第2話 事務所

 高松市は四国の北東部にあり、都に近いことから「四国の玄関口」と呼ばれている。

 瀬戸内海に面して古より交通の要衝であり、江戸時代には幕府の西日本における重要な軍事拠点のひとつとなり近代では官公庁や大企業の支店の置かれ四国経済の要ともなった。

 港と駅は瀬戸内海に面して隣接し、フェリーや列車が途切れることなく行き来する様は美しくも活気に満ち溢れている。

 街と海は密接に絡み合いその歴史を紡いできた。

 多様な海産物は勿論のこと、瀬戸内海の環境を活かした製塩、豊かな平野に実る米や麦、団扇などの特産品は海を通じて交易され、代わりに多様な文化と新しい富が海を通じてもたらされた。

 街は、海からのプレゼントによって生きてきた。

 そして人も誰かのプレゼントによって生きている。

 しかし身近にあるとその優しさに気付かないことがある、街が時として海の恵みを忘れてしまうように、人も近くにいる人の優しさに気付かないことがある。 

 人は自分の無力さに向かい合った時、初めてその大切さに気付かされる。


 高松市の誇りある象徴として高松城がある。

 瀬戸内海に面したその姿は穏やかな中にも威厳を込め、海の遠くまで睨みをきかせている。

 城は日本でも珍しい海城で、堀は海水で満たされ鯉ではなく鯛が泳いでいる。

 堀での釣りは禁止されているが、そんな不敬を働く者はいない。

 街は、城を起点として奥へとその触手を伸ばしている。

 城から南に数分ほど歩くとアーケード街が始まる。

 日本でも有数のアーケード街だ。総延長2.7Kmは日本一で、日用品からファッション、飲食まで全てが網羅されている。

 アーケード街の入り口にデパートがある。 

 そのデパートは東京に本店がある老舗の支店である。

 開店は昭和6年に遡り、地元で古くから愛されてきた。

 子供からお年寄りまでの様々な想い出と共にある店だ。

 市の誇りある象徴が高松城なら街の繁栄の象徴がこのデパートだ。

 デパートのある高松市の繁華街に向かう時、人々は愛情と憧れを込めて『街へ行こう!』と言った。

 店は今、一番大切な12月の年末商戦を迎えている。

 年間で最大のイベント、クリスマスは5日後である。


 朝7時、店内はまだ眠りを纏った静けさの中にあった。デパート1階の事務所にはブラインド越しに朝の柔らかい陽射しが差し込み、テーブルを挟んで1人の中年男と2人の女性が寝息を立てている。

 皆両手を枕に、額を乗せて幸せそうだ。

 すると男の鼾が急に強くなり、その音で驚かされたかのように目を覚ました。


 宇田川洋介、48歳。一浪して東京の私大を卒業し、入社して25年目。服飾雑貨部門のマネジャーである。

 薄目を開けぼんやりと辺りを見回し、状況を把握しようと努めている。

 やっと焦点が合ってくると何のことはない見慣れた事務所の風景だ。

 しかし状況が極めて不自然なことに気が付くのにさして時間はかからなかった。

『ン! なんだここ。ここって俺の部の事務所じゃないか。なんで? なんで俺がここにいるんだ。昨日ここに泊まったのか? まさか……』

 少し気持ちを取り直して廻りを見渡すと、二人の女性が宇田川と同じ様な姿勢で寝息を立てている。

『なんだ、茜に京子じゃないか。なんでこいつらまでここにいるんだ? 思いだせねェーなぁ』

 二人は宇田川と同じ売り場のメンバーだ。

 どうしたものかと悩む。

 よく寝ているので起こすのも気の毒な気もするが、この不自然な場面の共演者でもある以上舞台に立たさなければならない。

 どちらから起こそうかと悩んだが、迷うのもバカバカしくなり手近な方から起こすことにした。


『しょーがねェーな、まずは手近な茜から起こすか』

 どうやって起こそうかと考える。

 ウッカリ触ってセクハラと言われてもいけないし、かと言って触れなければ起こせないし『忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず』平重盛の心境だ。 

