第39話

 休憩室を出たところで店長の中山と出くわした。左手に提げた紙袋の中身は長く伸びた筒の束。クリスマスに向けた販促用のポスター、といったところか。福引会場と同じフロアでケーキを販売しているし、上の階にはおもちゃ売り場もある。スーパーもクリスマスや年末に向けて忙しくなる時期で、今日は抽選会もあるのだから店長は朝から働き詰めかもしれない。


 お疲れ様ですと挨拶すると「電卓打つの速かったけど、何かやってたの?」と訊かれた。あのスピードでは、見ようによってはでたらめに打っているととられかねないが、中山はそうはとらなかったようだ。


「足がこうなんで、座ってできる特技を身に付けたいと思って練習したんです」

 最近まで証券会社で働いていたんです、とは言えない。


「あれだけ速く打てる人はなかなかいないよ。アナウンスも上手いし、接客も上手だし、大したもんだ」

 社交辞令ではないのは、遠くを見つめるような眼差しから伝わった。


 プラスアルファが評価されるのは、基本が出来ていればこそ。接客業は接客が第一で、特にこういった老若男女が訪れる店では明るく丁寧な接客が求められる。他がいくら優れていても接客が不味ければ自己満足にすぎない。

 中山はもろもろ含めてトータルで評価してくれた。視野が広くて懐が深く、仕事熱心。若くても店を任される、その人間性の一端が垣間見られた気がした。


 ありがとうございますと礼を言った有希也に中山が続けた。

「よかったらここで働かない?パートさん募集してるから、君さえよければ」


「えっ・・・」突然のことに言葉が詰まる。


「引き抜きなんてしたらテラスさんに怒られちゃうか。でも凄く仕事が出来たって佐藤さんに伝えておくよ。じゃ、残りの時間もよろしくね」

 中山は笑顔でそう言い残して早足に去って行った。後ろ姿も出来る人間のそれに見えた。


 顔がほころんでいるのが自分でも分かった。

 嬉しさに照れ臭さが入り混じり、子供の頃に戻ったように心が掻き乱された。いい年してじっとしていられず、壁とハイタッチを交わした。

 休憩室のドアが開き、とっさに「お疲れ様です」と挨拶したら知らない顔だった。机に伏せ寝していた人か。怪訝そうな表情だったのは、見知らぬ相手のせいか。声のボリュームを間違えたせいかもしれない。


 残りの時間でミスをしたら帳消しになってしまうから、有希也は両手でパンっと顔を張って持ち場に戻った。



 ここからはさっきやったことを只管繰り返すだけ。昼飯時を過ぎると客足が戻り、子供連れも増えて会場は輪をかけて賑やかになる。休憩を回している間は一人少なくて、負担は増えたものの充実感も増す。今はバイタリティが溢れ、疲労すら心地良かった。


「1等が出ました!おめでとうございます!」

「残念、参加賞です。是非またチャレンジしてください」

 有希也も岸本も松井も悲喜こもごもの福引会場に明るい声を響かせた。


 客足が途切れずコミュニケーションをとる暇もなかったけれど、長身の松井は有希也が落としたレシートをさっと拾ってくれた。礼を言ったら、ぎこちない笑顔で応えてくれた。ニヤケ顔の岸本もポジションチェンジの時に「大丈夫ですか?」と気遣ってくれた。二人とも人付き合いは苦手そうに見えるが、悪いやつではなさそうだ。

 案の定宮野は一番最後に休憩に行き、湯上がりの蒸気のようにタバコの臭いをうっすらまとって戻ってきた。


 有希也の前で小さな女の子が抽選器を回した。黄色い玉が零れ落ち、女の子ははっと目を見開いて後ろのお母さんを振り返った。

「おめでとうございます!3等当選です!」

 有希也がハンドベルを鳴らすと、女の子はお母さんに抱きついて腰元に顔を埋めた。嬉しいよりも恥ずかしい。幼児によく見られるリアクションは、端から見ていると微笑ましくて、余計にベルを鳴らしてしまった。

「おめでとうございます」岸本が差し出した商品券の入った封筒を小さな手で受け取った。「お礼は?」とお母さんにうながされて言った「ありがとう」の声は小さかったけれど有希也の耳にしっかり届いた。



「お疲れ様です」と声がして振り返ると、ワイシャツ姿の4人が並んでいた。時刻はまもなく午後の3時半、遅番スタッフと交代の時間だった。有希也たち早番の4人は作業を引き継ぎ、法被を手渡して特設会場を後にした。


 従業員エレベーターに乗ると、宮野が横目で「これで時給1200円貰えるんだからチョロいもんでしょ?」と言った。発言の意図を測りかね、とりあえず「そうですね」と合わせておいた。話はそこで終わった。


 事務所に戻り、店長に作業の終了を報告する。


「お疲れ様でした。みなさんが頑張ってくれたお陰でトラブルもなく、抽選会も大変盛り上がりました。これで早番のお仕事は終了になりますので、最後に退店手続きをしてあがっちゃってください」

 店長の締めの挨拶で、本日の業務は終了となった。


「また機会があったらよろしくね」

 店長は最後に満足げな顔で有希也の背中にそっと手を添えた。


「是非またよろしくお願いします」

 有希也は深く頭を下げた。


 従業員入り口で4人揃って退店手続きを終えると「テラスの方には僕から終了報告しておくんで。じゃ、また他の現場で会ったら、その時はよろしくお願いします」と宮野が言い、早番スタッフはその場で解散となった。


 各自帰宅の途につく。これまでなら帰り道で鉢合わせないよう気を回してわざと遠回りしたり寄り道したりする有希也だったが、歩くのが遅いいまはその必要はなかった。ただ一服したくて自販機で缶コーヒーを買った。


 ベンチに腰掛け、足にだるさを感じつつ、熱い缶を手のひらで転がしスーパーを顧みた。津原保志になって初めての職場は、朝見た時は白んでいたのに、今は黄昏始めていた。


 良い職場だった。人にも恵まれた。中山店長も岸本も松井も。不快な客もいなった。宮野は少し嫌味な奴ではあったけれど、あれぐらいで済めば御の字。これ以上を望むのは贅沢と言うもの。


 有希也にあるのは疲労より充実感と達成感だった。一度も座ることなく作業を全う出来たのは自信になる。店長もいってくれたように今日の仕事なら問題なくこなせるし、他の仕事だって、松井よりも岸本よりも、宮野よりも上手くやれる自信はある。足のハンデはあっても、それ以外はそんじょそこらの奴に負けない。もっといろんな仕事をして、もっともっと成長したい。


―頼むぜ、佐藤さん―


 アパートに帰ると缶ビールを開けた。有希也が欲したのではなく、津原に対するご褒美。両足に乾杯して、のどに流し込んだ。

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