第5話 生き地獄

 魔王はずいぶんと手加減してくれたらしい。

 おそらく高度一万メートルは超えているであろう上空から投げ飛ばされた俺は、墜落地点にそびえ立つ大木が見える頃にはすっかり減速していた。


 体を淡い光が包んでいる。何らかの魔法が施されているのだろう。

 それでも速度はかなりのもので、いわゆる終端速度――時速二百キロメートルは出ている気がする。


 大木がみるみる近づいてきて……ってでかいな。タワーマンションくらいはあるぞこれ。

 容赦なく突っ込んだ。視界が暗くなり、ガサガサバキバキと耳障りな音に襲われる。

 間もなく、ずどんと地面を抉った。砂塵が舞う。


 すぐに起き上がり、視界不明瞭の中、自らつくったクレーターを手探り足探りで登っていく。

 途中、数回くらい転げ落ちて頭を打ったが、もちろん痛みなど無い。


「さてと、どうするかな」


 思い切り息を吸って砂塵を取り込んでも何ともないな、などと思いつつ大木を探り当て、もたれながら待つことしばし。

 景色が拓けてきた。


「……ああ、そうだった」


 俺はまだ裸だ。


「どうすんだこれ。追いはぎでもすればいいのか」


 平然と犯罪的な思考に走ったのは見なかったことにして、とりあえず辺りを見下ろす。ここは丘のてっぺんになっているらしく、遠くまで見渡せた。

 ……城壁っぽいのがあるな。あれだ、三国志のフィクションに出てくるようなバカでかい壁。

 他に目印もないし、行ってみるか? でも捕まって牢屋にぶち込まれるのも嫌だよなぁ。退屈は敵である。


 かといってここで待っていても進展はないだろうし、人が通りがかる気配もない。


「いや、何か来てる」


 しばらく待ってみると、いかにも大貴族ですと言わんばかりの馬車群だとわかった。中央の馬車は一際高く、遊園地のパレードを想起させる。

 華やかなドレスに身を包む金髪の女性が優雅に座っていて、その手にはティーカップが握られていた。

 よく見ると椅子は人間だ。四つん這いをした男の背中に、彼女が座っている。


 見つかったら面倒くさそうだ、とクレーターに隠れようとしたところで、


「頭が高い。平伏したまえ」


 そんな声が頭に響いてきた。渋い声だ。

 同時に数字が流れ込んでくる。何か負荷をかけたのだろう。魔法だろうか。周囲には誰もいないが……。


 改めて馬車群の方をうかがうと、こちらに向かって何かが飛んできていた。

 よく見るとそれは人だった。

 もっと言うと白髪、白髭、タキシードのおっさん。


 おっさんは勢いを落とさないままくるりと回り、天に足を伸ばしてピンと張る。


「ああ、かかと落と――」


 正解らしく、お手本のようなかかと落としが俺の脳天に直撃。

 意外と威力は抑えられているらしく、数字の増加も軽微だった。たぶん鈍器で殴られたくらい。


 それでも俺を地に伏すには十分で、「ぶっ」顔面から地面に突っ込んだ。汚ねえな。いや今さらか。


「無礼者には制裁を」


 首根っこを掴まれ、ぐいと引き上げられた。というか体ごと持ち上げられた。ずいぶんと力持ちなことで。


 改めて見ると、やはりおっさんだったが、ボディビルダー顔負けの肉体なのが服越しでもわかる。格好は大金持ちの側近という感じの執事だ。顔はいかつく、傷跡も多い。軍曹とか似合ってそうだな。

 そんな執事は俺を睨むと、


「【ゴルゴンの眼ゴルゴンズ・アイ】」


 カッと目を光らせた。今度は何を……ってあれ、体が動か、ない……?

 腕はおろか、指先や目蓋まぶたさえも動かせなかった。気のせいか音も遮断されているような。


 おっさんはというと、顔色一つ変えず、こちらを見向きもせずに飛び去っていく。おい待て、置いていくな。


 ……マジで動かないんだが。

 聴覚も気のせいではなく、耳にセメントを流し込まれたかのようだ。

 せめて自分の体を見ることができれば、何が起きたかわかりそうだが――うん、まあ、想像はつく。


 石化だろうな。


 俺のバグも万能ではなかったということか。普通、防御系のチートなら状態異常にも耐性をつけるだろうに。まあ普通と言うなら、石化すれば心臓や脳もそうなるわけで、意識など保てるはずもないのだが。

 むしろそうしてほしかった。これじゃ生き地獄じゃねえか。


 ……いやいや、まさか、な?

 このままずっと放置、なんてことはないよな?

 冗談にしても面白くないぞ。


 そうか、わかった。この状態で誰かが俺を砕いてくれればいいんだな?

 このバグが中途半端なものであるなら、石化により無敵効果が消えてもおかしくはない。うん、そうに違いない。モンスターでも通りがかってくれたら、すぐに壊してくれるだろう。よし、万事順調――。


 などと現実逃避した俺だったが、そう甘くはなかった。






 放置は五日以上も続いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る