第32話
「先日までアクセサリーの製造をされていたんですね」
佐藤が履歴書から視線を上げた。直近の職歴を偽るのは問題がありそうで津原のをそのまま書き写した。
「そうです」と答えた有希也に、「ここはどうして退職されたんですか」と佐藤が問うた。柔らかくも意志がこもっていた。
25歳という年齢から職歴について訊かれるのは想定していた。在職期間が短い、頻繁に転職している等仕事が長続きしない人はアルバイトでも敬遠される。辛抱がないとか、揉め事を起こすとか、何かしら問題があると判断されるためで、派遣先とのトラブルの種を蒔きたくないこの手の会社は尚更気になるだろう。
津原の事情は分からなくても、トラブルや不満が理由ではなく前向きな退職、と答えるのが望ましい。
「25歳になって、先のことを考える様になったんです。このままでいいのかと。足がこうですから、今までは家にこもりがちで、仕事も工場の中で出来るようなことをしてきたんですけど、もっとたくさんの人と出会ったりふれあったりしたい、自分自身の可能性と向き合ってみたいと思ったんです」
照れた表情を作って続けた。
「それで仕事を辞めてから、自分探しじゃないですけど、一人旅をしてみたんです。多少の貯金はあるので日本各地を色々と回ってみて。それで色々と世の中のことを見て、世界は広いといいますか、やっぱりもっと外に目を向けなきゃいけないと思いました」
出来のいい回答と自負していた。同情を引きつつ、道理をわきまえている、足は旅行にも耐えられる、退職後ふらついていたわけではない、とアピール出来る。旅行中のことを訊かれた時に備えて、ツーリングの思い出をアレンジした話をいくつか用意してあった。
話を聞き終えると、佐藤は視線を履歴書に戻して小さく何度か頷いた。この人は納得すると頷くのが癖の様だ。
「うちの会社を選んだのはどうしてですか」
これも面接ではお決まりの質問。
「今までずっと閉ざされた空間というか、工場にこもっての仕事だったので、もっと広いところで働きたいと思っていました。それで求人誌で派遣のアルバイトを知って、こういう仕事なら色々なところに行って色々な人とふれあえるんじゃないかと、凄く魅力を感じました」
熱っぽく訴えかけた。
「今はお仕事はされていないんですね」
「はい。ですから勤務できない曜日はありませんし、早朝でも深夜でも大丈夫です」
無職は世間的にはネガティブに捉えられるが、アルバイトだとシフトの融通が利く分有利に働くこともある。テストだ就活だとシフトに穴を開ける学生よりよほど重宝される。
佐藤はまた何度か頷いた。
「中学校を卒業してすぐに働き始めているようですけど、これはどうしてですか」
なぜ中卒なのかという質問だ。やはり佐藤も引っかかるようだ。
「実家が農家で、僕は長男で跡継ぎだったんですが、事故に遭って足がこうなりまして。それで跡を継げなくなってしまったので、中学を卒業する時に家を出ました」
あの写真から読み取れる津原の実情だった。
「それからずっと働き続けて来たんですか」
「大変でしたけどね」
微笑んだのはその方がより苦労が伝わると思ったからだ。実際津原の負った苦労は計り知れない。
佐藤は何かを思うように上を見上げた。
「事故というのは交通事故ですか」
ゆっくりと視線を有希也に戻す。
「そうです。ですけど、あの、高卒以上って書かれていなかったので応募したんですが、やっぱり中卒だと厳しいですよね」
自虐的に言ったが、これは話題を逸らすためだ。事故のことを訊かれても答えられないから学歴の話にすり替える。弱者の顔を見せることで、追及の手を緩めさせるのも狙いだ。
「いや、うちは学歴の制限は設けていないので、その辺は大丈夫ですよ」
佐藤は肩をポンと叩くように言った。
「でもどうして山梨に来たんですか」
狙い通り事故の話は打ち切られたが、次の質問は有希也も抱いた疑問だった。東京に出るのならまだしもなぜ山梨だったのか。疑問があっただけに想定された質問でもあった。
「近所に伯父が住んでいたんです。母の兄なんですけど、子供の頃から僕をかわいがってくれていましたので、その伯父を頼って山梨に来ました」
これは完全な作り話。津原が山梨に来た理由は有希也にも考えが及ばなかった。
「住まいは別なんですか」
有希也が受けたアルバイトの面接で、ここまでプライベートを訊かれたことはなかった。障害のある人間の採用判断は難しいのか。佐藤の個人的興味も含まれているのかもしれない。
「僕は一人でアパートに住んでいます。ちょくちょく遊びに行って食事をごちそうになったりはしました。一緒に住もうと勧められたこともありましたけど、そこまで甘えるわけにも行きませんので。伯父は去年亡くなりました」
