第3話 飛行機

『何だ、こいつらも知らないのか。早く言え』

 余計なことに気を使ってしまった。時間を返して欲しい。

 でも繕わず正直なのは良かった。

 発言が信用出来る。

 危機に瀕した時、方程式めいた正論を言う奴ほど頼りにならない。

 こっちはバイパスでもなんでも使って窮地を脱したい時に正論をぶつけて来る。

 こっちを思っての正論なら有難く拝聴し反省もするが、大抵の場合は巻き込まれたくない一心で安全地帯から発言する。

 とは言え、何も考えていない奴はもっと使い物にならない。

 論理が通用しないからだ。


 でも纏めなければ先に進まないのが現実。軽い失望は日常だ。

「そうだよ、だからまず二人とも思い出してくれ。俺たちは、お互い何がなんだか分からないままここにいる訳だ。知りたいのは昨晩、何があったかなんだ。茜、昨日3人で飲み会をやり二次会で異常に盛り上がって事務所に泊まったなんて……。普通ないよな……」

 推理とも呼べないお粗末さに自分でも呆れる。

 見透かされたかのように否定から入ってこられた。

「その線、無理筋。空想にしてはお粗末。夢だったら貧困。だいたい宇田川さんは宴会が盛り上がる所で必ず『コピーはA4でエーよん』とか『アリがとうさん、バッタがかあさん』とか言うオヤジギャグで水ぶっかけるでしょ。カラオケ行けば行ったで因幡晃の『わかって下さい』とか井上陽水の『傘がない』とかの昭和フォークで歌いまくるじゃない。あの乗りにはついていけません。したがって二次会まで行って盛り上がる事はア・リ・エ・マ・セ・ン」と、きっぱり言い切られた。

 メンバーからの否定的な決め付けは『キツイ』の一言だ。

 つい弱気になる。

「無理は認めるけどさ、そこまで言う事ないじゃない。わかったよ、じゃ飲み会で盛り上がりの線はナシな」

 宇田川がふてくさった様に言うのを見て、京子が遠慮がちに提案をした。

「あのぅ、昨日と言うよりはどこまで三人が共通に思い出せるか検討してみたらいかがでしょうかぁ?」

 追い詰められた時の繋ぎは嬉しい。まさに『溺れる者の藁』だ。『藁』でもいい、ついすがりつきたくなる。

「俺もそうだと思っていた。それで行こう」

 ノーアイデアの中で出てきた結論をあたかも自分が引き出したように演じリーダーシップがあるかのように見せた。

 魂胆は、バレバレだ。こういうのは下にいる者ほど分かる。

 口には出さないが白けたムードと視線で分かる。

 まぁいい、とにかく今は何があったのか知りたい。

 三人のベクトルは一緒となった。

「ちょっと、ゆっくりと考えようぜ。最後というか最新の記憶は何なんだ」

 京子と茜も思い出そうとしている。

 空気が一瞬静まり返った。

 外で鳥の鳴き声がしてきた。自転車をこぐ音も聞こえて来る。

 朝の日差しの中、街にも少しずつ活気が出てきたようだ。


 京子がポツポツと話を始めた。

「13日の夜、羽田空港の出発ロビーで、宇田川さんと茜に会ったわよね。私は、クリスマス商品の緊急買い付けで東京の仕入れ本部と取引先へ行ったの。2日間だけしか回れなかったけどイブに間に合う様そこそこの成果があってホッとしたわ。宇田川さんと茜は? 知ってはいるけど念のため確認しあいましょ」

 宇田川が話を受け取った。

「俺は、2日だけ休みをもらって、自宅マンションの整理をしに行ったんだ。俺は一人身だから東京に誰かいる訳ではないけど、今年のうちに済まさなければならない事が色々あって、12月の忙しい中で気が引けたけどね。羽田で二人と出会った時は驚いたなぁー。茜は?」

「あたしは、武道館へ『サザンクロス』のライブを見にいったの。諦めていたのが直前になって偶然手に入ったチケットだから『逃してはいけない』と思ったわ。『サザンクロス』ってチョーいいんだ。特に『君は星になって』って曲最高。ジーンと来ちゃうんだよね。12月の忙しい時ホント悪いと思ったんだけど、『早出でも、残業でも、休日振り替えでも、何でもやるから』と言って無理やり2日有休もらったんだ。でもよかったなァ。モウ、いつ死んでもいい」

