幽霊の自動販売機

結城 てつや

第1話 プロローグ

 岬からの風が静かに冬のヴェールを開くと、闇に溶け込んでいた瀬戸内海に色が戻り始めた。

 最初遠慮がちだった朝の光は闇を拭う度に明るさを取り戻し、冬の陽にも暖かさがあることを知らせている。

 海を撫でる風はドミノ倒しのように小さな波を煌めかせ、連絡船の航跡が海に白いチョークを引いていく。

 港が光で満たされると、隣接する高松駅のプラットホームにも少しずつ人々が降りはじめた。年末の慌ただしい一日が幕を開け、人々が水脈を辿るかの様に街へと流れ込んでいく。 

 

高松駅のプラットホームは「コ」の字型で線路はここから始まり、ここで終わる。

 鉄道の始発駅でもあり終着駅でもあるこの駅は物語の始まりと終わりを象徴してかのようだ。 

 人々は駅というポイントを通過し、自分が主人公の「今日という物語」に向かって行く。 

 その慌ただしさの中で、駅にある自動販売機は小さな補給基地だ。

 機関車が水や石炭を補給するかのように人はそこで立ち止まり、つかの間の息をつき目的地へと向かって行く。

 ある人は眠気を覚ますかのように自動販売機のコーヒーを飲み、又ある人は抜いてしまった朝食をあわてて摂るかのようにセルフうどんの券売機に向かう。

 

 飲み物の自動販売機、軽食の自動販売機、飲食店の券売機。

 自動販売機の種類は様ざま。

 人は、自動販売機に向う時「何を飲もうか」「何を食べようか」と、迷う。

 迷うのが楽しい。

自動販売機は、24時間営業の小さなバイキング。


 自動販売機を前にした時、慌ただしい中にもほんの少しだけゆとりの時間が生まれる。

「忙中閑あり」

 時間がない時ほど何故か楽しい。

 決めるまでのほんのわずかな瞬間だが煩わしさを忘れさせてくれる。


 自動販売機は至る所にある。

 駅や街角、競技場、学校、公園、テーマパークにスーパー、そしてデパート……。

 自動販売機は暮らしの中にあるごく有り触れた機械だが、本来とは異なる役割を演じる事がある。

 そして人も……。

 人は偶然、本来の自分とは異なる役割を演じる事がある。

 その時人は、自分の近くにあり日常の中で見落としていた本当に大切なものに気づく。

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