第38話

 ポジションチェンジはきっかり30分ではなく、その前後の客の途切れた頃合いを見計らう。続けて担当した抽選補助と景品受け渡しも、鐘を鳴らしたり買い物券を渡したりするだけで、そつなくこなせた。


 ポジションごとに役目は違ってもどれも接客が主体で、この手の接客は中身はなくてもはきはき受け答えしておけば体裁は保てる。ベルトコンベアー式に笑顔のハンコを押せばいいだけだ。

 レシート計算は若干神経を使うけど、短期のアルバイトに完璧は要求されない。少しぐらい間違えたところで大事には至らない。


 それでも、やりがいは感じられた。次から次にやってくる客をさばくのは軽妙で、パズルゲームを解いているよう。口と手を動かし続けて、暇疲れをしないのもありがたく、労働の実感が充実をもたらしてくれた。


 客は抽選器から零れる球の色に夢中で、粗相をしない限り、テーブルを挟んだ向かいにいるスタッフなど目に入らない。ポジション交代時に若干の移動があっても、足元を気にする客はいなかった。イケメンがいたらいくらか視線を集めたかもしれないが、今日の4人は該当しない。宮野にも感謝する。


 足はというと、客が途切れるとテーブルを支えにしたり、時々は軽く左足に体重を乗せたりしてしのいだ。疲労よりも、いまは労働の心地良さが勝っていた。垢が落ちて、心に揚力がついたようだった。



 スピーカーを流れていた鬱陶しい美声が止んだ。マイクを下ろして宮野が近づいてくる。

「30分ずつ休憩を回すんだけど、何番がいいか希望ある?」


 時刻は11時半になろうとしている。昼飯時が近づき、抽選客も午前のピークを過ぎていた。


「何番でもいいですよ」

 アルバイトはどこもベテランほど遅く休憩に行きたがる。ショートケーキのイチゴのように、楽しみはとっておきたいもの。一番新人だから言われた時間に行くだけだ。


「足は大丈夫?」


「いまのところ大丈夫です」

 勤務時間の3分の1しか経っていないのに疲れたとは言い辛いが、含みは持たせておく。


「じゃあ一番に行ってもらっていい?」


「了解です」

 渋る顔を見せたら宮野を喜ばせそうで、あえて明るい声を出した。


 『休』の文字が書かれた小さなバッチを手渡された。

「法被を脱いでこの休憩バッチをつければ、普通に店内で買い物していいから。さっきの事務所の裏に休憩室があるから、何か食べるならそこで」と言った後に「津原くんは、タバコ吸う?」と訊かれて首を振った。喫煙所が別にあるのだろう。


「その方がいいよね、健康にもいいし、金もかかんないし。止めたいと思ってるんだけど高校時代から吸ってるからなかなか止められないんだよね」

 言葉とは裏腹に、宮野の口ぶりはどこか得意気だった。


 休憩ありと聞いていたから、出勤途中にコンビニに寄って、パンとペットボトルのカフェオレを買っておいた。この方が休憩時間をロスしない。

 休憩室は店の規模に比べてこじんまりとしていた。津原の部屋の二つ分よりやや広いぐらいで、いくつかある休憩所のうちの一つかもしれない。テレビはついていても自販機類はなく、店の活気は遮断され、ここだけ寂れた町工場のようだった。


 3つ並んだ長テーブルに椅子が6つずつあるが、今いるのは3人だけ。一人はテーブルに突っ伏して寝息を立てている。もう一人はテレビを見ながらお弁当を食べていて、後の一人はお茶だけ飲んでいる。いずれも中年の男性で、それぞれ別々のテーブルに座っている。


「お疲れ様です」

 寝ている人に配慮して声を抑えて言った有希也に、茶を飲んでいる人が返事をしてくれた。もう一人は会釈だけ。有希也は脱いだ法被を椅子の背に掛けた。更衣室で脱いで来なかったのは福引きのスタッフだと知らせるためだが、二人とも見知らぬ男に関心を示さず、足を気にすることもない。休憩明けまで束の間の放電をしているようだった。


