第22話 カミラの誘惑


 表彰式が終わり、ようやく控え室に戻ってきたリート。


 流石に何度も真剣勝負をしたので疲れ切っていた。


 ――それに、頭の中ではあの男のことがグルグルしていた。


 ウィリアム・アーガイル。

 底知れぬ力を持っている。


 しかもリートの秘密も知っている。


 一体何者なんだ……


 ――と。


「――リート」


 突然名前を呼ばれる。

 その声は、一瞬イリスのそれと思ったが、すぐに違うと気がつく。


 顔を上げると、そこには一見イリスと似ていて、けれど明らかに異質な少女がいた。


 金髪碧眼。だが、髪がふわりと巻かれているのがイリスと違う。

 顔立ちは整っているが、その笑みは何かを感じさせる。


「――そなたの戦い、お見事であった。まさか我が従兄弟アーガイルを破るとは、驚いたぞ」


 その言葉でリートは、目の前の人物が誰かを理解した。


 ――カミラ・ローレンス。


 アーガイルの従兄弟。王妃の娘。

 まごうことなきこの国の第二王女。


 つまりイリスの異母姉妹である。

 声や容姿が似ていることに合点がいった。


 ――妖艶な笑みを浮かべたカミラはゆっくりリートに歩み寄ってくる。そして、そのままその手をとった。


 手首を包んだ柔らかい手。


 いきなりのことにリートはドキッとするが、すぐ下にきたカミラの瞳の奥を見て、すぐに心臓の高鳴りは止んだ。

 アーガイルと同じだ。

 どこか冷徹さを感じさせる。


 カミラは妖艶な笑みを浮かべて言った。


「そなた、我が僕(しもべ)にならぬか?」


 突然の誘い。

 それは半分、ほとんど誘惑に近い。


 リートは意味をはかりかねて、思わず固まった。

 カミラは言葉を続ける。


「私の近衛騎士になってくれ。そうすればすぐに出世させてやる。それに爵位だってやろうじゃないか」


 リートはそこでようやく自分が勧誘されていることに気がつく。


 この国の王女様に、ただの平民が迂闊なことは言えない。

 だからリートはなんと返して良いのかわからなかった。

 そしてなんとか言葉をひねり出す。


「……すみません。人事は私が決めることではありませんので……」


 それがなんとか出てきた言葉。

 すると、カミラはそんなものは無意味だと言う。


「人事など、なんとでもなる。――例えば、私の夫になるとかな」


 その言葉にリートは驚愕した。


 夫とは――つまり王女と結婚するということを言っているのか……!?

 何の冗談だ……


「結婚すればお前も王族の一員。ある程度の人事はどうとでもなるぞ」


 と、カミラは握っていたリートの手をグッと引き寄せる。

 リートはとっさに体幹で踏ん張ったが、すると代わりにカミラの身体がリートの方に寄りかかってきた。


「どうだ。王女の婿となれば、公爵の地位は確実だ。騎士団長にだってなれるだろう」


 ――騎士団長(ファースト)の地位。

 それは騎士ならば誰でも憧れるものだ。


 その地位につけるのは、国中から集められたエリートの中でもさらに極少数の人間。


 ――まさしく頂点を極めた者だ。


 王女はその地位をちらつかせる。


 ――だが。


「王女様……お気持ちはありがたいですが……あり得ぬことです。王女様が一介の平民と結婚するなど……」



「ありえぬことなどではないさ。私は家柄には興味はない。強い者が良いのだ」


「王女様……」


 リートにはそれ以上良い言い訳が見つからなかった。


 だから――

 



「――私はイリス様に仕えている身です」




 リートははっきりその言葉を口にした。


 その言葉に、カミラの身体が瞬間的に震えた。

 そしてそのまま身体を起こして、リートを見上げる。



「イリスに仕えている、と申したか」


 少し冷たい声。

 だが、リートは臆せずに答える。


「はい。イリス様は初めて私を認めてくださった。だからその期待に応えたいのです」


 リートがそう言うと、カミラは――


「ははッ!!」


 笑った。


 明確な拒絶に対して笑ったのだ。


「なるほど、悪くない。私の肌に触れて言うことを聞かなかった男はお前が初めてだ」


 ――だろうな、とリートは内心で同意する。

 こんな美人な王女に迫られたら、普通は断れまい。


 だが、どんなに迫られてもリートは断れる自信があった。


 ――カミラの心の奥底には、冷たい何かが隠れている。

 それを感じとってしまったからだ。


 だから。例え裸で迫られたところで応じることはなかっただろう。


「ますます気に入った」


 小悪魔的な笑みを浮かべるカミラ。


 ――――と、その時。



「――――カミラッ!!!」



 響いた声に驚いて振り返ると、部屋の入り口にイリスがいた。

 眉は釣りあがり、今にも掴みかかってきそうな形相だった。


「姉上、どうされました?」


 首を傾げて聞くカミラ。


「リートが困っているだろう。リートから離れろ」


 そう言ってイリスはいつでも斬りかかってきそうな殺気を漂わせて、歩み寄ってくる。


 仕方がないと、カミラはリートの手を離した。


「よかろう。今日のところは余の負けだ」


 そう言って一歩後ろに下がるカミラ。

 そのまま踵を返すカミラ。


「姉上、あまり怒ると早死にしますよ」


 そう言い残して部屋を出て行く。


 イリスはその背中を最後まで凝視し続けた。

 そしてそれが見えなくなったのを確認してからリートに向き直った。


「リート、あいつに何かされたのか」


 ――イリスは怒気を孕んだ声色で尋ねてくる。


 そこでリートは姉妹の関係がただならぬものだと気づく。


「いや、何も……ただ、自分の僕(しもべ)にならないかと言われて……」


「――それで、なんと?」


「……お断りしました」


 リートが言うと、イリスは少し安心したようにして息をついた。


「そうか……すまんな、取り乱した」


 ――一体、姉妹の間に何があるんですか。

 リートは、喉のところまで出かけた言葉をなんとか飲み込んだ。


 ――だが、イリスが自分から明かしてくれた。


「カミラと私は王位を争っているんだ」


「――王位を?」


「知っての通り、私は長女だが庶子。一方カミラは次女だが嫡子だ。それゆえ、どちらが王位を継ぐか、まだ正式には決まっていないのだ」


 リートは、それでカミラが自分に迫ってきた理由が少しわかった気がした。

 少しでもライバルであるイリスの戦力を殺(そ)ぐためだったのだ。


「カミラの母親はアーガイルの生まれだ。アーガイルは宮廷で圧倒的な力を持っている。一方、私は庶子ゆえ、強い後ろ盾があるわけではない。だから――いつ殺されてもおかしくはない」


 殺される。

 兄妹に。


 その言葉で、それまでリートが感じていた違和感がようやく溶けた。

 カミラにしても、アーガイルにしても、瞳の奥にどこかで冷たさを秘めていた。

 それは、まさしくイリスへの殺意だったのだ。



 ――と、イリスはリートの手を取って言う。


「だから……無理は承知の上だが……私の力になって欲しい」


 その言葉に対する答えは――最初から決まっていた。


「もちろんです、王女様。それが近衛騎士の仕事でしょう」


 リートは王女の顔をまっすぐ見て答えた。


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