウと呼んでください」
クソみたいな名前になってしまった。太陽とか完全に名前負けである。
ちなみに『死にたいよう』から取った。一応アクセントも変えてあるが、願望だだ漏れすぎて恥ずかしい。
そうです。思いつきの行動は黒歴史を生みます。
「タイヨウさんですね」
「シニ、タイヨウ……? 聞き慣れない名前だな」
「あ、はは……」
何とか愛想笑いで誤魔化しきることができ――俺は二人とともに王都に向かうこととなった。
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