第37話

「各ポジションを30分交代で回していくんだけど、いきなりレシートを扱って間違ったらことだから、津原くんはまず店内アナウンスやってもらっていい?やりながら僕らを見て、どんな感じでやるか覚えてもらいたいんだけど」

 宮野がそう言ってマイクを差し出した。イラストの手本にできそうな至ってシンプルなシルバーのマイクだった。


「アナウンスってどんな風にすればいいですか?」

 拒否する理由もなく、マイクを受け取りながら訊ねた。


「要はここで抽選会をやってるってことをお客さんに伝えてほしいわけ。あとから『知らなかった』ってクレームが来ても困るからさ。だから例えば『只今地下1階特設コーナーにおきまして、ガラポン抽選会を開催しております。レシートの合計金額三千円ごとに1回御参加頂けますので是非御参加ください』みたいな感じで。ちゃんと参加条件とかが伝わるように。アナウンスは会場を盛り上げるためでもあるから、恥ずかしがってもじもじしたりするのはなしで。大丈夫?」

 宮野は手本の部分にかかると一際わざとらしい声を出した。目の前で聴かされて、こっちが恥ずかしくなったが顔には出さなかった。


 この手の広報は今までも何度か経験したことがあるし、問題はない。


「じゃあよろしく」

 宮野はそっけなく自分の持ち場へ戻ろうとして、あっ、と立ち止まった。芝居がかった素振りだった。

「それで足のことなんだけど、店長さんも言ってたけど遠慮せずに椅子使ってくれちゃっていいから。なんかあったらこの店にもテラスにも迷惑かかちゃうからさ。僕も注意して見るようにはするけど、ずっと見ているわけにはいかないじゃん」

 ちょうどそこで開店を告げる店内放送が流れた。

「ホントにそれだけはよろしく」と言い置いて持ち場に戻った。宮野の襟足はきれい切り揃えられていた。


 しばらくは暇だと思っていたものの、開店すると年寄りを中心に抽選会場に客が集まってきた。抽選会は定期開催されていて、勝手を知る客もいるようだ。


「いらっしゃいませ。それではレシートを確認させて頂きます」

 接客する宮野の声はわざとらしさに磨きががっていた。笑顔で丁寧な接客を心掛けています、と顔に太字の油性ペンで書いてあった。


 宮野のポジションは合計金額で抽選回数を確認するレシートチェック。3日分のレシートが有効なため、客が複数のレシートを出せば電卓を使って合算し、福引き回数を案内する。問題なくやれそうだと眺めていたら宮野と目があった。宮野は口元で手をパッパと開いた。アナウンスしろという指示だ。


 有希也は売り場の方に身体を向け、マイクのスイッチをいれた。

「本日も朝早くからの御来店誠にありがとうございます。只今地下1階特設会場におきましてガラポン抽選会、ガラポン抽選会を開催しております。レシートの合計三千円以上で1回抽選にご参加頂けます。景品をご用意しておりますので、どなた様も奮ってご参加ください」


 スピーカーから津原の声が流れていった。


 ガラポン抽選会なるものは初めてでも、接客も催しごとも何度となくこなしてきたから、この程度のアナウンスはお手のもの。緊張もしなければ恥ずかしくもなんともない。むしろ思う存分声を発するのが楽しかった。しゃべるごとに気分が乗って、アナウンスも小気味良くなる。

「一等二等三等、外れても参加賞をご用意しております。お手すきでしたどうぞ、お買い物金額三千円分のレシートをお持ちになって、こちらの会場までお越し下さい。お客様の笑顔をスタッフ一同心よりお待ち申し上げております」

 有希也はアレンジを加えて、客を呼び込んだ。


 抽選補助をしている長身の松井が黄金色のハンドベルを鳴らした。

「2等当選です!」

 鐘の音がフロアに響き渡っていく。


「おめでとうございます!只今2等が出ました!2等三千円分のお買い物券当選です!」

 スピーカーを流れる有希也の声に買い物客が反応した。メダル第一号が出ると一気に盛り上がるオリンピックのように、当選が出て抽選会場も活気づく。客は財布の中を確認したり、近くの店員に訊ねたりし始めた。


 有希也の方にも客が寄ってきた。質問に答える代わりにアナウンスを続ける。

「今日昨日一昨日、今日昨日一昨日の3日間のレシートのお買い上げ金額合計三千円ごとに1回抽選に御参加頂けます。今日の分だけではございませんのでお財布の中のレシートをどうぞご確認ください。一等二等三等、まだまだ御用意があります。是非御参加ください」


 抽選の列が伸びていく。宮野とまた目があったがすぐに逸らされた。賞品受け渡し役の岸本はニヤケた顔でこっちを見ている。冷笑しているようにも見えるけれど、初めからあの顔だった。



 客足が一段落したところで宮野が近寄ってきた。

「30分たったからポジションチェンジするんだけど、次はレシートチェックをやってもらいたいんだけど、出来る?」


「大丈夫だと思います」

 何も問題はない。


「じゃ、お客さん来ちゃうからちょっと急いで」

 急かされて、宮野のいたテーブルの端のポジションまで移動する。立ちっなしだったせいで、右足の動きも鈍かった。


「ここでお客様が持ってきたレシートを確認して」

 宮野は手短に作業を説明した。レシートの日付と合計金額を確認して抽選補助に回数を伝え、終わったレシートに『済』のスタンプを押す。


「対象外の商品とかは、ないですよね?」


「対象外?」

 宮野が眉間にしわを寄せた。


「タバコは計算に入れないとか」

 タバコやハガキは何かにつけて除外される。


「そういうのは特にないよ」


「無条件でレシートの金額を合計すればいいんですね?」


「そうだけど」


「了解です」

 有希也は言葉に自信を込めた。


「金銭が絡むことだと、ちょっとした間違いでもクレームになるから、絶対間違えないでね」

 間違えてほしそうに宮野は念を押した。


 ポジションを一つずつずらし、宮野は有希也の横の抽選補助についた。お目付け役を兼務するようだ。


 身体は変わってしまっても、つい先日まで証券会社に勤めていた身。スーパーの買い物程度の金額など取るに足らない。

「いらっしゃいませ。それではレシートを確認致します」


 笑顔で明るく、そしてハイスピードで処理して、宮野に引き継いでいく。暗算でもわけはないが、隣の宮野に電卓の早打ちを見せつけてやった。


 あっけにとられていた宮野だったが、すぐに間髪入れずに回ってくる客にあたふたし始めた。

「そんなに焦らなくていいから。間違えたら困るし、ガラポンは一人ずつしか回せないからさ」


 客が宮野の前で渋滞してしまった。確かに早すぎたかもしれない。これぐらいにしといてやるかと、有希也はスピードを緩めてあげた。


 束の間の空白が出来て、そっと手のひらを見た。握って開いて裏返して、陶芸家が皿の出来を見極めるように。この手で電卓を打つのは初めてなのに、スピードについてきてくれた。足が不自由な分、やはり指先は発達している。我ながらなかなかいい手だなと感心した。

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