 宇田川も茜の休日申請を思い出した。

「そう言えば有休は思い出したよ。ところでなんだその『サザンクロス』って、ラップをやるグループか? ラップってあれはつくづく音楽じゃないよ。お経だねあんなの。だいたい最近の曲って歌詞が多すぎ。それに比べると昔は良かった『津軽海峡冬景色』なんか最高よ。『上野発の夜行列車降りた時から青森駅は雪の中』これだけで時間と空間の移動そして風景を語っているんだぜ。そんな歌詞が今あるか、ラップ最悪」

 茜が少しムッとしている。

「宇田川さんいつも人の話聞いてないんだから。あたし有休いただく時もちゃんとバンドの説明をしました。『サザンクロス』はラップじゃなくてロックのバンドです。どうせ分かんないから説明しても無駄だけど」

 ほぐれない二人の会話に苛立ち京子が割り込んだ。

「ちょっと、二人とも歌の話は置いといてくれません! 訳が分からなくなっちゃう。先ずは羽田のロビーで三人出会った所から始めましょう。茜ちゃん、それからは……」


 茜がポツポツと話し始めた。

「搭乗手続きのアナウンスがあってバスに乗ったの、冬の雨が降っててバスの中が寒くて湿っぽかったのを覚えてる、5分位で飛行機に乗る小さな建物について、そこから搭乗したわ。私の席は後ろ寄りの窓側、京子さんは少し前の中ほど、座る時小さく手を振ってくれたのを覚えてる。そして、宇田川さんは京子さんと同じ列の通路側。飛行機は予定通り飛び立って、雨雲を抜けると綺麗な星空だった。まるでプラネタリウム」

 その後を宇田川がゆっくりと続けた。

「上昇が終わり水平飛行になってキャビンアテンダントがワゴンを押して飲み物を配り始めた。飛行機に乗ると繰り返される見慣れた風景だった。飲み物を飲みながら雑誌を見たり、飛んでから降りるまでの手続きみたいなもんだけど、なんとなくリラックスする時間だね。そして皆が一通り飲み物を飲み終わってカップの回収をしている時揺れたんだ、異常な揺れだった」

 話すうちに三人の記憶が次第、しだいに蘇ってきた。


 茜が膝の上に乗せたこぶしを握り締めて急に震え始めて叫んだ。

「やめて、宇田川さん! もう続けないで、あたし怖い!」

 京子がそっと茜の肩を抱いた。

「宇田川さん、どうぞ続けて下さい。どうやら私たちは確認しなければならない場面に来たみたいだわ」

 京子の言葉に頷くと、再び宇田川が続けた。

「最初は小さな揺れだった。『なんだっ』って感じで隣の人と顔を見合わせたりしていた。そのうち『スッ! スッ!』っと下降し始めたんだ。あちこちで声が上がって。機内に小さなパニックがうまれた。そして雨雲の中に突っ込むと揺れと下降はもっとひどくなって乗客の声が大きくなった。その時に機長からのアナウンスがあった。騒がしかった機内が急に静まり返ったのを憶えてる。『機体にトラブルが発生して、海に不時着水しなければならなくなりました。安全ベルトをしっかり締めて身体を曲げて衝撃に備えて下さい。この機は安全ですからご心配はいりません。着水後は乗務員の指示に従ってください』って内容だった。だけど最後のところは誰も信じなかったね。海に不時着水すると聞いて心配しない奴がいたら宇宙的鈍感力だよ。そして下降を続けた機体が水平になったと思ったら機首が上を向いて、その後すごい衝撃がやってきた。俺は、そこから覚えてない」


 茜の肩を抱きながら京子が続けた。

「隣のおばあちゃんと手を握り合って、耐えていたの。衝撃は何度もあったわ飛行機全体が何度も叩きつけられて、ふと見ると手荷物が機内を飛び交っていたわ。そして飲み物を配るワゴンが上に見えたの。そこから先は分からない」

 茜は京子の手を握り締めて、下を向きながら話し始めた。

「窓の外を見ると水しぶきが上がっていたわ。そしてものすごい衝撃が襲ってきたの。座席ごとはずれて身体が宙に飛んだわ。上から座席に伏せてる人達を見る事が出来たんだけど、そこまで……」


 茜が話し終わると三人は目を見合わせた。

 短い沈黙のあと、宇田川が大きなため息をついた。

「つまり13日の夜、俺たちを乗せた飛行機は海に不時着水した訳だ。それは三人とも知っている。でも、ここにいると言う事は生きてると言う事だ。ケガもしていない。どうやって助かったんだろう。第一今日は、何日で何曜日なんだ」

 誰も話をしない。

 これから重い現実に向かい合う事になりそうだ。

 その事だけは分かった。

 静寂が三人を包み込んだ。

 外から冬の風が窓を叩く音だけがした。

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