 真ん中のテーブルの中央に赤いキーパーが置かれ、隣にプラスチックの湯飲みの山が二つある。伏せて置かれている湯飲みが未使用だと分かるが、従業員用のお茶は部外者には手を出し辛くて、手持ちのカフェオレでのどを潤す。先客の二人に会話がないのは寝ている人への配慮ではないようで、同じ店の従業員でも売り場が違えば交流も乏しい。そこかしこで見られる光景だ。


 テレビを見上げながら有希也はパンをかじった。テレビを見るのは久しぶりだけれど、民放には11時30分になったらアナウンサーが男女ペアでニュースを読む決まりでもあるのか、この時間はチャンネルを変えても横並びで、朝の情報番組から始まる視聴者の奪い合いは小休止といったところ。11月になったばかりだと言うのにクリスマスの話題で、昨夜東京のビル街で開かれたイルミネーションの点灯式の模様を伝えていた。


 食事を終えると有希也は足をマッサージした。太ももから始まり、ふくらはぎまで、両手で包み込むようにして指先で丹念に揉みほぐす。すでに2時間立ちっぱなしで、まだ3時間半も残っている。始業前に軽くでもストレッチをしておけば疲労が軽減されたかもしれない。次回への反省材料にする。


 本当にしんどくなったら椅子を使わせてもらうつもりでも、他のスタッフや客の手前一人だけ座るのは気が引けるし、一度楽を覚えてしまったら癖になる不安もある。宮野は勝ち誇るか呆れるか、いずれにせよ気持ちのいい反応を示すとは思えない。


 一通り最新のニュースが終わり、画面が切り替わった。緑の中にブルーのユニフォームが映えている。世界選手権に挑むサッカー日本代表の特集だ。ただし見慣れたものとはプレースタイルが異なる。一目で分かるそれは『ブラインドサッカー』だった。


 音の出るボールを使い、アイマスクを着けた視覚障害者のサッカー。間もなくその世界選手権が開幕するという。日本の初戦の相手は前回覇者のブラジルで、ブラインドサッカーでもやはりブラジルは強豪だった。


 日本のユニフォームはジャパンブルー。知っている代表とは異なるデザインだけど、紛れもなく日本代表。


 大会に向けての練習風景や前回大会のダイジェストが流れていた。選手たちは球が発する音と仲間の声を頼りにボールを追っていた。


 視覚に頼れない分イマジネーションが広がるのか。普通のサッカーよりラフプレーが少ない分、足元の技術が生かせるのか。ドリブルやシュートは、たしかな見応えがあった。


 ブラインドサッカーの存在は知っていたし、テレビでプレーを見た記憶も頭の片隅にあるけれど、確たる印象は持っていなかった。それがいまこうして津原保志の目を通して見ると、紛れもなく一つのスポーツとして成立していた。サッカーの劣化版などではなかった。


―目が見えなくてもサッカーはできる―


 それだけではない。このスポーツは、近くないけど遠くない、なんだか小学校時代の同級生のような、放課後の下駄箱で出会っていたような、そんな親近感を抱かせた。有希也の足に力がこもる。


 ラグビーにも聴覚障害者による『デフラグビー』があるし、『車いすラグビー』もある。パラリンピックだってあるじゃないか。


―世界は広い―


 面接で佐藤に語った言葉を思い出した。その時は登録されたいがゆえの架空のエピソードのスパイスに過ぎなかったが、今その言葉を実感した。障害があっても変わらない、世界は広い。スポーツだって出来るし、日本代表にもなれる。


―俺にもきっと出来ることがある―


 たかだか数時間立ちっぱなしで疲れたとか言っている場合じゃない。じっとしていられなくなって有希也は立ち上がり、青い法被に袖を通した。いまはこれが俺のユニホームだ。グラウンドに向かう高揚感で休憩室のドアを開いた。

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