真摯に耳を傾けてくれる佐藤に嘘を吐くのは抵抗あるが、身体が入れ替わってしまったので分かりませんとも言えず、適当な理由を付けるほかなかった。
「それで足の方なんですが、どういった感じなんですか」
意を決したように切り出した。タイミングを見計らっていて、頃合いと判断したようだ。
「左足は上手に動かせません。右足について歩いている状態です。他人より歩くのが遅いのは否めません」
「杖を突いたりとかはしてないんですね」
「今のところはそうですね」
「どうなんでしょうか。歩くこと自体には支障はないんですか。躓くことが多かったりとかいうことは」
「重いものを持ったりとか、段差の大きいところなんかだと、正直恐怖心はあります。ですけど今日も家からここまでバスと電車を乗り継いできましたし、旅行に行ったりもしてますので、普通に歩くことに支障はありません」
「今までずっとお仕事されてきたんですもんねぇ・・・」
そう呟いて履歴書を確認し、考えあぐねるように机を指先でトントンと叩いた。
「うちはクライアントさんのもとに派遣して、そこで働いてもらうんですね。ですから、もし万が一何かあった場合、うちの会社だけの問題では済まなくなるんですね・・・」
歯切れの悪い物言いは、責めているのではなく、すまなそうだった。全くの脈なしならここまで訊かれない。採用してやりたいがどうすべきか逡巡しているのが伝わってくる。
「そうですよね。僕も応募させていただきはしたんですけど、正直無理かなとは思っていました」
有希也が明るい顔を作ったのは同情心をもう一押しするためだ。
「いや、うん、まあ、座ってする仕事もあると言えばあるんですよ。ただクライアントさんがOKしてくれるかどうか・・・」
うーんと唸って首をひねった。佐藤さんは見かけ通り、優しい人の様だ。採用してやりたい。でも万が一のことが起きたら・・・。そんな苦悩が垣間見られた。
「気になさらないでください。こういうことには慣れていますので」
「いや、ちょっと待ってください」と手のひらを有希也の方に向けてから、もう一度考え込んだ。目を瞑り、手のひらをおでこにあてる佐藤。黙って待つ有希也。
ふーっと息を吐き、またうんうんと頷いてから佐藤は重そうに口を開いた。
「あの、仮に登録したとしても、紹介できる仕事はかなり限られてしまうんですけど、それでもいいですか」
「構いません。登録していただけるだけでもありがたいことですから」
よし来た、と心の中だけで喜び、顔には出さない。
「全く紹介できない可能性もあるんだけど」
「覚悟はできています。もちろんお仕事を紹介していただけたら、一生懸命頑張ります。こき使ってください」
その言葉で、悩まし気だった佐藤の頬がふと緩んだ。
『こき使ってください』が有希也の殺し文句だった。これは有希也が以前やっていたアルバイトに入ってきた年上の新人から言われた言葉で、たった一言でハートを掴まれた。みなぎるやる気を感じさせる。それ以来時々拝借しているが、実際面接でこれを言うと相手の目がキラリと光る。今もそれを感じた。
「ちょっと待っててもらえますか」
一旦佐藤が出て行った。おそらく足の不自由な男を登録させていいものか、他の社員に相談するのだろう。佐藤はOK、他の社員がどう判断するか。有希也の予想が正しければとりあえず登録となる。佐藤が言ったように、問題はクライアントがどう判断するか。仕事にありつけるかどうかは別にして、この会社に登録するだけならさして問題はないはずだ。
「お待たせしました」
戻って来た佐藤の顔が、心なし晴れやに見える。当たりだ。
「それでは登録となりますので手続きに入ります」
「ありがとうございます」
有希也は机にぶつかりそうなぐらい頭を下げた。
「その前に仕事を紹介するシステムを説明した方がいいですね」
佐藤は、この会社の派遣システムを話し始めた。本来ならもっと早く説明すべきこと。やはり初めは採用する気がなかったのかもしれない。
以前働いていた会社とほぼ同じだったが、初めて聞くふりをして、契約書にサインをした。これでテラスコーポレーションの一員となった。社会とのつながりが出来て一気に世界が広がった、パスポートを手にした気分だ。
「君に出来そうな仕事を探してみるよ」
エレベーターの前まで見送ってくれた佐藤が最後にそう言ってくれた。タメ口に変わったのは、スタッフとして認められた証だ。
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