第41話

『社会福祉』と書かれた棚の前で有希也は足を止めた。先日寄った本屋にも障害者に関する本はいくらかあったが、腰を据えてかかる必要を感じたのもここへ来た理由だった。


―障害に対して何らかの手当は支給されないのか―


 アパートにその手の書類はなく、通帳にも記載はなかった。だらしない津原のことだから申請しないで貰いそびれている可能性もある。


 突然この身体になった有希也は障害者に関する知識は乏しい。訊ける相手もいないし、いたところで今さら訊けるはずもない。障害者本人よりも詳しい人間もそうはいないだろう。


 何から調べればいいのか見当もつかないまま棚からそれらしき本を手に取った。しかしさっきのように捗らなかったのは、とにかく複雑で難解だったからだった。身体が変わって頭まで悪くなってしまったのか。何が何だか、理解できているのかいないのかすら分からなかった。


 そもそも「障害者」とはなにか。


 障害者基本法の第二条に

『障害者 身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であつて、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。』

 と定義されている。


 障害者は身体障害者、知的障害者、精神障害者、その他の障害者、に分類される。その他の障害者には難病患者などが含まれるようだ。


 津原保志は身体障害者にあたる。


 身体障害者福祉法の第四条に

『この法律において、「身体障害者」とは、別表に掲げる身体上の障害がある十八歳以上の者であって、都道府県知事から身体障害者手帳の交付を受けたものをいう』

 となっている(十八歳未満は児童福祉法により「障害児」と定義される)。


 第十五条では

『身体に障害のある者は、都道府県知事の定める医師の診断書を添えて、その居住地(居住地を有しないときは、その現在地)の都道府県知事に身体障害者手帳の交付を申請することができる』

 とされている。


 身体障害者福祉法における身体障害者とは、身体障害者手帳を持つ人。ただし交付の申請は権利であって義務ではない、ということらしい。


 アパートを探しても手帳は見当たらなかった。交付を受けていないのか、失くしたのか。津原のことだから間違って捨ててしまったとも考えられる。いずれにしても手帳がなければ多くの福祉サービスは受けられない。権利である以上、行使するには自分の意志と足で進まなければならない。


 手帳を取得すれば税金の控除や公共料金の割引などが受けられるようになる。それならば交付か再交付の申請をすればいいのだが、おいそれとはいかず、自治体によって異なるが、手間がかかるようだ。


 交付には、まず役所へ行って申請したい旨を伝えて所定の「身体障害者診断書・意見書」を受け取る。それを指定医師のもとで作成し、申請書等必要な書類(マイナンバーの記載も必要)を添えて役所に提出する。

 身体障害者手帳は通常1ヶ月程度で交付されるが、医師への確認などで時間がかかることもある。診断書の作成は数千円から高ければ1万円を超えるところもあるが、作成料を助成する自治体も多い。

 再交付の場合は、顔写真が必要であるものの比較的簡単な手続きで済む。ただし交付までには1か月程度を要する。


 身体障害者手帳は、身体障害者福祉法により、重度の1級から6級までの等級に区分されている。7級も存在するが、障害の重複により6級以上にならなければ手帳は交付されない。


 これらの等級は身体障害者福祉法の認定基準に拠るのだが、それを見る限り、この左足は不自由でも一人で立って歩くことができるため、下肢5級より下だと思われる。不便でならないこの足も障害としては比較的軽度で、世の中にはもっと大変な思いをしている人がいることに今更ながら気づかされる。


 身体障害者福祉法には、第1種、第2種の区分もあり、下肢不自由の場合、1級から3級の1までが第1種で、それ以外は第2種となる。JRの障害者割引制度は、第2種障害者は片道の営業キロが100キロを超える場合のみ、50%割引となる(第1種では多くのケースで本人と介護者の乗車券が50%割引になるが、第1種障害者が単独で利用する場合は第2種と同じ条件)。私鉄も概ねこれと同様のようだ。公営鉄道は手帳の所有者に無料乗車券を発行するところもある。


 バスは全国的に、手帳を見せるだけで割引になることが多い(概ね乗車券5割引、定期券3割引)。それならば運転手が「障害者手帳をお持ちですか」と声をかけてくれてもよさそうなものだが、人前で障害者手帳を出すことに抵抗のある人も多いようで、親切心も時に善意の刃に変わる。


 障害者に関する制度について何冊かの本を調べても、バットを握ったことのない人が野球のルールを覚えるように難しく、「障害者手帳」と一口に言っても、身体障害者、精神障害者(精神障害者保健福祉手帳)、知的障害者(療育手帳)のものがあり、注意しないと混同してしまう。


 中学校しか出ていない、頼れる人もいない津原保志に、理解できたとは思えないし、仮にできたとしても申請には面倒な手続きが待ち受けていた。


 肝心の障害者に対する手当だが、まず「特別障害者手当」というものがあるが、これは身体障害者手帳であれば1級2級程度の重度の障害者に支給されるものだから明らかに対象外。


 次に「障害年金」であるが、これは障害者手帳よりも遥かにややこしくて誤解も多く、役所の人間や医師も誤るほどで、素人が―障害者であっても―正しく理解しようとするのは、野球で言えば初心者がいきなり審判員を目指すようなもの。


 かろうじて見えてきたのは、「障害年金」は福祉の制度ではなく、「老齢年金」「遺族年金」と並ぶ社会保険制度であり、「障害基礎年金」「障害厚生年金」「障害共済年金」がある。生活保護とも全く別物で、あくまでも年金加入者に支給されるもの。「申請」ではなく「請求」するもの。


「障害者年金」ではないことからも分かるように、障害者手帳の所持が受給要件ではなく、障害者に限らず病気や怪我により長期間仕事や日常生活に制限を受ける場合にも請求できるのだが、いずれにせよ受給のハードルは高い。


 手続きは複雑で、提出書類も多く、不備があればその都度病院や役所に足を運び直さなければならず、請求が受理されても、審査の結果不支給となることが多いのもこの年金の特徴。中でも難関なのが「初診日」で、その症状で初めて医師又は歯科医の診察を受けた日を特定しなければならない。この壁の前で立ち尽くす人が多い。


 受給要件の一つに「一定の障害の状態にあること」とあり、障害の認定基準が存在するのだが、身体障害者手帳とは異なる「国民年金・厚生年金保険 障害認定基準」に拠る。これがこの制度をややこしくしている一因で、身体障害者手帳とは基準が異なるのに障害年金でも1級、2級、3級と区分するため障害者手帳所持者を惑わせている。


 障害となった時点で加入していた年金から支給され、20才未満の場合は20歳になれば障害基礎年金がもらえるのだが、津原の身体は障害年金の基準では下肢の障害の3級以下。障害基礎年金の受給資格は1級2級であるため貰えそうにない。受給資格者であっても、それを知らせる通知が届くことはなく、自ら請求しない限り受給できないあたりは、いかにもお役所仕事といったところ。


 不正受給防止もあるだろうから仕方ないとはいえ、辟易するほどややこしい制度で、金のやり取りに慣れている有希也も正しく理解できている自信はなかった。

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