 何でここまで気を使わなければならないのかと腹が立ってくる。

 郊外にある屋島神社にでも行ってお祓いしたくもなる。

 日本の管理職は部下の面倒を会社だけでなく私生活の場面まで求められる。

 嘗て『売り場内できちゃった婚』で急に退社した女子社員がいた。

 上司が総務部長に呼び出され『人員計画が狂うから少しは注意してくれと』言われているのを見たことがある。

 上司は場末の居酒屋で『ベッドの指導までしろと言うのか、子供が生まれて入社すれば20年もしたら人員はチャラだ』と安酒煽りながら訳の分からない文句を言っていた。

 しかもその後結婚式に呼ばれ、今時珍しい仲人までやらされて……。

 言いたかないが踏んだり蹴ったりとはこのことだ。

 他山の石としたくはないが、いささかウンザリだ。考えているうちにまたまた腹が立って来た。

 パワハラ・セクハラ・二段腹、起こし方も気を付けないと、とんでもないもらい事故に繋がりかねない。

 つかない男、ダイハードの気持ちも分かろうというものだ。


「茜! 茜さん、朝ですよ。起きましょうかぁ……」

 媚びるような猫なで声にいささか嫌気が差しながらも、正面から肩を軽く揺らした。

「ウーン、うるさいナ、ほっといてくれ!」

 茜は宇田川の手を右手で振り払うと寝返りを打とうとした。

 しかし、ここはベッドではない。

 勢い余って床に転がる事となった。 

「イッテェ!」

 加藤茜、22歳。

 地元の短大を卒業し、入社して間もなく3年。ファッションパーツ売り場で手袋や帽子といった季節商品を担当している。

 茜は床で軽くうめき声をあげると、もそもそと立ち上がり元の椅子に戻ると面倒くさそうに頭を掻き始めた。

 現実を受け入れるには暫くは時間がかかりそうだ。

 こいつばかりに、拘わり関わり合ってはいられない。

 取り合えず大丈夫そうだし放っておこう。

 事務的に判断し、京子を起こしにかかった。


『やれやれ、今度は京子か』

 年末は鬼門だ。

 出来れば、誰かに愚痴りたい。

 管理職の孤独さが身に染みる。

 茜は、床に転がってしまった。幸いケガが無くて良かったが今度は気を付けなければならない。

 昔から学習効果だけは自慢だ。

 大した才能は持ち合わせていないが、これだけでここまで勤め上げて来た。

 今度は、転がらないように隣の椅子で寄り添うように軽く肩をさすった。

「モシモシ、モシモシ、京子さん、京子さん……」

 肩が動いて気がつくと突然跳ねで起きた。

 跳ね上がるのは想定外だった。 

 その拍子に肩で顎を打たれた。

 キレイにはまり、軽い衝撃と共にうめき声が出る。

 「ウグッ!!」

 京子は立ち上がると周りを見渡している。

 偶然、正面の掛時計が眼に入った。

 不測の事態でも日常が優先する。

「ウワァッ! 大変だ寝すぎた! 祐一のお弁当作らなくちゃ」

 坂本京子、38歳。

 地元の高校を卒業し、バツイチで子供が一人いる。入社20年目。ファッションパーツ売り場で仕入れを担当している。

 少し落ち着いたのか、顎を押さえている宇田川や頭を搔いている茜と眼が合った。

「あら、宇田川さんお早う。茜ちゃんもおはよう」

 二人とも笑顔で「おはようございます」と応えた。

 習慣とは恐ろしい。山で熊とバッタリ出逢っても挨拶しているかも知れない。

 とはいえルーティンワークは有難い、時間をつぶせるし心に安心感を与える。

 気まずい中でも何とか体裁だけは整えられる。

 だが、それもつかの間だ。

 痛め止めと一緒で長く効かない。

 効果は気休め程度だ。

 謎解き大会のメンバーは揃ったが、クイズの回答はこれからだ。

 

 状況は見れば分かるが、夢と現実のギャップを埋められない。

 誰かとこの状況を共有したい。 

 仲間が出来るのは嬉しいものだ。気持ちが少し軽くなる。

 ただし、自分だけ先に抜け出すことが出来れば見捨てることもある。

 声を出せば解決する訳ではないが不安の共有には繋がる。


「何で、こんな所にいるのよ私。エーッ!」と言って真っ先に口火を切ったのは茜だった。

 取り乱せるのは羨ましい。騒いだもん勝ち、黙っているもん負けだ。

 二人ともやっと目を覚ました。

 取り合えず同じ土俵に上がったようである。

 しかし、二人がそれぞれに勝手な事を言い、部屋の中をぐるぐる歩き回るので収集がつかない。

 茜がせっかく場面転換の切っ掛けを作ってくれたんだ。

 このタイミングを利用しよう。 

「とにかく二人共落ち着いて先ずは座ってくれ。これじゃ話も出来ない」

 宇田川が立ち上がり、両手を上下させて座る様に促すとやっと二人とも席に着いた。

 京子と茜はテーブルをはさんで宇田川と向かい合う形となった。


 宇田川は内心『大した事はない、ただの飲みすぎで記憶がないだけだ』そう思い込もうとしていた。

 これまで会社で様々な事態に接してきたが、心配する問題ほど結論は大した事は無かった。

『案ずるより産むが易し』昔の人は良く言ったもんだ。

 とは言え、状況を把握しなければならない。

 根本的な解決策ではなく、取り合えず『今』を取り繕うのは中間管理職の習性だ。

 トラブル解決はスピードが命だ。

 明日の千円より今日の百円だ。 

 スケールの小ささに嫌気が差すがすべてはこの積み重ねだ。

 千里の道も一歩から。

 宇田川は二人から情報を集め整理するることにした。


 隠蔽は解決を遠ざける。情報の透明性が重要だ。そこから信頼感が生まれる。

 まず勇気をもって二人に自分の持っている情報の全てを包み隠さず伝えよう。

 黙って二人を見詰めた。

 気配に押されたのか沈黙と共に宇田川に注目が集まった。

「いいか、俺の言う事も聞いてくれ。俺も何でここにいるのか分からないんだ」

 我ながら実に手短でわかりやすい。 

 人の本質的な感情は0.3秒に現れ、意識的な感情は2~3秒持続するという。

 0.3秒程度だが二人に軽い失望と軽蔑の色が生まれた。

「宇田川さんも知んないの? やっぱりね」

「マネジャーもご存知なかったんですか? まぁ仕方ないわね」

 何だこいつらも知らないのか?

 自分たちも知らないことを棚に上げて『その言い方とその顔はないだろう』と思う。

『だからこっちは解決しようと持ち掛けているんじゃないか』とも言いたくなる。

 でもここで、ぐっとこらえる。

 昔やる気のない上司が言ってた。

『給料の半分は我慢代だ』

 腹を立ててはいけない。

 謎解きゲームはこれからだ。


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